戦国時代4
□陽炎
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月は天高く昇り、真夜中と呼べる時刻だった。この夜、宿直の番だった角太郎が邸を見回ってると、門のほうで気配を感じた。手灼を片手に近寄ると、人影が二つ。うっすら見えた。
「……」
「……」
今、門をくぐったばかりの二つの影がくっついた状態で何事かしゃべってるようだが、何を言ってるかまでは聞こえなかった。一人は後姿からこの邸の主(秋山信友)だとわかるが、もう一人は…
衣を頭からかぶり、小柄なことと、やたら主が大事そうに腰に腕を廻し手を引いてるので、女だろうと思った。年頃の主だ、邸に女を連れ込んでもとがめる必要はない。もっと、堂々とつれてくればいいのにとさえ思う。
角太郎は見ぬふりで部屋へ戻ろうとした。その時、頭から衣がずれ、月明かりにその姿が浮かび上がった。
ハッとした。
「の、信繁様!?お顔に血が……!」
思わず近寄ると、主が呆れたような表情をしていた。
「大事無い。―お勤めご苦労様。すまぬなこんな夜遅くに」
信繁―先ほど女だと思ったのは、実は晴信公の次弟だった―は、涼やかな瞳で言った。晴信公の弟に労いの言葉をかけられるなどありがたいものなのだが、それに感激するより、怪我のほうが心配だ。昔から頻繁に邸へ出入し、角太郎にとっても馴染みだった。
「どおせ見ぬふりするなら最後まで貫け!大声出して…他の使用人に見られたくないんだ」
主は角太郎に気づいていたのだ。信繁を女だと思い込んだことも見抜かれたろう。
「信繁、ほら、行くぞ」
手を掴み、湯殿の方へ引っ張っていく。
―一通り見回るとやはり信繁のことが気になって、角太郎は手当ての道具を持って主の部屋の前で待ち伏せた。武田の当主の弟というばかりでなく、信繁自身の人懐っこさに惹かれる。愛や恋ではないのだが、幼い頃からここへ出入してるせいか、親しみが感じられた。
しばらく経ち、二人が寄り添うようにやってきた。月の光のせいか、信繁の顔が青白く見えた。湯に薬草を入れたのか、鼻につく香りがここまで届いた。
「―おい、角太郎…、手当ての道具を持ってこいだなんて命じてないぞ。ほんと、気がきくんだか、きかないんだか…」
気づいて声をかけてくる主は、手灼を奪い取り、中へ入っていく。
「信繁」
部屋に明かりを灯すと信繁を呼んだ。
「角太郎、お主も中へ…」
横を通り過ぎ際、信繁がこちらを向いた。それが、ドキッとするぐらい綺麗な顔だった。
(昔からかわいらしい顔だったが、近頃は色香まで備わってきたな。これでは、周りのおなごが放っておかないだろう)
頬には縦に引っかいたような赤い線が三つあった。
「もう、血は止まってる」
自分の視線に気づいて、信繁は困ったように言った。
「いいから、早く来いよ」
焦れた主が中から小声で言ってくる。それは、二人に向けていったのだとわかる。
傷薬を塗り、湿布を貼ると手当ては終わった。その手際のよさに、主は、隠れて何度もそういうことをやっていたのだとわかる。元来、手先は器用だ。
信繁に絶対の信頼を寄せられている我が主は誇りだった。口の堅さもそれに値するのだろう。
年上の信繁より大人びて見えるのはそのことが影響してるのか。肝心の信繁は未だ少年の域を脱しておらず、細くしなやかな体で、顔もあどけなく感じられた。
「角太郎、もういいから持ち場へ戻れ。悪かったな。ついでに、明日の朝餉は二人分、こちらへ運んでくるよう命じておけ」
道具を片付けている角太郎へ言った。
「はい」
無下にできない主の性格を知っている。おかしくなって、わからぬようにクスッと笑った。