☆Text-空白の石版-

□第二十六章 解りたくない
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【SIDE:猿比古】


「――――それじゃあ、明日....八田を助けに行こうか!」
「え?」

俺が大蛇の元へ出向いた翌日。

連日同様に吠舞羅の部室に集まった俺達を見つめ、多々良先生は満面の笑顔でそう言い放つ。

(....は)

その言葉に俺は刹那硬直した。
唐突な言葉に思考が上手く回らない。

(何言って....?)

明日ってどういう事だよ。

俺が内心で呟くと、吠舞羅のメンバーもぽかんとした表情で多々良先生を見つめていた。

「助けに行くって....そんな、大蛇の居場所もまだ分かってないのに」

最初に三下が口を開き、周りの部員を見回す。
俺も不本意ながら三下と同様に思って、目を細めて多々良先生に視線を向けた。

その様子を眺めて多々良先生が優しく微笑む。
その隣で草薙先生が微妙な苦笑を浮かべた。

草薙先生がこういう表情してる時は、大体多々良先生が善悪の判断の難しい微妙な事をした時―――

「ふふ、昨日猿くんが大蛇の所に行っただろ?」

多々良先生の悪戯気な声が部屋に響く。
その言葉に俺は瞬間彼を睨んだ。

「チッ....そんな事言ったって、俺、アレが何処なのか全く....」

小さく呟き俯くと、多々良先生に肩をぽんと叩かれる。
ゆらりと顔を上げると、満面の笑顔の多々良先生と目が合った。

「大丈夫、猿くん。俺が知ってるから!!」
「....?」

綺麗な笑顔で言う多々良先生。

自信満々の多々良先生に、俺は眉根を寄せる。
その様子に草薙先生がそっと頭を抱えるのが視界の端に映った。

部員達の視線が多々良先生に注がれる中、多々良先生は喰えない笑顔で言葉を紡ぐ。

「あのね、俺....実はあの時、猿くんに発信器付けてたんだ!」

「.....は」

瞬間、部屋に沈黙が走った。

「....」

俺は唖然として多々良先生を見つめる。
部員達も各々目を見開いて多々良先生を見つめていた。

「ほら、猿くんの服に八田のボタン付けたじゃん。その時に....発信器も、ね?」

多々良先生はそう言うとコテンと首を傾けてみせる。
そんな可愛らしい仕草も、今は可愛らしく見えなかった。

「発信器って、アンタ....何でそんなもの」
「あはは、俺、多趣味だから〜」

俺が引きつった顔で尋ねると、多々良先生はさらりとその言葉をかわしてくる。

草薙先生が俺達の会話に小さく溜息を吐いた。

恐らく草薙先生だけは俺達より早くそれを告げられていたのだろう。
通りで草薙さんの顔に苦い微笑みがさっきから張り付いていたわけだ。

「ごめんよ、猿くんには初めから教えておこうかとも思ったんだけどさ....知ってると猿くんも意識しちゃうでしょ?それで大蛇に発信器バレたら嫌だなって思って....」

多々良先生はそう言うと、ゴメンと掌を合わせる。
善意からやっているのだろうが、セーフかアウトか際どい事ばかりする人だ。

「....」
「そんな顔で睨まないでよ猿くん。これで八田の居場所も分かったんだから」

多々良先生はそう言うと、にこりと笑う。

....そう言われたら、もう何も言えない。

(っこれで....美咲を助けられる?)

美咲を助けること。
それが俺達の至上目的だから、確かにこれでいいのだろう。

結果的にこれで俺達はあの狡猾な大蛇を一歩追いつめられたのだから。

「美咲....」
「うん、早く助けてあげないとね」

小さく呟けば、多々良先生が目を細めて微笑んだ。

早く、助け出したい。
そして一日でも早く、美咲との日々を取り戻したい。

(....それは、本心なのに)

