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□珈琲の苦味と甘味
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今まで沈黙に似通った空間だった事も手伝い、突然声をかけられて驚いた阿部だったが質問に答えるべくアイツ、島崎のことを思い出した。

「いえ・・・、あ・・・。」

思い出す。

何気ない朝の風景、島崎の居る場所だけまるで空気が違うかのような、そんな雰囲気を纏って優雅に口をつける無地の白い珈琲カップの中、其の色は薄っすらと白く濁っていたはずだ、と思いながら其れよりももう少し前のことを思い出して「でも」と言い直した。

呂佳は相変わらず相槌も打たずに、カップに口をつけてただ阿部を見ている。

「前は、ブラックだった・・・気がします。」
「前?」

そう、確かに阿部と知り合って少しするまで島崎は珈琲に何かを入れる人間ではなかった。
疲れたときに少しの砂糖、ただそれだけだったのだが其れを見た阿部は体に悪いと島崎の珈琲を取り上げ、ミルクを無理やりに注いだ事が有る。
あの時のミルクは市販の一人用に小分けされたものだったので良かったが、今日のように好きなだけ入れてくださいと主張してくるミルクだったなら危うく彼の珈琲はほぼミルクと化すところだった。

其れを掻い摘んで話した後、それから島崎はブラックではなくなったのだと付け足せば、いつの間にか下を向いていた呂佳がブハッと噴出して笑い始めた。
堪えていたようだが笑い始めてしまえば其の笑い方は至って豪快で、阿部はポカンとした様子で其れを見る。

「完全にお前に押し負けてんな、アイツ」
「そんな事・・・。」

実際のところお互いがお互いの要求、というか癖が移ってしまうような場面はしょっちゅうで、阿部も気がつかないうちに島崎の何かが移っているような気がして彼が負けていて自分が勝っているという思いは無い。

「俺にはやらねぇの?」

呂佳がそういいながらもう既に半分ほど減った珈琲カップを傾け中身を見せる。

「やってほしいんですか?」
「いや?別にどっちでもいいんだけどよ。」

意外だといった様子で聞く阿部にふざけただけだと、体で表すようにカップの中身をぐっと飲み干した。
まるでコーヒーを飲んでいるとは思えない豪快な飲み方、でも其れは彼らしいと思う。

「俺の場合次から其れを入れるって事は無えな」

ニヤリと笑いながら其れと指すのは当たり前のようにミルク入りのポット、阿部はポットを一瞬だけ見ると呂佳に向き直りじっと彼を見て、まだ珈琲を底に残したカップを皿の上にコトリと置く。

「でしょうね」

人に合わせて行動する呂佳などまったく想像ができない、それは余り彼のことを知らない阿部ですら容易く思わせる呂佳の印象だ。
笑った阿部に呂佳は目を細めて今までとは一風違った印象を残す瞳を阿部に向けた。

「入れられたら仕方ねぇ、飲むけどな。」
「・・・・?呂佳さん?」

雰囲気が変わった彼の様子に阿部の体が後へ下がって背もたれから浮いていた背中がピタリとつく。
真意を問いただすように、自然と名前を呼びながら問いかければ、彼は笑みを深くして手を伸ばし阿部の頬へ触れた。

「お前の好みに合うんだったらやってやらねぇことも無い、ってことだ。」

酷く傲慢な言いぐさ、合わせてやるが行動するのは此方というあまりに「俺様」な呂佳の言葉に阿部は目をパチクリと瞬きさせ、どうすればいいのかとただ迷う。

「・・・どう・・・?」

意味が解らない、ただ頬に触れる手から温もりがつたってきて、雰囲気が変わったことにドキリとする。
そしてコレが島崎に対して露になっている彼といえばしっくり来ると頭の隅で思った。

するりと手を伸ばされた時のように放れていく手を見ながら、未だわかっていない様子の阿部に呂佳が相変わらずの笑みで答える。

「わかんねぇならいい、・・・っと、この事慎吾に言うなよ?うるせぇから。」
「は・・はぁ?」

どの事だと追求する前に早く飲んでしまうように促され、慌てて残り少ないまま放置されたカップに口をつける。


時間がたって冷めたコーヒーは、先ほどよりも甘いと感じた。
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