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□ホンネとタテマエ
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栄口は夕飯の支度があるからと申し訳なさそうに帰り、他の部員は我先にと空いた腹を満たすために帰路につく。
眠いとごねる阿部を、嫌味をいって引き止めることに成功した花井は、
日誌を書く手を止めず目の前でただだらける阿部を横目に見ていた。
あまり普段の阿部からは想像が出来ないものだが、花井は阿部の其の一面を良く知っている。
眠いとぐずるのだ、目の前の彼は。
子供のようで呆れてしまいそうなものだが、実はそれがまた可愛らしくもある。
普段わがままを言っているように聞こえるのに、まったくと言っていいほど理不尽にわがままなど言わない彼が、眠い眠いと文句を言う様。
それが花井にとってはたまらなく愛しかった。
「…ねみぃ」
最初の頃こそムスッと顔を歪ませて向かい合っていた机にべったりと体を引付けながら花井の方を見ていた阿部だったが、ペンが進むという余りにも単調な行動だけを見ていると限界は早くやってくる。
ポソリと、あまりカツゼツがよろしくは聞こえ無い声を発し、いかにも眠そうな目をする。
辛うじて起きているのだろうと思われる薄く開けた視線でただ花井の持つペンを見ていた。
「おい、阿部、ここで寝んなよ」
やんわりと、花井の声が阿部の耳に届く。
しかし効果は無いようで、それどころか薄くあいた唇が閉じ、開き、其の間があって考える時間を得た阿部はやっと彼は花井の言う言葉の意味を理解した。
「ヤダ、ねみーぃー」
「…駄々捏ねんな…」
酔ってるんじゃないかと思う程の変わりようだ。
花井は呆れながら諭しつつ其の様子を、笑みを含ませながら見つめていた。
其の表情は柔らかい。
そして思考には数々の矛盾があった。
口ではそう文句を言われても困るという感情をのせながら、もっと甘えてほしいと思っていた。
「あー、んー…わかった。俺が日誌書き終わるまで、な。」
無理やり折れてやったというような言い草、しかしそんなことは1ミリも思っていない。
否、少しは思っているかもしれない。
彼の好きにしていいと思う反面、ずっとわがままを言い続けてほしいとも思っていたのだから。
「うん」
頭をポンッと叩いてやると阿部は安心したような顔をし、眠気のままに目を閉じた。
「終わったら起こす。」
「…、ん」
既に途切れ途切れになった返事を苦笑しながら見つめ、迷った末に頭の上に置き去りになっていた手の平で撫でてやると、そのまま大した変化も無く眠りに落ちた。
規則正しい寝息と力が抜けたのか先ほどよりも少し下がった肩がそれを知らせてくれる。
「…ん。」
聞こえていないだろうが返事を返す花井は、阿部の寝顔に目を細めた。
『俺の前でだけこうやってわがままを言ってくれるのが、何でも無いことってわかってるのに無性にうれしいから』
手を離す。
日誌を書いてしまおうと視線をノートに落とした。
『こういう時間がちょっと幸せだったり…』
頬杖を付きながらやる気なさげにペンを進めていく。
カリカリとノートに文字を書く音と阿部の寝息だけが部室に響いてそれが耳に付いた。
しばらく我慢を続けたが結局集中できず、折角書き始めた文字を中途半端に止めてチラリと阿部を盗み見る。
視線に移った彼があまりに無防備で、なんだかそれがいけないことのような気がして花井は困ったように視線をそらした。
『日誌はゆっくり書こう、お互いのために。うん。』
一人で納得し、暗くなった窓の外を体の力を抜いて見つめる。
教師が痺れを切らし、帰れと言いにくるまであとどれほどあるのだろうかとぼんやり考えた。
おそらく、そんな時間まで寝かせていたら起きたときに睨み返してくる事は安易に想像できるのだが、花井はそれでも良いと思って笑う。
彼が満足するまでと言いたいがそれは無理だろうから、
こんなちっぽけな事だとしても、出来る限りのことを勝手にしようと視線はそのまま其処に居るだろう彼の頭を撫でた。