☆Text-空白の石版-
□第二章 八田美咲
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【SIDE:大蛇】
―――変なチビが現れた。
最初の感想は、それに尽きる。
「っ!?」
学園の廊下を歩いていたら、何やらペットボトルと妙な袋を持った黒髪の男が俺の横を走り抜けていった。
その瞬間、怒声が廊下一杯に響き渡る。
そしてその直後、俺は突然明るい茶髪のチビに激突された。
俺は衝撃に蹌踉けて膝を折る。
「いった、あ、お前悪ぃ!大丈夫か!?」
チビは焦った声で俺に言葉を掛けた。
大丈夫じゃねぇよ。
つうか俺を誰だと思ってんだよ。
胸の内に鈍い言葉が反芻する。
俺は久々に吃驚した。
この学園内にこんなにも俺に嘗めた態度取る奴が居るとは思わなかった。
所謂、呆気にとられた。
「ほら、いつまで転がってんだよ!」
嘗め腐ったそのチビは、そう言って俺に手を伸ばす。
は?
死にたいの?
お前の危機察知能力、ラリってんのか?
「?どーした?」
憮然とする俺とは対照的に、其奴はさも当然そうに手を伸ばしてくる。
(あのさ)
俺、一応この学園の不良のトップ何だけど。
まぁ、別になりたかった訳じゃ無いけどさ。
心中で呟き、俺が溜息を吐くと、其奴は瞬間首を傾げ、それから俺の腕をぐいと引き上げた。
「大丈夫かって聞いてんだよ!!」
チビはそう言って俺を立ち上がらせると、顔を近づけてくる。
お前の頭が大丈夫か。
普通の不良が相手ならお前フルボッコもいい所だぞ。
あ、でも結構可愛い面してんのなコイツ。
「....あのさ」
「おう!」
呆れて俺は小さく呟き、チビの手を振り払う。
「お前、俺が誰だか知らないの?」
「知るか」
聞いてみた。
即答。
何此奴、本当にこの学園の生徒?
可笑しいな俺結構有名な筈なんだけどな。
この間廊下ですれ違った男子生徒に小さく悲鳴上げられたんだけどな。
あるぇ。
「俺、八岐大蛇って言います....ホントに知らねぇの?」
「俺は八田!悪いけど、知らねーや。生徒会長か何か?」
あぁ、解った。
この子アホの子か。
成る程納得。
生徒会長の名前くらい覚えとけよ。
まぁ、俺も知らないけど。
「あ、そう....知らねぇならいいや」
「悪ぃな、俺人の名前覚えんの苦手なんだ」
うん、解る、そんな感じする。
「その、後、これも悪かったな....いきなりぶつかってさ」
八田はそう続けると決まり悪そうに頭を下げた。
何だ、可愛い所あるじゃねぇか。
顔も結構可愛いし。
気付けば、俺は八田のこの清々しさを気に入っていた。
クズばかりのこの世界の中、妙に清涼な生き物を見つけた気分だった。
この馬鹿そうな所が可愛いんだよな。
馬鹿な子ほど可愛い見たいな。
俺の周りの脳筋ダルマどもと違って華奢なのも好み。
「良いんだよ、気にすんな。所でお前....何処のクラス?」
俺はそっと八田に微笑み掛けた。
普段の俺を知ってる奴が見たら多分キモくて吐くような優しい声で。
八田の事がもっと知りたかった。
「ん、俺?2Aだよ?」
八田は気のいい笑顔で答える。
何だよ、二年かよ。
一年かと思ったじゃねぇか....身長的に。
「じゃあ、敬語使いな。俺、三年だから」
「えっ、先輩!?わ、悪ぃ....」
だから、敬語....!
あ、そっか八田だもんな。
敬語なんて喋れないか、なら仕方ないな。
....俺は一体どうしたんだろう。
寛容すぎるだろ、自分で自分が解らん。
ただし対八田に限る。
「えと、悪ぃ、じゃなくて....ごめん、なさい」
「いーよ、八田....ダチみたいにタメ語で」
俺は何を言ってるんだ。
言い訳ないだろ。
「じゃ、それで。サンキュ、大蛇」
俺の言葉に、八田はぱっと花が咲いたように笑った。
俺は不覚にも、瞬間ドキリと胸を高鳴らせる。
それに、大蛇、と。
八田が俺の名前を呼んでくれた。
「あ、ぶつかった侘びに今度何か奢ってやるよ。連絡すっからさ、大蛇のケー番教えてくんね?」
俺がドキドキしてる横で、八田は能天気に言って見せる。
おい、八田お前笑顔可愛いな。
此方はそれ処じゃねぇよ。
「ん、赤外線出来っか?」
「おう」
俺は少し震える手で、携帯を差し出した。
八田はそんな俺の動揺には気付きもせず、にこやかに自分の携帯を取り出す。
「あ、今先に俺のデータ送ってるから」
「....あぁ」
八田はにっと笑って言うと、俺の携帯に自分の携帯をくっ付けた。
「っし、送れた!」
八田の声が凛と響く。
俺は無言で携帯画面に目をやると、驚いて声を上げた。
「お前、女だったのか!?」
「んな訳有るか、殺すぞ!!////」
しかし、携帯画面には"八田美咲"と....女の名前が表示されている。
俺は再び画面と八田を見比べて目を瞬かせた。
「み、美咲って名前なんだよ....クソッ」
八田は不機嫌そうに呟くと、少し赤面する。
「可愛い」
「可愛くねぇよ!!テメェ猿か!!」
俺が思わず呟くと、八田....いや、美咲は怒声を発して俺を睨んだ。
いやそれより猿って何。
猿並の知能って事?
