☆Text-空白の石版-

□第三章 大人
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【SIDE:多々良】


「八岐大蛇、か.....」

裏庭に、草薙さんの静かな声が響いた。
それに対し、俺は瞬間目を細めて言葉を返す。

「うん....一週間前ね、彼率いるうちの不良達が....S高の不良と正面衝突したらしい」

俺が言うと、草薙さんは小さく溜め息をついた。

「勿論....学校からはおとがめ無し、やろ」
「....うん」

俺は静かに首を縦に振る。
草薙さんは俺の言葉に眉根を寄せた。

「敵わんなぁ....大企業の跡取り息子が不良か」

草薙さんは言い終わると、小さく俯き、前髪をくしゃりと掻き上げる。

(学校は、八岐大蛇の父親から多額の寄付金を受け取ってるから...彼に何も言えないんだよね)

俺は小さく胸の内で呟き、目を細めた。
学校自体が八岐大蛇に対して強く処罰出来ないのでは、自分達教師に出来る事など無いに等しい。

それを良いことに、近頃の八岐大蛇の行動はどんどん手に負えない物になっていた。

(喧嘩だけならまだいいけど....)

そう思う反面、俺や草薙さんは、何処と無く勘付いている。

(きっと、八岐大蛇はもっと恐ろしい事をしてる)

俺は瞳を閉じて考えた。

八岐大蛇を野放しにするのは危ない。

八岐大蛇が何か前々から幾つか異様な事をしているのは、俺も草薙さんも大分前から知っていた。
しかし、八岐大蛇は特別それに焦る様子もない。

恐らくそれは、彼には自分が"何"をしていたかは特定されない絶対の自信が有るからだろう。
確実な証拠が無ければ、俺達が何も出来ないのを知っていて、彼は平然と罪を重ねていく。

....彼は危険だ。

不良の頂点に立つには彼は頭が良すぎる。
彼ほど頭の切れる男が、暴力と更には"金"という武器を手にしているのだ。

何時、何を傷付けても不思議ではない。

しかし、俺にはそれ以上の言い様の無い不安が有った。

(彼の瞳は....危ういほど深い)

俺は瞬間目を細めて、八岐大蛇の瞳を思い出す。

彼の瞳は、年齢に似合わない諦観を語っていた。
しかしその一方で、深く、何かを渇望する様な"渇き"を抱えている気がする。

言うならば、一途な情熱を捧げる何かを探している様な....。

「こんな時こそ....」

不意に、草薙さんが口を開く。
彼を一瞥すると、少し寂しそうな瞳をしていた。

それと同時に、彼の感じている歯痒さが伝わってくる。

「こんな時こそ、彼奴がいたらな....って、思うわ」

草薙さんはそう言うと、ゆらりと瞳を揺るがせた。

俺は淡く笑いながら、草薙さんに言葉を返す。

「キングの事?」
「....ホンマに、何処行ってるんだかなぁ....」

草薙さんは苦笑して俺を見た。
その瞳にはありありと切なさが浮かんでいる。

「....草薙先生にも、何も言ってないんだね」

俺は静かに彼に言った。
草薙さんは再び苦笑する。

「何一つや」
「....そっか」

俺は草薙さんの言葉に相槌を打つと、彼の顔を覗き込んだ。
そして、にこりと笑って見せる。

「キングは、草薙先生を信頼してるからね」

そう言って、俺は草薙さんの肩をポンと叩いた。

「何も言わなくとも、草薙先生なら大丈夫だと思ってるんだよ....。頼りにしてるのさ」
「....多々良センセ」

草薙さんは一瞬目を見開いて、それから緩く笑う。

「はは、敵わんなぁ、多々良先生には....」

草薙さんは静かに言うと、そっと顔を背けた。

ほんのり頬が赤い。

俺は草薙さんの仕草に微笑む。
....照れてる草薙さん、可愛い。

(図星だったかな?)

俺は心の中で呟いて、くすりと笑った。

草薙さんは面倒見のいい、優しい人。
いつも本当は、キングや皆の役に立ちたいんだよね。
だから、キングが何一つ自分を頼らず一人で行っちゃったのが、ちょっと寂しかったんでしょ?

「....はは、大丈夫、大丈夫、何とかなりますよ」
「相変わらずやなぁ、多々良先生は」

俺がへらりと笑うと、草薙さんもつられて笑った。

草薙さんの大人びた笑顔は綺麗で、俺は瞬間それに見惚れる。
ちょっとジェラシーかも。

「何とかなる....と言えば」
「ん、何や?」

俺はふと思い出して呟いた。
草薙さんはくいと首を傾げて俺の言葉を促す。
俺は淡く微笑みながら続けた。

「いや、何とかなる....と言えば....八田の成績はどうなのかなって」
「....そこは大丈夫って言うたれよ」

草薙さんは突然の話題に驚いたのか瞬間目を瞬く。

うん、ごめん。
急に話題変えすぎたかな。

俺が小さく苦笑すると、草薙さんは少しだけ嬉しそうな声で言葉を続ける。

「まぁ、八田ちゃんの勉強は俺が見とるからな....」
「大丈夫そう?」
「....」

俺がそう返すと、草薙さんは沈黙した。

無言の内にあらゆる答えが内包されてるね。
よく解ったよ。

(八田の夏休みは補習で全部無くなっちゃうかもね....)

