☆Text-空白の石版-
□第二十八章 「ごめん」
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【SIDE:猿比古】
見上げれば、その建物は異常なまでに堅牢で巨大に見えた。
「....猿くん、大丈夫?」
「....多々良先生」
俺が無言で立ち尽くしていると、多々良先生が優しく俺に声を掛ける。
「別に、何も」
俺は短く言葉を返して彼を一瞥した。
(ここが、大蛇の―――美咲のいるビル)
オフィス用のビルと言うよりは、外装は高級ホテルに近い。
俺と吠舞羅のメンバー達はその巨大な建物の前で静かに覚悟を決めていた。
(美咲)
俺は小さく心中で呟く。
それから唇をきゅ、と歪めた。
(俺は、お前を助け出して....どうしたいんだろうな)
本当は....傍にいるだけでいいなんて綺麗事だ。
俺はお前に見て貰いたいし、ただ傍にいられるだけでは足りない。
(....今まで通りに?)
それで俺はいいのだろうか。
考えれば考える程、思考はぐるりぐるりと循環していく。
(けれど、ああ....美咲自身は何を望んでるんだろう)
俺は美咲を愛してる。
勿論、どんな美咲でも愛してる。
だからこそ俺は、彼自身の望みを受け入れるべきなのか。
(俺は、美咲をどうしたいんだ?)
どうされたいのかなら、簡単に答は出るのに。
―――愛されたい。
俺が美咲に望むのはそれだけだ。
「チッ....」
舌打ち、目を細めて宙を睨むと、不意に無機質な音が響く。
俺はハッとして目を見開いた。
音のする方へ意識を向けると、大蛇のビルの透明なガラス張りの入り口から数人の男が現れる。
「うわぁ....たまげたなぁ」
それを笑顔で見つめながら、多々良先生が小さく呟いた。
表情を見る限りでは驚いている様にはとても見えなかったが。
「....やっぱ、世界的な金持ちはヤバいな」
それに続いて板東が少し上擦った声で言い、それに翔平が苦笑する。
男達は皆一様にサングラスと黒のスーツ。
(マジかよ....)
何だかドラマの世界みたいだ、と瞬間思う。
これが金持ちの雇っているボディーガードという奴か?
「....」
男達は静かに場の状態を確認すると、その内の一人が一歩前に出た。
残りの男達が入り口の前に立ち塞がる。
恐らく一歩出てきたのがリーダーの男だろう。
男は表情一つ変えずに口を開いた。
「皆様、この様にお集りになって何のご用でしょう?」
穏やかな口調の割りに、妙な威圧感がある。
男の目は静かに俺達を値踏みするように見つめていた。
「....悪いけど、通らせて貰いますよ」
俺達の中からは草薙先生が一歩前に出て、言葉を交わす。
「アンタ方のトップから、俺の可愛い生徒を取り戻す為にな」
草薙先生はそう言うと、静かに目を細めた。
リーダーの男も草薙のその視線を受けて、同様に目を細める。
「すみませんが、人違いじゃ有りませんかね。ウチでお預かりしている学生さんはおりませんよ?」
「....お前さんら雇われ者は知らんだろうなぁ....けど、確かにココですよ」
相手の男は知らず存ぜずの態度で右手をひらつかせた。
対し草薙先生は静かに言葉を続ける。
草薙先生の折れない態度に、相手は笑みを深めた。
「まぁ、話し合いで納得して頂けないならば....力ずくでお帰り頂く事になるのですが」
「覚悟の上や」
男の言葉に、草薙先生はニコリと笑ってみせる。
手に持っていた煙草を口にはみ、フッと煙を吐き出して見せた。
お互い笑顔の上で淡々と戦争が始まっていく。
草薙先生は静かに吠舞羅の一員の顔を見渡した。
瞬間俺とも目が合い、俺は小さく頷く。
望んでいた訳ではないが、こうなる事は予想の上だ。
「そちらはざっと30人程ですね。少なくともプロに物量戦を挑むには少し心許なくありませんか?」
「馬鹿言いなや、これでもただのガキ共よりは場慣れしとる」
「はは、素行の悪い子供達のお守りも大変でしょうに」
相手はそう言いながら、入り口を守っていた男達を手招きする。
二人を残して男達は入り口から離れた。
両脇に部下の男を控えさせ、リーダーの男は小さく口元に笑みを浮かべる。
男の唇が静かに音を繰った。
「そういうのは勇気とは言わない....愚かと言うのですよ」
「―――いえいえ、それはどうでしょうね」
男の言葉に、別の声が重なる。
慇懃無礼な、そして聞き慣れた声だった。
(....まさか)
俺は驚いて振り返る。
他の部員も俺に続いて声の主の方へ目を向けた。
「彼らは知っているだけです―――ヒーローは少し遅れてやってくると」
「....!!」
蒼い髪をさらりと撫でつけ、声の主は自らの後ろに続く数十人を振り返って刹那微笑み掛ける。
長い睫毛、作り物の様に整えられた顔、そして手には―――フェンシング用の剣。
「剣を持って剣を制す、我らが大義に曇り無し」
「部長、相手は素手です」
声の主はそう言うと眼鏡をキュッと持ち上げて見せる。
その発言に隣の美女が静かなツッコミを入れた。
「....お前さんら」
彼らの登場に、草薙はポカンとした表情で小さく呟く。
それからバッと隣の多々良先生に視線を向けた。
その視線に多々良先生は笑顔を持って応える。
パチンとウインクを飛ばすと、多々良先生はニコリと口端を持ち上げた。
その微笑みに、草薙先生も二、三度瞬きして得心した様に笑い返す。
「....宗像部長に、淡島副部長―――それに、フェンシング部の雑魚共まで....」
俺は呆然としてそう呟くと、カチャりと眼鏡をかけ直した。
俺の言葉に多々良先生が苦笑する。
「猿くん、その言い方はないでしょ」
「あ....はい」
思考が上手く回らなかった。
どうしてここにフェンシング部の奴らが?
