☆Text-空白の石版-
□第四章 取り戻せない言葉
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【SIDE:美咲】
その日、家に帰ったのはもうすっかり日が落ちてからだった。
理由は言うまでもねぇ。
猿比古の野郎のせいだ。
あの後俺は大蛇と別れてから、すぐに猿比古を追って走った。
廊下を曲がると、目に入ったのは不機嫌そうな猿比古の顔。
何でまだ居るんだ。
「....おい美咲....何で暫く来なかったんだよ」
ついでに不機嫌そうな声。
何でお前が文句つけてんだよ。
お前逃げてる立場じゃ無かったのかよ。
俺は猿の態度に苛つきながらも、一応きっちり答えてやった。
「あぁ?そこで人にぶつかってたんだよ」
「....何だよソレ」
俺の言葉に、猿比古は一層気を悪くする。
ぼそりと呟くと恨みがましく俺を睨んだ。
「俺と追いかけっこしてる時に、他の奴に構ってたって事かよ.....」
猿比古は言うと、チッと舌打ちする。
本当、何なんだよコイツ。
マジでワケわかんねぇ。
「....おい、猿。そんな事はどうでもいいからよ、早く盗ったもん返せコラ」
俺は苛ついて、猿比古を睨み付けて言った。
猿比古は再び舌打ちする。
それから挙げ句の果てに、じろりと俺を睨み返して言った。
「うるせーな....童貞の美咲」
「っな、んだとこのクソ猿ッ!!」
猿比古に馬鹿にされ、俺は怒声を上げる。
勢いをつけて猿比古に詰め寄ると、漸く猿比古は口元を弛めた。
刹那猿比古は俺と目を合わせて、歪んだ笑みを向けると呟く。
「....そーだよ、お前はそうやって.....俺だけ見てろ―――」
そう呟いた次の瞬間には、もう猿比古は走り出していた。
「あっ、クッソ猿っ!!テメェ待ちやがれっ!!」
俺も瞬間遅れて猿比古に続き走り出す。
その後、追いかけっこは空が赤く染まり切るまで続いた。
何とか猿比古から両アイテムを取り返し、漸く家に帰り.....今に至る。
もう空は真っ黒だ。
「っくそ猿比古の奴っ!!」
俺は怒りから脱いだ上着をベットに叩きつけた。
その瞬間、上着のポケットから携帯がベットの上に躍り出る。
画面には"受信一件"と表示されていて、俺は苛立ちながらも携帯を手に取り新着メールをチェックした。
見てみると、猿からで....
件名:みぃさぁきぃ?
本文:ハンカチは返せって言わなかったけど、貰っていいのか?
スクロールすると、猿が俺のハンカチ持ってドヤ顔してる写真が添付されてた。
俺は携帯を枕にぶん投げた。
その後夕食を終え、苛立ちながら風呂に入ると、漸く俺は再び寝室に戻る。
今日は疲れた。
俺は軽く溜め息をついて、ベットに潜り込む。
もぞもぞと腕を泳がせ、リモコンを掴むと部屋の灯りを消した。
(今日はもー寝よ....)
俺は心の中で呟いて目を瞑る。
(本当、猿の奴....何なんだよあの馬鹿....)
俺は布団の中で一人唇を尖らせた。
頭まで被った毛布が暖かくて、徐々に眠気が襲ってくる。
(昔は彼奴、あんな奴じゃなかっただろ....)
そうだ。
昔の彼奴は何か、大人しいタイプだったはず。
うぜぇ所は前から有ったけど、今ほど酷くなかった。
俺は切なさから思わず目を薄く開く。
暗闇に、猿比古と過ごした日々の残映を思った。
「そういや....」
俺は小さく呟く。
ぼんやりとした暖かい記憶が、心の裏側から蘇ってきた。
「昔は、よくこのベットで猿比古と二人で寝たんだよな」
今は、そんな事有り得ないけど。
思い出せば、きゅうと胸が潰されるように痛い。
(クソッ....らしくねぇ....!!)
