上杉家

□願い
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 暗い闇に立っていた。周りに何があるかもわからない。果たして自分が立っているのは地面なのか…。


「ええーん、ええーん…」

 童の泣き声がする。


 ―何を泣く…?―


哀しいからか、痛いからか?


 遠くで聞こえた泣き声は、だんだん近づいてきた。

 暗い闇に響く泣き声に不安になる。
 視界がないと聴覚が敏感になる。

 やがてすぐ前まで来た童がゆっくりと顔を上げた。
 見たことのある顔だった。



【私はいらないのか…?】
 童は涙をためた目で言う。

 童は―自分だった。幼い自分が目の前にいる。

 景虎は、自然、抱きしめていた。


【母上……父上……】






 現実に引き戻される。
 目を開けると上杉家の自室だった。
 火鉢に火の気がなく、肌寒さにブルッと震えた。

 部屋を出ると、積もった雪が月明かりを反射し眩しかった。
 越後は冬になると雪に閉ざされる。
 海に降るそれの美しさをここへ来てはじめて知った。相模も海はあるが温暖だ。甲斐は雪が降るが海がなかった。



「兄上、こんな夜中に…。眠れないのですか?」
 厠へ行った帰りなのか、綿入れを羽織った景勝が寒そうにしていた。

「景勝殿…、悪い夢を…」

 そう、心細げにすると、抱きしめられる。

「!?」
 自分はひどく驚いた顔をしていたろう。

「某が怖い夢を見て目を覚ますと、母上がこんな風に抱きしめてくださいました。胸の音と、体の暖かさで心安らいだものです」

「……っ」

 母の温もりなど知らぬ景虎は涙をこぼした。

「泣かないで下さい。兄上は独りじゃないのですから。某が側におります」

(信じない…)
 期待もしない、絶望もしない、そうやって生きてきた。



「景勝殿、今夜は一緒に寝てくれませんか?」
「よ、喜んで!今夜は特に冷えますゆえ、一緒に寝ると暖かいですよ」
 吐く息は白いのに、頬を紅潮させる。
 純粋ゆえ下心を感じさせない。

(まるで童のようだ)
 景虎はククッと笑った。

「温石を抱いて寝るより寝心地いいでしょう。固く、ごつごつしてる故」
「某も男故、ごつごつしてると思いますよ。兄上は、女子の体の方が好きですか?」

「―男なら誰しもそうであろうが、今夜は兄弟で同衾いたすのもよいかと思います」

 〈兄弟〉という言葉に景勝が喜ぶと知っていてわざと口に出す。
 景勝は嬉々とした笑みを浮かべていた。




         *


「か、景勝様!ご自室におられないと思ったら、何でこんな所にいるんですか!?」
 早朝一番、聞きなれた声に起こされた。

「与六…、頭に響く。もう少し優しく起こしてくれ」
 景勝はあくびをして目をこする。

「まったく、主人への心遣いもできぬようでよく小姓が務まるものだ」
 黒い漆のような髪をたらし、慇懃に言うのは景虎だ。

「景虎様、貴殿というお方は!どうしてそう、節操がないのですか!?」
 怒鳴り声を浴びせられ、耳を塞ぎたくなった。

「一緒に眠っただけだ。そんなに怒鳴らなくともよいだろう?」
 そう言ってチラッと景勝の顔を見た。
 与六に怒鳴られ、しゅんっとなっている。

「景勝殿はお優しいゆえ、つい甘えてしまいました。申し訳ありませぬ。怖い夢を見て泣いてる者なら誰でも慰めるでしょうに」
 と、しおらしく言ってみれば、
「某は、兄上が好きなればこそです!優しい言葉をかけるのは当然ですし、某でよければいつでも慰めまする!」
 パッと顔を上げ、はきはきと答える。
 思ったとおりの反応に驚いてしまう。

「あ、でも、兄上は某の行為など嬉しくないでしょうが…」
 弱気になって俯く。
「嬉しいですよ。景勝殿に慕ってもらえて」
 首に腕を廻し、抱きしめた。
 本心からじゃない。わざと景勝に見えない位置から、与六を見上げ、ニヤッと嗤う。

