☆Text-空白の石版-

□第二十三章 切愛
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【SIDE:猿比古】


―――溺れる夢を見た。

ゆっくりと身体が水に絡め取られて深遠へ沈んでいく。
水面に揺らぐ煌めきが、徐々に遠くなっていった。

(美咲―――)

手を伸ばしたら、美咲が俺の手を握り返してくれる様な気がして。

(そんな事、有る筈がないのに....)

息が出来ない苦しさの中、俺は自嘲した。
唇からこぽりと空気が浮かんでいく。

喉の奥に、苦い水が流れ込んだ。

(美咲がここにいる訳がない.....)

瞳から、熱い雫が水に溶けていく。

美咲が、いる訳がないんだ。
俺は、大蛇から美咲を助けられなかったんだから―――

苦い水が、俺の身体を満たした。

(美咲....)

身体が重たくなって、意識が遠のく。

(みさき....)

俺は、深い底へと沈んでいった。


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【SIDE:草薙】


伏見が八岐大蛇の元へ出向いた、その日の夕方。
伏見が学園の前で見つかった。

意識がない状態で、身体は冷たく冷えていたらしい。
発見した吠舞羅のメンバーに運ばれ、今は保健室で眠っているが、なかなか意識が戻らない。

(外傷は無し....か)

ひとまずはそれに安堵しながらも、それを手放しに喜ぶ気にもなれなかった。

(八岐大蛇は一体....伏見に何をさせたんや....?)

俺は学園の中庭で、静かに一人考え込んだ。

(一体....何が目的や、八岐大蛇)

事によっては、取り返しの付かない傷を八田と伏見の双方に刻み付けられている可能性がある。
そう思案し、俺は目を細めた。

八岐大蛇にとって、自ら伏見に連絡を取る事自体にメリットが有る筈がない。
八岐大蛇は八田を連れ去って、俺達から"逃げ切りたい"のだから。

自ら自身の存在を伏見に誇示する必要性は何もない。

しかし、それでいて八岐大蛇は自ら能動的に伏見に対しアクションを起こした。

それはその行動が何らかの意図を持っていることを明白に物語っている。

(八岐大蛇が興味あんのは八田ちゃんに関することだけ....)

俺はそっと煙草を取り出すと、それに静かに火を付けた。
煙草を銜え、煙を吸い込むと刹那脳が休まる。

(自然に考えると...."八田ちゃん"に何かする為に、伏見が必要だったとしか、考えられんな)

浅く息を吐き、立ち上る煙を見つめた。
ゆらゆらと不安定に煙が空へと立ち上っていく。

(....例えば―――)

俺は刹那顔を歪めた。

八岐大蛇は八田の事が好きで。
口には出さないが、八田も伏見の事を大切に思っていて。

―――"既視感"

そんな言葉が俺の脳裏を過ぎった。
この時、八岐大蛇が最も気にくわない事なんて大方予想が付く。

(最悪の想定やな....)

俺はハァと溜息を吐いた。

煙草の煙が静かに立ち上る。
その煙を目で追うと、そっと俺は瞳を閉じた。

(八田ちゃん....泣いてないやろか)

....ほんの数日前までは、アホな八田ちゃんに平和な部室で勉強を教えてやれるのが普通だったのに。

俺は心中で呟いて苦笑した。
今になって、自分が八田と過ごす日常を深く愛していた事に気付く。

「....ハ、夢なら、早う醒めてくれ」

何も出来ない自分が、口惜しかった。

それでいて、同時に今こそ頼りたい人物が傍にいない事への不安を感じる。
不動の安心感を与える彼が、傍にいない。

(尊....何で連絡出てくれんのや....)

俺は心中で小さく呟いて、俯いた。


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数時間後。
辺りが暗くなり始めた頃。

『草薙先生、猿くん目を覚ましたよ!』

多々良先生から携帯に連絡が入り、俺は保健室へ出向く。

「入るで」

小さく言って、俺は保健室の扉を開いた。

直ぐに視界に入ったのは、ベットの傍らに付き添う多々良先生と、ベットから身体を起こした体勢の伏見。
俺の方へ顔を向けた伏見の瞳には生気がなかった。

「伏見、もう大丈夫何か?」
「....はい」

声を掛けると、鬱々とした声で伏見が返事を返す。
明らかに何か有ったと言う様子だ。

(....これは)

