☆Text-空白の石版-
□第十六章 戦争
1ページ/1ページ
【SIDE:猿比古】
俺の日常から、美咲がいなくなって一週間が過ぎた。
「....部長、俺今日も休みます」
放課後、三年の教室に響く俺の声。
目の前にはフェンシング部の部長である宗像礼司が無表情で立っていた。
宗像の目が瞬間細められ、俺を見据える。
(チッ....その見透かす様な目、止めろ)
俺は内心で舌打ちすると少し俯いた。
今日で一週間ずっと部活に出なかった事になる。
美咲の囚われている場所の手掛かりを探すのに、部活にかまけている時間など無かった。
授業も出るつもりは無かったが、草薙先生にきつく止められて仕方なく出ている。
草薙先生曰く、『八田ちゃんと伏見が二人揃って同時に学校来なくなってみ?学園中の女子の噂になるで』との事。
....噂って何の噂だ。
美咲と俺が付き合ってるとか愛の逃避行だとか、そういう噂なら積極的に流して欲しいくらいだが。
(まぁ、あの人の真意はどうせ別の所だろ....)
俺は静かに草薙先生の内面の現れない表情を思い出す。
あの人は何時だって、物事を総体的に見ているんだ。
―――草薙先生は多分、俺の生活を壊したくなかったのだろう。
草薙先生も、美咲の事が大事で、自分の事なら幾らでも犠牲にしかねない癖に。
俺の普通の生活も守ろうとしているんだ。
(チッ....俺の事なんて、どうだっていいのに)
美咲がいないなら、こんな日々に価値なんてない。
「....」
そこまで思案して、俺はちらりと宗像に目線をやる。
宗像は少し考え込んでいるようで、小さく小首を傾げて俺を見返した。
もう一週間、理由も告げずに部活を欠席し続けているのだ。
宗像も流石に黙認してくれないか....
「伏見君」
「....なんすか」
不意に、宗像が口を開いた。
宗像の瞳は相変わらず色を宿さず、彼の感情は読みとりにくい。
「何か、あったのですか」
宗像の唇が音を紡いだ。
その言葉に、俺は目を見開く。
「....いえ」
「伏見君が部活を休み始めたのは丁度一週間ほど前」
小さく呟くと、宗像の言葉がそれを遮った。
冷や汗が、背筋を伝う。
宗像の作られた様な瞳が、俺を捉えた。
「....丁度、八田美咲が学校に姿を現さなくなって直ぐです」
「っ!!」
俺は息を飲む。
核心を突かれて俺は硬直した。
宗像は静かに俺を見下ろす。
「伏見君、事情の説明はして貰えないのですか?」
「....」
俺は言葉に詰まった。
小さく息を飲み、宗像の瞳から逃れるように顔を逸らす。
胸の内側が重たく沈んだ。
(....事情なんか、言えるかよ....)
上手く言葉が出てこない。
「....」
俺が言葉を見つけられないでいると、宗像は俺にずいと顔を近づけた。
....その陰険な催促はやめろ。
(....ちょ、近)
宗像の長い睫毛が顔面に迫る。
この人の距離感覚どうなってんだ。
拷問か。
これが宗像じゃなくて美咲の顔だったらご褒美だったのに....
「....」
「....まぁ、いいでしょう」
俺がそれでも黙っていると、宗像は諦めたのかそう零した。
それから俺から顔を離すと、眼鏡をきゅっと上げる。
「淡島君のアンコに共に立ち向かった者同士....いつか話してくれると信じています」
「....部長」
宗像は静かに俺に微笑み掛けた。
その笑顔に、俺は益々居心地の悪さを感じて俯く。
(チッ、だから....苦手なんだ)
草薙さんも、宗像部長も....ついでに多々良さんもだ。
彼らが爬虫類みたいな冷徹な人だったら良かったのに。
優しさの欠片も、人間味の欠片も無い人だったら。
「....失礼します」
「はい、せめて自主練位はして下さいね」
もしそうだったら....俺は、こんな煩わしい気持ちを持たずにすむのに。
(....美咲)
俺は踵を帰して、吠舞羅の部室へ急いだ。
「チッ」
手を取れないのに、手を差し伸べられるのは苦痛だ―――
(いっそ、俺と美咲以外の全人類消えていなくなればいいのに)
美咲を手に入れるために切り捨てたものが、何の価値も持たないものだったら良かったんだ。
「チッ....!!」
俺は再び舌打ちして、拳を握る。
自身の爪が掌に食いみ、じわりと痛みが広がっていった。
------------------------------------------
【SIDE:宗像】
「....」
(結局、伏見君は何も話してくれませんでしたね....)