「……」
 与六は拳を握って奮わせた。そして、二人を引き剥がし、
「景勝様、早く支度を整えて朝飯を召し上がってください!勉学の時間に遅れますよ」
 一気にまくし立て、後ろから衿を掴んで引きずっていった。

「与六、痛いって。兄上後で」
 仕方ないといった様子で手を振る景勝。敵愾心を持った与六を景虎はやはり嘲笑う。
 すぐに向きになるのが滑稽だ。

「男に嫉妬は見苦しいぞ」

 与六には景勝がすべてなのだ。やがて景勝が国主となった時、与六の力は強くなる。しかし、逆に景勝が追われる身となった時は、惨めな一生を辿らねばならぬ。賢い与六のこと、道を誤まらないだろう。

「義信兄上は、もっと、民のことを想い、彼の側仕えは、それに引き付けられたものだ」
 幼い自分から見ても恍惚とした光を放ち、すばらしい人だった。謀反の疑いをかけられ、幽閉されたと聞かされたときは暗い気持ちになった。

 与六の気に入らぬ所の一つ一つはほんの些細なことなのに、苛立たせる。



         *


「あまり景勝様をからかいまするな」
 柱に背を持たれ、庭を眺めていた景虎へ与六が軽蔑にも似た目を向けた。

「さて、なんのことかな?」
 とぼけてみせると、相手の殺気が上がったのを感じた。

「どうして貴殿は…!?」
 すごまれても怯ますことはできない。
 景虎は、顎に手をやり、クククと、嘲笑う。男から見ても綺麗なしぐさだ。

「『どうして』などと…滑稽だな」


「貴殿が羨むほど、景勝様は恵まれてませぬ。だから、ヒトに優しくできるのです」
 謙信公へ謀反を企てた景勝の父―長男政景は、家臣の手により殺された。謙信公の甥である景勝は養子として引き取られたが、謀反人の子として冷たい目で見られてきた。
 後でわかったことだが、政景は謀反など企てておらず、当時、政景の小姓をしていた与六の美貌が目に留まり、謙信公が譲るよう命じたのを断ったのに腹を立て、それをでっち上げ殺したという。


「別に羨んでなどおらぬ。景勝殿はあの通り素直なお方だし。それにしても、お主の口のききよう、無礼ではないか。義父上に告げ口すればどうなるかのう?」
 与六は下唇を噛み締め悔しがる。

「ヒトに優しくないが、知恵はある。あまり私に関わらぬ方が身のためだぞ」
 妖しい笑みを浮かべた。

「では、もう二度と話しかけたりいたしませぬ。もし、お姿が見えても庭の石のように見えていて見えぬふりをいたします」
 与六は感情を込めずに言った。

「……。貴殿はずるいお方だ。突き放せばそうやって泣き出しそうな表情をする」
 いつも哀しげな景虎を知っている。弱いからヒトと距離をとり本心を見せないようにしていた。
 上辺の綺麗さだけを見せ、ヒトに嫌われないように生きている。


「私の思いは、私にしかわからぬよ」

 ―泣かないで、兄上―


「そうやって泣くならもっと……」
 雪が降る日はとても静かだった。

 景虎の瞳から零れ落ちる涙は綺麗で、与六は過ちを犯しそうになるのを拳を握ってこらえた。爪が食い込み、血が滲み出、雫となって床板を汚した。

「貴殿の苦しみは、これからも続くのですか…?」

 景虎は、目を閉じ、肩を奮わせていた。







与六は、自分のせいで景勝の父を謀反人にしてしまったという思いがあります。それもあって、景勝を国主にしようとやっきになってます。
朱華は景虎贔屓で、《直江》とつくものはすべて嫌いです。お船の方も。兼続とお船の墓が並んでるのには(笑)だったりします。所詮、「信綱苛め」にハマって、十数年。年ばれるけど…。朱華の景虎さまは頭悪そうですね、申し訳ありませんが。

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