不意に、胸の中に一抹の疑念が燻る。
それは自分でも理解できない、薄く澱んだ感情だった。

一方多々良先生の笑顔に促されてか、俺の背中からは翔平の快活な声が響く。

「っしゃあ!!やっと、やっと八田さんを助けられるんだ!!やった!な、三ちゃんッ!!」

ゆっくりと声の方へ振り向くと、翔平の満面の笑顔。
羨ましい位に迷い無く、俺達の一手を喜んでいる表情。

翔平は言いながら隣の板東に拳を突き出した。
その行動に、板東も一瞬驚き、それからニッと口元に笑みを浮かべる。

突き出された翔平の拳に自身の拳で応えた。

「....翔平、っそーだな!!つーかお前美味しい所だけ持ってくんじゃねぇよ!!」

板東がそう言って翔平を睨み付けると、周りの部員も緊張が解けた様で笑みを浮かべる。

出羽が隣の千歳に目配せし、再び二人で笑みを浮かべた。

「っしゃ!!やってやるか!!漸く八田さん奪還だな!!」

流れを汲んで千歳が勢い付けて言う。

部員達はそれに賛同して各々声を上げた。
漸く、この部活に普段の明るさが戻ってくる。

(....)

俺はただその様子をぼんやり眺めていた。

「....多々良センセ」
「何、草薙先生」

歓声を上げる吠舞羅の奴らの様子に、草薙先生が小さく多々良先生の名前を呼ぶ。
見ると、草薙先生の顔は何かを堪えるように口元を引き結んでいた。

「やっぱり、多々良先生には敵わんわ....」
「そう?俺はただ、多趣味なだけだよ?」

草薙先生は盛り上がる部員達を静かに見つめると、その瞳を細める。
多々良先生は飄々とした態度で言葉を返して同じように微笑んだ。

「....アホみたいに騒いで、ホンマに煩い奴らやな」
「はは、そうだね」

草薙さんはそう悪態を吐きながらも瞳は愛おしそうに彼らを見つめる。

多分、嬉しかったのだろう。

美咲を失ってから、この吠舞羅という纏まった世界は輝きを失っていたから。
普段通りの馬鹿騒ぎする姿が、本当はとても愛おしかったに違いない。

それこそ、美咲のいる日常を取り戻したように錯覚してしまう様な気分だったのではないか。

「....吠舞羅か」

俺はそんな彼らの傍らで一人小さく呟いた。

(美咲....)

幸せの香りがする空間。
改めて、ここが美咲の愛した居場所なんだと痛感した。

(....)

胸がチリと痛む。

(結局美咲は)

何時だって俺のものにはなってくれないんだな。

俺は心中で小さく呟いた。
名状出来ない粘ついた感情が、ぐるりと心臓の内側で攪拌される。

(クソ、何を俺は....)

美咲を明日取り戻す。
それだって上手くいく確証はないんだ。

まずはそれを一番に考えなくては。

(....けど)

大蛇の元から取り戻しても、美咲は吠舞羅に帰っていくだけ。
俺の元に帰ってくる訳では無くて。

あくまで彼奴は"吠舞羅の一員"に戻るだけ。

俺はそっと小さく息を吐いた。
唇を自身の熱い吐息が撫でる。

俺は静かに目を細めた。

(....当然か、結局俺は....美咲を助けられなかった)

美咲を助けるための最大の一手を打ったのは多々良先生―――吠舞羅の人間で。

その事実が妙に胸に支える。
言い表せない暗闇が胸の中で燻った。

(チッ....別に、美咲を助けたのが俺じゃ無くてもいいだろ....)

頭ではそう思うものの、感情はそれとは裏腹に徐々に熱を持っていく。

―――この感情が幼稚なものだと、本当は自分でも気付いていた。

(大蛇から取り戻しさえすれば....また、会える....俺も美咲と一緒にいられる....)

そうだ。
日常を取り戻す事。

それだけでいいんだ。

「....」

それなのに、こんなにも頭の中は相反する思考や疑念でグチャグチャに塗り潰されていく。

(....俺は―――)

制服の裾に指を掛けると、それは指先でくしゃりと歪んだ。

(美咲....)