俺が目を瞬かせていると、宗像はコツコツと靴音を響かせながら俺の隣にまで歩を進める。
それからニコリと微笑んだ。
「....我々も手を貸しに来ましたよ」
「部長、何で....」
心底理解できず、宗像を見上げると、彼は涼しげな笑顔で言葉を返す。
「何、ここで美咲君に恩を売っておいて....後で散々好きにさせて貰うのですよ」
「部長マジ最悪ですね」
俺は宗像の言葉に躊躇いなくピシャリ言い放った。
こんなド変態まで美咲狙ってるってのかよふざけんな。
それから宗像は俺の視線にニコリと微笑むと、漸く大蛇のボディーガード共へ目を向けた。
「さて、我々も数に数えて貰いましょうか―――我々の剣は油断しているとチクリとしますよ」
宗像は眼鏡に手を掛けながらいやらしい笑みを浮かべる。
作り物の用に美しい顔であるのに、こういった瞬間いやらしい表情をするのが惜しい所だ。
ドヤ顔で最前列に並ぶと、宗像は剣を抜いて敵へと向ける。
そんな宗像に対し少し不安そうに草薙先生が声を掛ける。
「宗像、お前こないな事しおって....大会に支障が出るんと.....」
「ふ、ここに味方の教師が二人もいますからね....いざとなったら宛にしていますよ」
「....結局責任は俺が取るんかい」
草薙先生の言葉に宗像は笑いながら事も無げに答えた。
それに草薙先生が刹那項垂れて見せる。
「はは、草薙先生は大変だねぇ」
対し多々良先生は暢気な事を言って草薙先生に睨まれていた。
「多々良先生、アンタもやで」
「えぇっ、俺もぉ?」
弛い会話をしながら多々良先生がおどけた声を出す。
それに草薙先生はハァと一息溜め息をついた。
対しそんな俺らを眺めながら、相手の男は静かに笑う。
「....ふ、素人が何人増えようと変わりませんよ」
言いながら男は右手を持ち上げると、ピッと俺達の方へ振り下ろした。
男の指先が、俺達の喉元を指す。
「行け」
男の声が響くと同時に、彼の回りの部下達が一斉に俺達の方へ走り出した。
「お前ら!絶対一人になるなよ!!武器つかって早いとこ潰し!」
同時に草薙先生の声が辺りに響く。
俺はそれを合図に懐からスタンガンを取り出した。
吠舞羅の奴等もそれぞれ思い思いの武器を手に持つ。
視界が人で埋まった。
「へぁッ!!」
「オラァ!!」
周囲から掛け声が聞こえる。
同時に、渇いた砂の臭いがした。
舌に辛い空気を感じる。
(何としても....絶対に美咲を助ける....!!)
俺は一人雑念を振り払って心中で呟いた。
ギッと目を細め、前を睨んで駆け出す。
――――その瞬間だった。
「止めろお前ら!!!」
突然聞き慣れた怒声が喧騒を切り裂いた。
「!?」
俺は息を飲む。
吠舞羅の奴等もその瞬間、全員が一所に視線を向けた。
(....み)
俺は目を見開いた。
場の視線が一斉に建物の入口に注がれる。
そこには荒い息の美咲と、淡い微笑みを称えた大蛇が立っていた。
「美咲!!」
「八田ちゃん!!」
俺が叫び、続いて草薙先生が叫ぶ。
「....っ」
俺達の視線の先で、美咲は厳しい表情をしていた。
眉間に皺を寄せて、あの愛らしいつり目でこの場を睨み付ける。
「....お前達も止めろ....俺の指示が有るまでそいつ等には一切手出しするな!」
その隣で、大蛇がボディーガードの男達に命令した。
それから徐に美咲の身体を抱き寄せて耳元で何か囁く。
それを美咲は抵抗なく受け入れ、それから顔を伏せた。
「....美咲....!?」
視界の先で、美咲は静かに項垂れる。
手を伸ばしても、到底届かない距離。
(美咲―――――)
俺は思わず彼の方へ走り寄っていた。
反射的に美咲の方へ引き寄せられる様に、俺は真っ直ぐ美咲の元へ走る。
「....猿比古、来るな」
不意に、美咲の低い声が聞こえた。
その声に、身体がピクリと硬直する。
瞬間カッと身体が熱くなった。
「美咲、テメェどういう.....っ!?」
考えるよりも早く言葉が口から零れる。
美咲を目の前にして、俺の心は身体から半ば遊離していた。
けれどその言葉も、顔を上げた美咲の暗い瞳に吸い込まれて消える。
「....猿比古....ッ」
小さく、美咲の唇が戦慄く。
俺は息を飲んだ。
回りの連中も、固唾を飲んで俺達を見つめる。
「....」
美咲の瞳が瞬間切なく揺れた。
それから、美咲は地面に目を伏せる。
美咲は俺とも、吠舞羅の仲間達とも、目を合わせずに言い放った。
「――――ごめん」
シンとした空気に、美咲の震えた声が伝わっていく。
美咲の唇が瞬間歪み、それから美咲は自らのズボンをくしゃりと握り締めた。
美咲は一瞬更に深く俯き、そしてパッと顔を上げる。
「――――ごめん、俺はもう....お前らの所には帰れない」
そう告げるその顔は笑っていた。
けれど、その瞳には涙が貯まっていた。