戦国時代4
□花と華
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1545年原邸にて―
「彦十郎、なんだ、この粉末は?」
懐紙に包まれた炭色の物体を指差した。
「あぁ、薬だ。ちょっとした強心作用がある。お主は吸ったりなめたりするなよ。戦場で雑兵達が使うような安もんだからな」
そういいながら、彦十郎はキセルにその粉末を入れ、火をつけた。
「お主こそ平気なのか?」
煙の甘い香りにくらっときた。
「俺は昔から吸ってるからな」
そう嗤うのに、悔しくなって彼からキセルを奪った。
「おい、昌豊…」
「某も北条の元では最前線で命懸けで戦ってきた身。強心剤だろうが興奮剤だろうが色々試したさ」
奪ったそれを口にする。
吸うと頭がとろけそうな感覚に襲われた。
ドクン…
「あ…」
昌豊はキセルを落とし(危ういところで彦十郎が受け止めた)胸を押さえる。
(なんだこれ…熱い…)
血がたぎってるようだ。
(ちょっと吸っただけだぞ)
「大丈夫か?」
心配そうなからかい半分のような口調の彦十郎の顔がチカチカとした。
「くっ…」
床に膝を付いて伏すと、額から汗の雫がポタポタたれた。
「だからよせと言うたのに」
「うるさい。全然なんともないぞ」
昌豊は強がって見せる。
「とりあえず、水でも飲め。少しは落ち着くだろう」
水差しから湯飲みについで差し出した。すると、昌豊はその腕をとっさにつかんでいた。
揺れた水面が湯飲みから飛び出し、床をぬらした。
「あ…悪い…」
すぐ手を離した。
「いや…」
彦十郎が目をそらし、気まずい空気が流れたため、水を一気に飲み干した。
「はぁ〜、すっきりした」
大きく息をしたとき、
「彦十郎、借りてた本を返しに来たぞ」
「秋山」
庭の方から声がしたため、顔を見けると、信友がいた。
「なんか、甘ったるい匂いがするなぁ。強心剤の類は戦の時だけにしろ。―昌豊殿もあんまり悪い遊びに付き合わないほうがいいですぜ」
クンッと鼻をさせ、顔をしかめた。
「年下のお主に言われたくないな。―あがってけ。丁度酒もあるし。安酒だがな」
この二人、子供の時からの付き合いのため、気さくない。
「安酒を人に勧めるな。ま、酒なら何でもいいがな」
ひさしに手をかけ上がりこむその横顔がお屋形様に似ていて戸惑ってしまう。そんな動揺など気づかぬ信友は、杯を彦十郎から受け取った。
「今日は典厩殿と一緒じゃないんだな」
ついでだとばかりに彦十郎が昌豊の湯飲みに酒を注ぐ。
「みな、俺がいつも信繁と一緒にいると思ってまさぁね」
「また、喧嘩でもしたのか?」
彦十郎が心配そうに聞いた。
「違う。信竜殿をつれて勝沼へ行ったでさぁ」
「勝沼って、従兄弟の信元殿のところか?」
それを聞いて昌豊はピクッとした。
「そうだ」
「ふーん」
躑躅ヶアの館でも一緒にいるところを見かける、気心の知れた従兄弟同士、互いの屋敷を行き来してもおかしくない。
「まさか、お屋形様の使いを嫌がった小姓の代わりじゃないだろうな?」
昌豊は酒を口に含みながら、キッと睨みつけた。
信元は信虎譲りの気象の激しい気質で、よく小姓を怒鳴りつけている。そのため、彼の所への使いを嫌がる者ばかりだ。
「本当に遊びに行っただけですぜ。大体、お使いなら俺が代わりまさぁ。−ところで、旅一座が街へ来てるのを知ってますかい?」
武家屋敷の先は町屋が軒を連ね、大通りでは、市が開かれていた。また、田楽やら猿楽やらの旅一座も全国からやってくる。
「それがどうした?もしや、気に入ったおなごでも見つけたか?」
突然の話題の変化にいぶかる。もっとも、信友は初めからそれを言いにきたのだろうが。
「いや、おなごではありやせんが、信繁そっくりのおのこがおりやした」
「ほお、それは見てみたいな」
彦十郎は吐息を漏らし、好奇に満ちた眼を向けた。信繁に似てるというなら美形だろう。
「春野屋という宿に滞在してるから行くといい。昌豊殿も興味あるでしょう?」
わざとらしく昌豊をけしかける。
「まぁ、お主がいうのだから似てるのだろうな」
信繁に想いを抱く昌豊としては、興味があるところだが、顔には出さない。
「もしや、典厩殿もご覧になられたのか?」
信友が行くところには、ほとんど信繁が一緒である。
「そうそう、初め、信繁が熱心に見てるのが気になってな、そしたら、信繁に似たおのこがいたんだ。それを言ったら、『通りで見覚えのある顔だと思った』って」
「へぇ、典厩殿は自分には無関心だからな」
彦十郎も信繁の人柄をよく理解している。