酷くない?
「悪い、悪い、じゃ今日の夜にでもこっちからメールするよ」
俺は笑って言った。
美咲と話をするのは、何だか楽しい。
胸がすっと軽くなる感じ。
「あ、そっか。お前にまでデータ送って貰わなくてもそれでいーんだよな」
お前頭良いんだな。
美咲はそう言ってにっこり笑った。
何コイツ可愛い。
「別に....良かねーよ」
俺は少し赤面して顔を背けた。
美咲の真っ直ぐな瞳が、こう、ハートに突き刺さる様な気分だ。
「じゃ、美咲....俺はもう行くよ」
俺はどぎまぎしながら、出来るだけ自分を落ち着かせて言う。
「お前も何か急ぎの用があって走ってたんじゃねーの?」
「あ、そうだ!!クソ猿!!」
俺が言うと、美咲は途端に顔をしかめて声を上げた。
ん、また猿?
「そうだった、俺彼奴を追っ掛けてたんだ....悪ぃ大蛇!またな!」
美咲は急に焦ったように早口になると、また一目散に駆けていく。
そんな様子じゃ、またすぐ人にぶつかるぞ。
「....おぅ、じゃあな」
またな。
俺は静かに言うと、歯痒い続きを口の中で噛み殺した。
(本当、何だったんだ彼奴....)
まるで、知性の欠片も感じさせないような単純馬鹿って感じなのに。
(酷く、心を掻き乱されたな)
俺は美咲の走り去って行った方へ目をやった。
もう、そこに彼の姿はない。
足の早い奴だ。
「メール、か」
そう言えば、メール何て殆どしないな。
あの美咲とメールか、どんな話をしたら良いんだろうか。
俺は暫く胸の高鳴りを押さえられなかった。
あれ程嫌悪していた世界が、何故だか輝いて見える。
(何故だろう)
不思議だった。
世界が一変した気がする。
それほどまでに、八田美咲は特別だった。
(もしかして)
俺は、彼奴に惚れたのか?
俺はそこまで思考して目を見開く。
嘘だろう。
この俺が?
今まで女にだって、恋なんてした事ないんだぞ。
それなのに、あんなチビで頭の悪そうな男に....?
(あぁ、でも可愛い)
俺は美咲の姿を思い出し、瞬間俯いた。
自分自身がよく解らない。
こんな気持ちは初めてで、どうしたらいいのか、解らなかった。
(俺は、美咲をどうしたいんだ?)
俺は立ち尽くして考える。
こういう時は、まず自分の向いてる方向をはっきりさせなければ。
そう考え、俺はぼんやりと自分自身の心の中を模索する。
(傍に、いたい?いや、違う)
そうだけど、そんなに温くない。
もっと熱い。
(あぁ、そうだ)
そして俺は漸く自身の心の形を把握する。
「"欲しい"だ」
呟いて、俺は緩く微笑んだ。
(美咲が欲しい)
心臓が煩く脈打つ。
俺の視線は熱に浮かされたように、虚ろに宙を仰いだ。
(何としても、美咲を俺のものにしたい)
俺は、自分自身の胸が熱く燃えるのを感じた。
心臓が、ドクンと脈打つ。
言うならば、美咲は美しい花のようだ。
俺の、灰色の世界の中、たった一輪咲き誇る美しい花。
「美咲」
俺は彼の名を呟いて、微笑む。
「お前は俺のもんだ....」
俺は呟くと、徐に携帯を取り出した。
そして、何年か振りに父のオフィスに電話を掛ける。
『はい、此方、八岐コーポレーションで....』
「――――セバスチャンか?」
『!?』
電話に出たのは執事だった。
俺の声を聞き、執事は息を飲む。
『大蛇様でございますか!?お久し振りでございます』
「父は?」
『申し訳ございません、旦那様はただいま商談に出掛けておりまして』
「ふうん」
父に直接頼めないのは少し残念だな。
でも、まぁ問題無いだろう。
「セバスチャン、諜報部隊を何人か動かして欲しいと、父に伝えてくれ」
『諜報部隊....ですか、解りました。お伝えしておきます』
「あぁ、調べて欲しいことが有るんだ」
俺は静かな声で言った。
胸の内で、押さえられない衝動が燃え上がる。
『はい、調べて欲しいこととは一体....?』
「....."八田美咲のこれまで"について」
『八田美咲ですね、それはどちらの?』
執事の質問に、俺は少し笑いながら答えた。
「俺の学園の2Aに所属してる、背の低い男だよ」
『男?』
「そ、男。そいつの過去や今について調べて欲しいんだ」
やっぱり執事も美咲を女だと思ったみたい。
少し驚いた声だった。
『了解致しました。旦那様にお伝えしておきます』
「ん、サンキュ....じゃ、宜しくな」
ピ。
俺は電話を切ると、薄く口端を持ち上げる。
「これでいい―――」
これで、美咲の全てが解る。
「出逢うまでの間を....埋められる」
俺は恍惚として呟いた。
俺が美咲に抱いている執着が、恋愛感情だろうとそうでなかろうと関係ない。
俺は美咲が欲しい、それは確かな事だから。
俺はやっぱり運命を恨むよ。
もっと早く、美咲に出逢いたかった。
今日、俺と美咲が出逢う迄に、俺の知らない美咲がいる。
俺が彼と共有出来なかった時間がある。
それを考えると気が狂いそうだった。
だから、せめて。
せめて美咲の事を知識としてでも知っておきたい。
「美咲.....」
俺は初めての感覚に身を委ねて目を細めた。
人気のなくなった廊下に、俺の声だけが小さく響く。
「美咲が欲しい....」