俺は切なさから顔を歪めた。
心臓の脈動が暗闇に響く。
一度思い出してしまえば、猿比古との思い出は仕舞うには惜しいほどに眩しかった。
瞬間、目頭が熱くなる。
「クソ猿....っ」
俺は急いで目を擦った。
脳裏には、昔猿比古とこのベットで一緒に寝てた頃の記憶がありありと浮かぶ。
一緒に遅くまでゲームして、寝間着に着替えすらせずにこのベットに二人して転がった。
狭かったけど。
それから、猿比古は時々俺の背中に抱きついて、小さな声で聞いたんだ。
――――俺の事、好き?
って。
それで、俺も何時も笑って答えてた。
―――当たり前じゃねぇか。一番のダチだろ。
俺がそう答えると、猿比古は何時も一瞬切ない顔をして、それから少しむっとした声で言った。
―――それじゃ、答えになってねぇよ。....好きってちゃんと言え。
(そういや、何かにつけて聞かれたな....)
俺の事、好き?....ってよ。
俺は息苦しくなって、毛布から顔を出す。
冷たい空気が鼻を掠めた。
俺は目を細めて、唇を噛む。
昔から、俺が鈍いのに対して猿比古は察しがいい奴だった。
俺が何も言わなくても、大抵俺の気持ちを解ってくれた。
けど、猿比古は"好き"って言葉だけは俺の口から言わさせたがった。
馬鹿話してる最中でも、急に切なそうな顔して、聞いてきた。
「ねぇ、美咲....俺の事、好き?」
しかも、俺がちゃんと答えるまで絶対納得しない。
言葉にしなきゃ、わかんねぇのかよ。
今になって思えば、猿比古が吠舞羅を抜ける直前、そんな事が増えた。
何かって言うと、彼奴は俺に好きか?って聞いてきたんだ。
言葉にしなきゃ、そんなに不安になるのかよ。
....俺には、わかんねえよ。
(俺....鈍いんだろーな)
猿比古、俺、お前の痛みを....わかってやれない。
胸に苦い水が込み上げた。
まるで、後悔の泉に溺れてしまう様。
「猿比古....」
今も、昔みたいに。
お前に素直に気持ちを伝えられたらいいのに。
あの日、猿比古が吠舞羅を抜けた日から。
俺は彼奴を目にする度に喧嘩腰になってしまって。
昔みたいにと、思う気持ちはあるけど。
気付くと怒鳴ってる。
睨み付けて、お互い罵詈雑言吹っ掛けて。
それが当たり前になってた。
(....もう)
取り戻せねぇのかな。
あの日々も。
あの言葉も。
(俺、すっげぇ恥ずかったけど....昔は言ってたんだよな、彼奴に)
"好き"って。
もう、取り戻せないんだろうな。
俺は唇を噛み締めた。
部屋の冷たさが、妙に堪える。
その時、不意に携帯画面が明るく光った。
「あ?」
またメールだ。
一体、誰から?
俺は眉根を寄せて、携帯を手元に引き寄せた。
液晶画面に目がチカチカする。
メールを確認すると、大蛇からだった。
件名:八岐大蛇
本文:遅くなって悪い。美咲、届いてるかな。これ、俺のメアドな。
添付ファイルを開くと、大蛇のメアドが携帯に登録される。
(そういや、メールくれるっつってたな)
俺はやっと昼間大蛇がメールすると言っていた事を思い出した。
もう、眠気もすっかり覚めてしまっている。
ここは鬱憤晴らしに大蛇とメールでもして夜を明かそうか。
いや、それだと大蛇に迷惑か。
そんな事を考えながら、俺は返事のメールを作成した。
件名:登録出来た!
本文:メールサンキュー。返信してみたけど、届いてるか?