私は心中で呟くと、静かに教室の一番後ろの席に目線をやった。
八田美咲と丁度同じ日に、欠席し始めた人物の席―――
(八岐大蛇....)
彼らの一連の異変が、何処か偶然に思えないのは何故か....
(八田美咲に、八岐大蛇....そして、伏見君)
これだけの要因が、ほぼ同時期から一斉にそれまでとは違う動きをする。
十分、何か互いに関係があると疑うに足るだろう。
「....八田美咲か」
私は静かに眼鏡を押し上げた。
キランと眼鏡が光を反射して光る。
(伏見君の前で、今度は八岐大蛇の名前も出して見ましょうか―――)
------------------------------------------
【SIDE:猿比古】
「あ、猿くん!」
「....多々良先生」
吠舞羅の部室に入ると、椅子に座った多々良先生が俺に声を掛けた。
吠舞羅のメンバーは皆外へ情報を集めに行ったのか、今部屋には俺と多々良先生の二人―――
ほんの少し、俺は身構えた。
「猿くんを待ってたんだ」
「俺をですか?」
多々良先生がにこりと俺に笑い掛ける。
相変わらずの綺麗な笑顔だった。
「そう、これを渡したくて」
多々良先生はそう言うと俺を手招きする。
俺は若干躊躇いながらも彼の傍まで歩み寄った。
「....ほら、この間ね―――猿くんが貧血で倒れた日」
多々良先生は俺の前に淡く握った掌を突き出す。
それからそっとその拳を開いた。
掌に握られていたのは、制服のボタン。
「....ボタンですか?」
「ベットの下に落ちてたんだ」
俺はそのボタンをそっと手に取ると、静かに自身の制服に目をやる。
ボタンは全て揃っていた。
「....」
「多分、八田のでしょ」
「....そう、ですね」
俺は受け取ったボタンをそっと握ると、多々良先生を一瞥する。
多々良先生は悪戯気な瞳で俺を見た。
「ボタンが取れるような事なんて、何をしたのかな」
「....」
多々良先生の言葉に、俺は再び言葉を詰まらせる。
何なんだよ今日は。
言葉責めばっか受けている気がする。
「八田嫌がってた?」
「....割と良さそうにしてましたけど」
多々良先生の言葉に、俺は小さく応えた。
俺の言葉を受けて、多々良先生がにっこり笑う。
正直怖い。
(....笑う場面じゃねぇよなここ)
俺は得体の知れない彼の笑顔に少しばかりの畏怖を覚えながらも、静かに言葉を待った。
暫くすると、多々良先生が口を開く。
「....そのボタン、もう一度見てごらん」
「ん、はぁ....」
俺は言われた通り、掌のボタンに目をやった。
特に何と言うこともないボタンだ。
「それ、ボタンの表面にちょっと爪で傷付けた様な痕があるよね」
「え、ああ....ホントだ」
くるりとひっくり返すと、ボタンの表面が少し抉れているのが見て取れる。
多分爪でひっかいた拍子に取れたんだろう。
多々良先生は優しげな笑顔をキープしながら俺に尋ねた。
「で、どっちの爪?」
「....どっちの爪なら納得するんですか」
にっこり笑うその顔が怖い。
「あはは、そんな....ただの清潔検査だよ?俺、保険医だからね....」
「....」
多々良先生は爽やかに笑うと、右手をひらつかせた。
爪先を俺に向けて微笑する。
それから俺を一瞥すると、再び口を開いた。
「そのボタン、早く八田に返してあげないとね」
「....多々良先生」
不意に、部屋に多々良先生の優しい声が反響する。
(....)
本当、喰えない人だ。
....絶対この人ラスボス気質だよな。
(....そうだ、一刻も早く....)
