メインの壱

□黒犬
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犬ってね、飼い主のことを「御主人様」だなんて思ってないんだってね。

自分と同等、友達、もしくはそれ以下だと思ってるんだって。
ましてや餌をくれる人を、「手下」だと思ってる。
俺様が偉いから餌を献上してくれるんだと思ってる。

オレはあの人の飼い犬。
立派な忠犬。
演じてる。

だってオレは犬じゃないもの。



今日は珍しく沢山の餌を貰えた。
そして今からメインディッシュを頂戴しに行く。

「十四郎さん」

副長室の前に立ち、そう声を掛ける。
閨に就く時は、そう呼ぶようにと躾られている。

『入れ』
「失礼します」

襖を開け入り、後ろ手で静かに閉め、ゆっくりと十四郎さんに近づいていく。

ほんの少しの距離を空け立ち止まり、そこに腰を下ろそうとする。
すると、十四郎さんは自分の横の床をポンポンと叩き『もっとこっちへ』と、催促する。

オレはこんな時、恐ろしく冷静で、この後の閨事を思っても、心臓が跳ねることもないのだ。
しかし、十四郎さんの好みそうな表情で照れてみせる。
そうすれば、極上の餌にありつけるかも知れないからだ。

促された場所に腰を下ろすと、十四郎さんは、オレの頭に腕を回し、自分の肩に乗せるように引き寄せる。

ほら、こうやって優しくしてくれる。

無言。
どちらも口を開こうとせず、只こうして静かで穏やかな時間を堪能する。
そこにあるのは互いの体温だけで良いと。
こんなぼんやりとした時間の中で、十四郎さんは何を考えているのだろう。
オレのことだけを考えていてくれたら嬉しいな。

『退…』

沈黙を破ったのは十四郎さんの方だった。
オレに名前を呼ばせる代わりに、十四郎さんもこの時だけはオレを名前で呼んでくれる。
オレは黙ったまま瞳だけを上に向け、無言の返事をする。

『寒くないか?』

閨事の始まる合図だろうか。
別に寒くはない。むしろ風呂上がりの体には丁度良いくらいの気温。
しかし、そこは彼が期待する返事をする。

「少し…」

すると彼はきっと『暖めてやる』と言い、オレに餌を与えた気になるのだ。

オレは閨事なんかに興味はない。
こんな何の生産性のない、本来の意味を成さない行為。

しかも痛いし。
あのね、こっから愚痴ね。
よく見かける表現「中グショグショに濡れてる」とか、無いから。
あそこは出口。入り口じゃないの。本来挿入れるようには出来てないの。
だから、女性器のように、受け入れるための分泌液はどんなに頑張ったって出ないから。出ないから!!
後、あんな何回もイケないから。出したら醒めちゃうから!
全部幻想だから!!

すみません。ちょっと熱くなっちゃいました。

とにかく、初めて彼と躰を重ねた時、そんな現実を知ってオレは酷く興醒めしたのだ。

だけど、して貰えるということ自体はとても嬉しくて、オレはそれを拒めない。
素直に餌を頂戴する。
彼は与えた充足感に悦ぶ。
与えられて喜ぶオレを見て満たされる。
それをオレは歓ぶ。

『もう少しこっち、寄れるか?』

あら?少し予想と違う答え。

彼はオレの頭に添えていた手を腰に移動させ、ぐっと躰を引き寄せた。
その拍子に、横に流して崩していた足
が正座の形になり、背筋が伸びて、
さっきまで彼の肩に置かれていたオレの頭は、今度は彼の頭とくっついて、頬同士が触れ合う距離になった。

『退…』

言葉と一緒に漏れる吐息がくすぐったかった。

膝に置いていたオレの手に彼は手を重ね、指を絡めてきた。
ドキッとする程冷たい指先。

超至近距離で視線が絡み合う。
いつものように瞳孔は開きっぱなしだが、今日は何となく柔らかく、優しさを含んだその瞳は少し潤んでいる。
なんて艶っぽい表情。

『愛してる』

心臓が大きく脈打った。
はじめて、
言って貰えた。

極上の餌にありついた。

「あ…」

声が震える。言葉を返したいのに。
口が戦慄いて、声が出せない。
極上の餌は大きすぎて巧く飲み込めない。

『……迷惑だったか?』

言葉を詰まらせているオレに不安がって、そんな事を言わせてしまった。

「あっ…ち、違うんです」

やっと声が出せた。でもまだ震えてる。

「オレも…愛し」

言い掛けて口の前に人差し指を立てられ止められた。
オレが言葉を飲み込んだのを確認すると、彼の人差し指が離れ、

唇が重なった。

適わないと思った。

やっぱりオレは与えられた餌に素直に喜び尻尾を振る、誰かの幻想に忠実な飼い犬の化身なのだ。

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