送信ボタンを押し、くたりと枕を抱く。
未だにメールは少し慣れない。
デリカシーとか無縁の自分が、悪い事書いちまわねーかとか。
色々心配になる。
少しして、早々に大蛇から返信が来た。
件名:届いてる
本文:ちゃんと届いた。美咲、これから宜しくな。
その簡素な文に、俺は瞬間微笑んだ。
長ったらしいメールは苦手だ。
何処に返事をしていいか分かんなくなる。
これなら、返しやすい。
件名:タイトルなし
本文:おう、宜しくな!
送信ボタンを押して、俺は瞬間目を閉じた。
猿比古とも、こうやってメールしたな。
苦笑いして、俺は携帯画面を確認した。
すると、直ぐにまた返信が来る。
(大蛇返信はえーな)
携帯のバイブが鳴り出し、俺はメールを開いた。
件名:大蛇さんのターン
本文:なぁ、美咲って何色が好き?
何でそんなアホな事聞くんだよ。
俺は思わず吹き出した。
いきなり好きな色って聞くもんなのか?
よくわかんねぇけど面白ぇ。
件名:俺のターン!ドロー!
本文:赤に決まってんだろ!部活カラーなんだよ!....お前は?
送信すると、俺は微笑する。
大蛇って、楽しい奴だな。
コイツとなら仲良くやれるかも。
俺が笑ってる間に、また返信が来る。
件名:リバースカードオープン!!
本文:勿論、美咲色
色じゃねーし。
何なんだよコイツ。
俺は苦笑する。
それから、大蛇と俺は下らないメールを日が変わるまで送り合い続けた。
不思議と、大蛇と俺は趣味も合うようで、自然と話も弾んだ。
寧ろ、何でそんな俺の趣味とか知ってんだよ?
って位。
まるで、昔からの友人みたいだった。
暫くして、俺が徐々に眠くなり始めた頃。
大蛇は頃合いを見計らったように尋ねて来た。
件名:ねぇ
本文:"猿"ってさ、美咲の何?
俺は瞬間冷や水を掛けられた様な気がして、息を飲む。
どうして、急に?
いや、それ以前に何で猿の事を知って?
俺が呆然として返事を返せないでいると、大蛇から再びメールが来る。
件名:タイトルなし
本文:昼会ったとき"クソ猿"を追っ掛けてるって言ってたから。誰かなって。
一通りメールに目を通し、俺は小さく溜め息を吐いた。
成る程、それで聞いてきたのか。
件名:タイトルなし
本文:昔ダチだった奴。今は喧嘩とか吹っ掛けて来やがる。
これだけ打って、俺は返信ボタンを押した。
(....何かなんて、俺が聞きてぇよ)
俺は小さく心中で呟き、目を細める。
猿比古は、俺にとって何なんだろう。
それが解るなら、俺だって苦労しない。
(猿は....俺の....)
ほんの少しおいて、大蛇から返信が来た。
件名:タイトルなし
本文:美咲は、そいつの事好き?
瞬間俺は息を飲む。
どうしてこいつ、こんな事ばっか聞くんだろう。
俺の心の一番柔らかい所ばかりを掻き回してくる。
件名:タイトルなし
本文:猿なんか嫌いに決まってんだろ。もう彼奴の話はやめろよ。
俺はそう打って、それから唇をきゅっと噛んだ。
好きだなんて、言えるわけもねぇ。
昔とは違うんだから。
俺は瞬間躊躇い、それから送信ボタンを押した。
送信が完了すると、胸の奥がぎゅっと痛む。
昔、猿比古に散々言わされた筈の言葉が、言えない――――
まるで、大切な感情を一つ失ってしまった様だった。
胸の奥が、痛む。
(もう、取り戻せない....)
俺はそっと瞳を閉じると、携帯を手離した。
切なさが胸を抉る。
猿比古の事を諦め切れない自分が悔しかった。
(猿比古....)
俺は切ない思いを噛み殺し、首を横に振る。
(っやめだ!!猿の事なんか....もう考えんのよそう!)
俺は一人切なさを抑えて、再び携帯を手に取った。
今は、大蛇とのメールに専念しよう。
猿の話はこれで終わりだ―――
俺は心中で自らに言い聞かせた。
長い夜は、まだまだ明けそうにない。