本当は、美咲には俺だけ見ていて欲しい。
吠舞羅より、俺だけを優先させて欲しい。

こんな幸せの香りの中にいないで、俺の執着の腕の中で愛に溺れて欲しい。

「....美咲」

小さく呟く。

美咲、美咲を取り戻す。

「....」

妙に実感が沸かなくて、俺は目を細めた。

(....大蛇を追いつめたのは、"吠舞羅"の多々良先生)

俺は小さく自嘲する。
心臓が鈍く痛んだ。

突然打たれた王手。
王は目前だ。

(美咲....)

美咲を取り戻す。
それだけ考えていればいいのに。

美咲を取り戻す為の、最も重要な一手が打たれたのに。

(俺は―――)

心は何処か晴れずに、俺はただ俯いていた。

ゆっくりと瞼を落とすと、瞼の裏に蘇る多々良先生の微笑み。

『八田を手に入れられるのは一人だけど....一人で手に入れなきゃいけない訳じゃないよ』

あの日多々良先生に言われた言葉が、今更ながらに脳裏に響いた。

『一緒だから、何とかなる事もあるんだよ』

俺はその言葉を思い出し、静かに口元を歪める。

(多々良先生は、相変わらずだな....)

まさか後に俺がこんな幼稚な感情を抱く事を見越して、彼はあんな事を言ったのだろうか。

「....は」

多々良先生のその言葉が、今になって胸を貫いた。

どうして今更になって、あの時の多々良先生の言葉が心臓に突き刺さるのか。

きゅうと胸が締め付けられる。
俺は自身の感情が、何で有るのかに気付いてしまった。

(あぁ、そっか―――)

「サルヒコ....?」

ふと見ると、直ぐ傍にアンナが佇んでいた。
お気に入りの紅いビー玉越しに俺を見つめて、俺の名を呟く。

「....アンナ」

俺は呼び返し、瞬間口元に自嘲気味な笑みを結んだ。
俺の表情に、アンナが小さく目を見開く。

(―――そうだ、俺は....俺自身の手で....美咲を助けたかったんだ)

くだらない。

自分でもそう思う。

けれど俺は心の奥底ではそれを願っていたし、そうなるとも思っていた。

(だって、世界には....俺と美咲の二人しかいない筈だから)

いや、そう願っていたからか。

だから美咲を助けるのは俺でなくてはいけなくて。
ある種、それが当たり前とすら思っていた。

(....けど)

美咲にとって俺は、沢山の中の一人で。
俺以外が美咲を愛する事も、助ける事も、そして彼の特別に成り得る事も、本当は当たり前の事だった。

―――結局、二人きりの世界なんてただの夢物語だったんだ。

身体が小さく震えた。
肌が泡立つ様な感触がする。

二人きりの世界なんて、本当は何処にもなかったのか。

(―――"あれ"は思い出の中にしか、無かったのか....?)

美咲を助けるのは俺で無くても良かった。

この世界の登場人物は他にも沢山いて、俺はその中の一人で。
美咲の視界の中で、沢山の人の中で埋没していく存在―――?

瞬間、視界が歪んだ。

―――吠舞羅を止めたあの日。
本当は頭では解ってしまっていた。

自分の求めているものが、幼い日々特有の幻で有った事に。
周りの人間なんて誰一人目に入らなくて、お互い以外見えなくて。

まるで、世界に二人きりで生きている様な錯覚。

それは、"今の俺達"には取り戻せない世界なんだろうか?

「....サルヒコ、大丈夫?」

アンナが小さい声で尋ねる。
俺はその顔をぼんやりと見つめ返した。

「チッ、別に―――何でもねぇよ」

素っ気なくそれだけ言うと、俺は再び俯く。
そうとしか答えられなかった。

本当は解っている。
けれど、認めたくなかった。

(俺は)

美咲はいつの間にか、俺だけじゃなくて、色んな人を見ていて。

そして、それが"今の美咲"なんだ。

美咲自身が選んだ選択や望んだもの。
それも全て含めて、俺の愛する美咲。

(それなら)

それを否定する事は、美咲自身を否定する事?

(俺はずっと、ずっと....今の美咲自身を否定してたのか?)

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