豊臣家の一族
□みちゆき
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1584年−小牧・長久手の戦い後−
「父がおらずとも、子は育つ」
家康はわずか十歳のお義伊を豊臣秀吉の元へ人質に出す時、本多作左に言った。
−大阪−
「若ー、どこにおいでですかー、わーかー」
お義伊改め、秀康の小姓の本多仙千代は広い大阪城の中を主を捜し廻っていた。
「仙千代殿、射弓場の方で若の声がいたします」
そう言ったのは、もうひとりの小姓の石川勝千代だった。
「そうか、行ってみよう」
「はい」
秀康の小姓はこの二人で、共に幼い頃からの遊び相手だった。
仙千代の父は秀康の傅役をつとめ、母は、乳母だった。年回りでいうと仙千代の方が一つ上だが、秀康は早生まれのため実際は四ヶ月程しか離れていない。