....覚悟した方がいいかもしれん。

俺は心中で呟いて目を細める。
ちらりと多々良先生の方へ視線をやると、多々良先生も困ったように目を細めた。

俺を見つめながら、多々良先生は静かに口を開く。

「草薙先生、覚悟しておいた方がいい」
「!!」
「猿くんが.....おかしいんだ」

そう言い終えた多々良先生の表情が、少し悲しげに歪んだ。
俺はその言葉に息を飲む。

瞬間、伏見の瞳がジロリと多々良先生を睨め付けた。

それに気付いているのかいないのか、多々良先生は静かに言葉を続ける。

「あのね、草薙先生.....猿くんってば....」
「....多々良センセ、無理に言わんでも」

言葉を続ける多々良先生に、俺は刹那焦って言葉を止めようと口を開いた。
そんな俺と多々良先生の様子を一瞥し、伏見が小さく忌々しげに舌打つ。

対し、多々良先生は相変わらず掴み所の無い表情で言葉を続けた。

「猿くんってば....俺の作った特製八田写真、喜んでくれなかった....」
「チッ!!」
「は?」

多々良先生の言葉に被せるように、舌打ちが響く。
俺は間の抜けた声を上げて立ちつくした。

(八田ちゃんの、特製写真....?)

沈黙が訪れ、伏見が多々良先生をジロリと睨む。
それから心底面倒そうに抗議の声を上げた。

「何で俺がそんなもので喜ばなくちゃいけないんですか....」
「だって、伏見だよ....?」
「何ですかその理由....第一美咲の写真なら俺の家にはもっと過激な奴が一杯あr....」

そこまで言い掛けて、伏見は口を噤む。
ハッと気付いた様に目を伏せると、舌打ちして多々良先生を睨め付けた。

「....」

一方、二人の会話に俺はただ沈黙する。

流石は多々良先生というか、案外場が和んだ。
伏見自身はより不機嫌になってしまった様にも見えるが。

(....まぁ、流石は保険医と言おうか何と言おうか)

俺は小さく溜息を吐くと、漸く口を開く。

「取り敢えず伏見。大蛇の所で何が有ったのか、話してくれへんか?」
「....」

俺の言葉に、急に伏見が硬直した。
静かに、伏見の表情が暗く曇っていく。

伏見は刹那目を伏せ、それから静かに口を開いた。

「....美咲を、傷付けろと....言われました」
「!!」

伏見の言葉に、俺は目を見開く。

(やっぱり....八岐大蛇の狙いは八田ちゃんを....!!)

伏見は暫く沈黙すると、それからぽつりぽつりと言葉を紡いでいった。

「それで、彼奴は俺に....美咲を自由にする代わりに『美咲は俺の人生に必要なかった』と言えと....」

伏見の声が徐々に小さく、か細くなっていく。
震えた声で、伏見は漸くそれを言い切った。

多々良先生が、伏見の言葉に刹那肩を揺らす。
刹那瞳が鋭く細められ、その瞳が宙を射抜いた。

(....エグい事考えるもんや....八岐大蛇)

俺は心中で呟いて、伏見の顔を見つめる。

(....それを要求されたとき....伏見は)

どれ程の痛みを味わったのか。
それは俺には想像も付かなかった。

(そして....そんな事を言われたら―――八田ちゃんは....!!)

血の気が引く。
脳裏に刹那、伏見に拒絶され、否定されて、ボロボロに傷付いた八田の姿が浮かんだ。

伏見にそんな事を言われて自由になっても、八田の心はそれこそ一生その傷に縛られることになる。

「美咲を、自由にすると.....八岐大蛇は約束した」

凍え付いた場の中、伏見の震え声が響いた。
伏見はそう言うと、きゅ、と唇を結ぶ。

俺は刹那再び息を飲んだ。

―――ここに、伏見の胸に刺さった棘がある。

そう漠然と感じて俺は顔を上げた。
伏見と目線を合わせると、伏見の瞳の中の景色はうっすらと揺らいでいて。

「それなのに、俺は....言えなかった―――」

静かに、震えた声が伏見の唇から紡がれた。

その言葉に、俺と多々良先生は目を見開く。
それから二人で瞬間顔を見合わせた。

("言えなかった"!!)

