メインの壱

□生死
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不思議なもんで、アイツは確かに存在する筈なのに、生きているんだか死んでいるんだかわからないくらい何もない瞬間がある。

山崎退、お前は俺に何を残してくれるんだ?

普段擦れ違っても何の匂いもしない。
同じ室内に居るのに気配を感じなくなる瞬間がある。
その呼吸音すら聞こえなくなる時がある。
はっとして目をさまよわせると、そこには確かに笑っているアイツが居る。

監察というヤツは、そんなもんなんだろうか?


閨に就く約束を取り付ければ、アイツは香の匂いを纏わせ、俺の部屋にやって来る。
その匂いは、アイツ以外で嗅いだことのない匂い。
俺がアイツを思い出す瞬間には、いつもあの香の匂いが供に蘇り、鼻孔を刺激する錯覚に陥る。

アイツは今、長期の密偵に出ている。
次逢えるのはいつになるのか。

またあの匂いを思い出し、鼻孔を擽られた感覚を覚え、ひとつ鼻を啜ってみた。


逢いたい。


写真の一つでも、くれりゃいいのに。
アイツは頑なに写真を拒む。
自分の存在した記録を残さぬよう生きている。
監察とはそういうもんだとアイツは言った。

あんな地味な奴、写真でも持ち歩かない限り三日もすりゃボヤケて来ちまうだろ…

そうだ。資料保管庫にあるはずだ。
入隊時に撮影した遺影用の顔写真が。

件のミントンラケットを構えた写真を探し出した。

ああ、山崎の顔だ。
特徴のない顔をしていやがる。
その垂れ気味の目元。
物事を、現実を、真実をしっかり捕らえるその眼。
厚めで柔らかい唇。
触るとフワフワで量の多い猫毛質のその細い髪の毛。

少し高めの鼻に掛かった甘い声。
物腰軟らかい口調。
筋肉の付きにくい細い身体。

体温

匂い


逢いたい。

早く、あの匂いを嗅がせてくれ。
お前に触れさせてくれ。
お前の体温をくれ。
その声で俺の名前を呼んでくれ。


記憶だけでは、どうにかなってしまいそうだ。

生身のお前が欲しい。
今、すぐに。




どこかに存在していると、信じていいだろうか…
俺はまた、アイツの気配を探して、鼻を啜りながら目をさまよわせた。

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