俺は小さく微笑んで、それから可愛い彼の事を考える。

彼、八田美咲は....勉強が苦手で、でも素直で真っ直ぐで....時々....いや、度々ストーカー被害に遭ってて....それから。

誰からも、愛される。

(八田の魅力って....誰に対しても有効だからなぁ....)

俺は再び苦笑した。

八田の魅力の虜になってしまう人は多い。
かく言う俺もその一人なのだけど。

八田の人懐っこい笑顔を向けられて、彼を愛しいと思わない人などいないだろう。

(猿くんがあんなになっちゃう理由も解るよ)

特に猿比古は、中学時代八田の笑顔を独り占めしていたらしいから。
そりゃ、手離しがたいだろう。

俺はふと気になって、草薙さんの方を向き直った。
草薙さんの背中に、そっと言葉を掛ける。

「ね、草薙先生は八田の事どう思ってるの?」
「ッ!?は....!?////」

聞くと、草薙さんは一瞬噎せ返って咳き込んだ。
それから頬を赤く染めて俺を睨む。

「....な、何でそないな....」
「や、何となくかなぁ」

弱った顔をして俺を見る草薙さん。
これはもしかして聞くまでもなかったか?

草薙さんは咳き込むと、自分自身に言い聞かせる様に呟いた。

「....八田ちゃんの事は.....せやな、弟みたいに可愛いと思っとる」

弟、か。
その割りには動揺してたよね。

「弟ね....」

俺が呟くと、草薙さんは無言の内に俺を目でたしなめた。
もう黙れと、ひしひし伝わる。

(妬いちゃうなぁ....)

草薙さんはいいな。
八田の勉強、いつも見てあげられる。

その間、一番傍にいられる。

「....俺も、八田に勉強教えよっかなぁ」
「....」

俺がそっと溢すと、草薙さんは黙り込んだ。

草薙さんは大人だから、正直には言わないね。

(本当は、可愛い八田の先生は自分だけでいたいんでしょ)

俺は微笑した。
優しい草薙さんも、八田だけは譲らないんだろうな。

「草薙先生、素直になればいいのに」
「....大人ってのは臆病なもんや」

俺の言葉に、草薙さんは少し拗ねた様な声で返した。

それから、ぽつりと続ける。

「身軽な八田ちゃんと並んで歩くには、俺の荷物は重すぎる」

草薙さんはそう言うと静かに俯いた。
俺は小さく溜め息を吐く。

そんな事言って。
本当は八田が望みさえすれば、誰より近くにいたい癖に。

(大人って、不便だなぁ)

きらきら笑う八田には、確かに似合わないかも知れない。

俺は静かに思案して、目を細めた。

確かに、俺達大人には、彼は眩し過ぎる。
それ以前に、教師と生徒っていう立場も有るし。

....でも俺は....やっぱり、八田の愛情が欲しい。

諦めきれない俺は、まだまだ、大人になりきれていないのかも知れない。

「....草薙先生」
「なんや?」

俺はそっと、草薙さんの名前を呼んだ。
草薙さんは静かに返事をする。

俺は草薙さんの顔を覗き込むと、小さく呟いた。

「でも、八田の隣にいるのが俺達でなくとも....八田にはずっと笑顔でいて欲しいでしょう?」

俺がそう言うと、草薙さんは瞬間目を細める。
それから、俺と目を合わせると呟いた。

「あぁ」

呟くと、小さく微笑む。
それから、草薙さんは優しい声で続けた。

「ずっと、八田ちゃんには幸せでいて欲しい」
「....それがさ、大人の愛だよ」

俺は草薙さんの言葉に頷くと、へらりと笑って見せる。
草薙さんは、俺の顔を見つめると、苦笑した。

少し、頬が赤い。

「ま、いい大人が、ガキみたくストーカーやったりは出来へんな」
「いやぁ、子供なら許されるってもんでもないでしょ」

そう言うと、俺達はどちらともなく笑い出した。

要領が良いタイプなのに、対八田に関してのみ不器用な少年の事が頭に浮ぶ。

不意に、草薙さんが苦笑混じりに呟いた。

「八田ちゃん....彼奴が吠舞羅抜けた時、影で泣いてたな」
「....そうだね」

「まぁ、影でっても結構バレバレやったけど」

草薙さんは軽く笑って呟く。
俺もはは、と笑った。

八田があの時、泣いてた事。
それが何を意味するかは、猿くんは知らなくていい。

俺は自嘲気味に眼を伏せた。

結局、八田が一番好きなのは....。

「多々良センセ」

俺が思考を回らせていると、草薙さんが声を掛けた。

「そろそろ」
「!あぁ、もうこんな時間?」

俺は驚いて時計に目をやる。

「もう戻らないと、職員会議に遅刻しちゃうね....」

俺は草薙さんの方を向き直ると、少し首を傾げて言った。
残念、もっと草薙さんと話したかったな。

「ん、時間を守るのも大人の務めや」
「....あはは、そうですね」

草薙さんが淡い笑みを浮かべて言うと、俺はそっと頷いて見せた。
そして、ポツリと呟いて見せる。

「時間ついでに、子供達の事もね」
「....せやな」

言い終わると、俺達は顔を見合わせて笑った。

草薙さんの笑顔は大人びてて、やっぱり綺麗だった。
 

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