俺は心の中でその言葉をなぞる。
刹那、心の内から最も恐れていた不安が、静かに消えていった。

「美咲を、自由に出来る唯一の機会だったかも知れない....それなのに、俺は―――!!」

伏見の表情が、歪む。
後悔と自責に苛まれているのか、伏見は目を伏せた。

伏見は口を噤むと、ぐしゃりとベットのシーツを両手で掴む。

まるで、後悔の海に溺れて仕舞わない様に、何かに縋るような仕草だった。

「....」

俺は伏見の言葉に、静かに再び多々良先生を見つめる。
俺と目が合うと、多々良先生も少し緩んだ笑顔を見せた。

(伏見、後悔する事なんてない....)

....八田ちゃんを、心から傷付けずに済んだのだから。

自責の念に押し潰されそうになっている伏見とは対照的に、俺と多々良先生の胸には安堵の思いが満ちていた。

もしも伏見が、八岐大蛇の言葉通り、八田を否定し傷付けてしまっていたら。
きっと八田の心に、深い、消えない傷を残しただろう。

俺は静かに多々良先生に声を掛ける。

「多々良先生、今から少し伏見借りてもええか?」
「....うん。猿くん、身体はもう大丈夫?」

多々良先生が伏見に声を掛けると、伏見がゆらりと少しだけ顔を上げる。

静かに俺と多々良先生の顔を見比べ、小さく頷いた。

「....大丈夫、です」
「そっか、うん!良かった」

多々良先生は笑顔で言葉を返すと、くるりとデスクの方へ身体を向ける。
がさがさとデスクの中を漁ると、暫くして二三枚の写真を手に向き直った。

「猿くん、コレをあげるよ」
「....は?」

多々良先生は静かに伏見に数枚の写真を手渡す。
ちらりと見えた写真の中の人物は、勿論八田。

それも、妙に肌色が多いような。

「去年のプールでの八田の写真だよ。流石に撮ってる暇もなかっただろうし....プール授業の写真は持ってないんじゃない?」
「....」

多々良先生はそう言うと綺麗な笑顔を伏見に向ける。
伏見は少し戸惑いがちに写真に目をやると、ちらりと多々良先生に視線を戻した。

「貰っても....いいですけど」
「うん、あげるよ、頑張ったご褒美にね」

「は....ご褒美?」

伏見が妙に素直じゃない返事を返すと、多々良先生はにこりと笑う。

(....これは、何で多々良先生がそんなもん撮ってるのかは....突っ込んだらアカンよな)

俺はその異様な光景に、心中で悶々とフラストレーションが溜まるのを感じながらもぐっと言葉を呑み込んだ。

素直に笑わないが、受け取ったということは伏見も内心満更ではないのだろう。
....これは、恐らく必要悪という奴だ。

俺は無理矢理自分を納得させると、静かに笑った。
写真をまじまじ見つめる伏見に、優しく声を掛ける。

「....そしたら伏見、俺からも大人のジュース奢ったる」
「え、は....?」

俺の言葉に、伏見は戸惑いがちに俺を見返した。
その瞳にはありありと困惑が浮かんでいて。

その様子が少しおかしくて、俺は小さく破顔した。

「そないな顔すんなや伏見」
「....奢るなんて....何で、そんな」

俺の言葉に躊躇いがちに言葉を返す伏見。
心底訳が分からないと言った様子で俺達二人の表情を盗み見る。

そんな伏見に、多々良先生も静かに笑った。

「何でなんてさ、決まってるよ猿くん」
「....?」

多々良先生の言葉に、伏見が訝しげに彼を見上げる。
多々良先生はそんな伏見と視線を合わせながら、優しく言葉を繰った。

「答えは簡単―――俺も、草薙さんもね....八田の事をとても愛してるからさ」

部屋に、多々良先生の声が反響する。
伏見は怪訝そうに目を瞬かせた。

多々良先生は優しく笑う。
そして静かに、俺と、多々良先生の二人の気持ちを告げた。

「だから俺達は、猿くんがね....八田を傷付けないでいてくれた事に―――心から感謝しているんだよ」

そう言うと、多々良先生は静かに伏見の掌を淡く握る。
伏見が瞬間唖然として多々良先生を見返すと、多々良先生はそっと瞳を閉じた。

多々良先生の唇から、静かに優しい音が零れる。

「猿くん、八田を傷付けないでくれて.....本当にありがとう」



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伏見→美咲:溺愛
大人組→美咲:切愛
って感じがします(^o^)

どちらも愛には違いないです。




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