早く、美咲を助けないと。
心中で呟いて、俺は小さく溜息を吐いた。
それから少し首を回して多々良先生に声を掛ける。
「....で、それだけですか?それだったら俺もう美咲を探しに行きたいんですけど....」
「ああ」
俺の言葉に、多々良先生は瞬間目を細めた。
刹那その瞳が翳る。
「もう一つ」
多々良先生は小さく呟いた。
俺は今一度多々良先生に視線をやる。
一瞬、多々良先生の表情が固くなった気がした。
一拍おいて、多々良先生の形のいい唇が動く。
「....八岐大蛇について」
「!」
八岐大蛇。
その名前に俺は刹那硬直した。
俺の日常から美咲を奪った張本人。
「....チッ、彼奴がどうかしたんですか?」
俺は不愉快を隠しきれずに少し声のトーンを落とす。
多々良先生はそんな俺を一瞥すると、静かに唇を動かした。
「....俺、言ったよね。八岐大蛇には縦の概念しかないって」
「....はい」
「そんな彼が唯一手に入れた、隣に立ってくれる存在....それが八田なんだと思うんだ」
多々良先生の言葉が、ぽつりぽつりと場を打つ。
真っ白なページに物語を描く様に、多々良先生の言葉は俺の胸に染み込んでいった。
(....)
多々良先生の言葉に、ちり、と胸が疼く。
その胸に、再び多々良先生の言葉が滲み入った。
「八岐大蛇は、初めて自分と同じ目線に立ってくれる人を見つけたんだ」
その言葉に、心臓がどくんと脈打つ。
(....それは)
俺は小さく肩を強ばらせた。
息を飲むと、多々良先生はゆっくり俺と目線を合わせる。
多々良先生の瞳に、俺の顔が映って揺れた。
静かに多々良先生は言葉を紡ぐ。
「まるで世界に二人きりだって.....八岐大蛇は感じてるんじゃないかな」
多々良先生の言葉が、静寂の中に落とされた。
後には、冷たい静けさが残る。
俺は瞬間言葉を失って目を伏せた。
「....それは」
まるで、俺と美咲の様じゃないか―――
俺は胸の内で呟いて、目を見開く。
世界に二人きり。
それは、嘗ての俺と美咲の様で。
またそれは、俺の望みでもあって。
「....猿くんも知ってる気持ちじゃないかな?」
多々良先生は目の前で硬直する俺に向けてそう囁いた。
彼の優しい声が、妙に俺の内側を圧迫する。
「....多々良先生」
「伏見」
不意に多々良先生は静かに俺を見つめた。
真摯な眼差しに、俺は小さく息を飲む。
「八田と世界で二人きりになれるのは一人だけだよ」
多々良先生は静かに言い放って俺を見つめた。
(....)
俺は再び言葉を失ってただ彼を見つめ返す。
美咲と、世界で二人きりになれるのは一人だけ―――
その言葉が、徐々にリアルに輪郭を持ち始めた。
そして俺はその事実の抱える、飲み下せない棘に気付く。
「多々良先生....」
「....はは、大丈夫大丈夫、何とかなる!」
苦々しく俺が呟くと、不意に多々良先生はぱっと笑顔を向けた。
「....」
「恋は戦争って言うし、よくある事だよ」
その言葉に、まるで何でも無いかの様に言う彼とは裏腹に俺は一人眉根を寄せた。
(警告しておいて....)
―――彼は、俺に覚悟を決めろと言いたかったのか。
多々良先生の気持ちは今ひとつ分からない。
....もうただ単に脅されただけの気もする。
(多々良先生、誰もがアンタみたいに器が広いわけじゃないんだ)
そんな風に、何とかなるなんて俺には言えない。
「チッ」
俺は目の前で笑う彼から目を背けた。
恋は戦争。
某人気ボカロ曲のタイトルを彷彿させるそのワードが、いつまでも胸に残った。
(覚悟か....)
覚悟なんて、とっくに決めてる筈だ。
俺は、美咲を手に入れる為なら何だって切り捨てられる....
("何"だって?)
俺はふと、そこまで考えて戸惑った。
(例えば、多々良先生や、草薙先生でも?)
もしも美咲を取り返す為に、彼らを犠牲にしなければいけない場面が来たら、俺は―――
「....」
本当に何でも、切り捨てられるのか?
もしそれが、一番大事なものであっても?
(....もし)
もし....それが、美咲と俺の今までの絆だったら?
「猿くん」
不意に多々良先生が俺に声を掛けた。
そっと彼を見つめると、彼は優しく微笑む。
「八田を手に入れられるのは一人だけど....一人で手に入れなきゃいけない訳じゃないよ」
焦って、見失わないでね―――
多々良先生はそう続けて再び微笑んだ。
「一緒だから、何とかなる事もあるんだよ」
------------------------------------------
多々良さん:エスパータイプ
は私の中ではもはや公式です←
粘着系男子伏見君って奴は、美咲が好きすぎて他の人はひじきの生えた大根に見えるかと思いきや案外そうでもない(^q^)
それだからこそいつも複雑な表情してて、そこがまた人間らしくて愛おしいです。