クジラさん

□白夜
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テレビを付けて、適当にチャンネルを変える。そのほんの数秒の行動で、俺が求めるものはすぐに見つかった。
会社から帰って、ひと段落出来る丁度良い時間に、黄瀬の出演するドラマが始まる。俺はそれを毎週欠かさず見ていた。
特にそのドラマ自体を面白いと思って見る事は無いが、黄瀬が見られるのなら面白いと感じなくても良かった。
むしろ、俺はこのドラマに嫌悪感さえ抱いているかもしれない。

俺はソファに座って、ただじっと画面を見つめた。そこには黄瀬が居る。どれだけ手を伸ばしても触れられない場所に、黄瀬は。

主人公と恋に落ちるヒロインを好きになる、言わば報われない位置にいる役を黄瀬は演じていた。
黄瀬はヒロイン向かって、『好きだ』と囁く。俺はそれを演技だと分かっていても、その表情がどこか真に迫っている様で、少しだけ本当の黄瀬を見ているような気分になった。

『好きだ、キミが』

ヒロインの腕を掴んで、引き止めた。


ああ、一体何ヶ月俺はアイツに触れていないだろうか。ここ最近は一人でバスケをする気にもなれず、まるで病気かと疑う程にテレビの画面に張り付いている気がする。
黄瀬が忙しいのは知っているし、そうやって頑張るアイツの姿は好きだ。大好きだ。でもまた俺の元に戻って来て欲しい。そう願ってしまうんだ。

俺は、黄瀬がもう戻って来ないんじゃないかと心の何処かでいつも思っている。
アイツが俺と出会ったのは本当にただの偶然だった。俺が今までアイツを知らないで生きて来た様に、アイツは俺との縁をいつか切ってしまうんじゃないだろうかと。
それ程までに、住む世界が違っていたのは事実だ。アイツはアイドルで、俺はただの会社員。随分と大きな障害じゃないか。男と付き合ってたなんて知れたら、世間に何と思われるだろう。

そんな事で、黄瀬の人生を壊したくはない。

もしも、そんな事が万が一にも起きようものなら、俺は別れを切り出す覚悟さえしている。絶対に手放したくなんかないけれど、俺はアイツを守り抜く自信なんてこれっぽちも無い。そもそもアイツはそこまで深く考えているのだろうか。

テレビの声は、あまり耳に入って来なかった。俺は室内がシンと静まり返った様な錯覚にまで陥って、もう、駄目だと思った。



俺は黄瀬と出会うまで、よく乱暴で大雑把な人間だと言われていた。それは行為ではなく、態度がだ。
高校生の頃に捻くれてから、少しは大人な感性に成長したものの、どこか現実に冷めた様な顔をしていたと幼馴染には言われた。

率直に言えば、楽しいと思える事が自分には何一つ存在していなかったんだ。

けれどあの時から、あの場所で黄瀬と何度も会って、その度に光が増して行く様な感覚に俺は浸った。
じんわりと暖かい熱ごと伝わってくる。きっと、それが俺にとって想像もしていなかったぐらい突如として現れた「感情」なんだろう。

俺は今まで思う存分正直に生きてきた。それなのに、本当に大切なものが出来てしまってから、そんなものはただの我儘だと知った。

会いたい。話したい。触れたい。抱きしめたい。ただ俺だけを見ていて欲しい。
誰にも渡したくないし、こうやってアイドルとしてテレビに出る事も内心苦しくて仕方が無い。頑張りすぎて欲しくないし、逃げて俺の所に来てしまえば良いと思っている。
それでも一度会えば、また別れを言うのが苦しくて堪らなくなるという予想ぐらいつく。それが怖くて、時間を無理矢理調整してまで会おうと言えない自分が居た。
俺の思っている事は本当は、黄瀬に言った言葉とは正反対なものばかりだった。

頭がぐるぐるとおかしな方向に回って行く。

視界が暗くて、いつか自分自身さえそれに呑み込まれて埋れそうになる。そういった感覚に以前悩まされていた。
黄瀬と出会ってからは、それが無い。むしろ明る過ぎて眩しいと感じるくらい。太陽、なんて言い方は大袈裟かもしれないが、それと良く似た感じだ。
夜が来なくなった、とでも言えば良いか。
その光と熱を一度覚えてしまえば、それから抜け出した時俺はきっと枯渇する。

どうしようもなく、怖かった。
ソファに座ってから、一体どれだけの時間そうしていたか分からないが、テレビにはもう黄瀬は映っていない。これが、怖い。本当に消えてしまったんじゃないかと思えるくらいだった。
それでも俺は、この感覚を味わっても黄瀬を見ることを辞められない。




「青峰っち?」




・・・やばい、とうとう幻聴まで聞こえてきたか。どれだけ俺は黄瀬に飢えてるんだろうか。まだ出会ってからそう時間も経ってないように思うが、アイツが残している影響は破壊力抜群だな。

「青峰っちってば!!」

肩を掴まれ、揺さぶられる。視界がブレて、俺は一瞬何が起きたか分からなかった。
何事かと急いで振り返れば、ソファの後ろに黄瀬が立っていた。


・・・黄瀬が・・・・?

「お、前・・・?」
「どうしたんッスか?インターホン鳴らしても出ないし!声までかけたのに!」
「いや・・・悪りぃ、聞こえてなかった」
「アンタ大丈夫か!?」

黄瀬は少しだけ心配そうな顔になったが、すぐに笑顔になり、俺に抱きついて来た。ソファに押し倒される形になる。
黄瀬からは相変わらず良い匂いがした。

「何で居るんだよ・・・」
「暇が出来たんで、来たッス」
「連絡ぐらい入れろ!」
「ごめん。でも今日は会える気がしたんッスよぉ」
「・・・馬鹿か」

俺は黄瀬を抱きしめ返して、頭を撫でた。滑らかな髪の毛が俺の指の間をするりと抜けて行く。
ああ、これが・・・黄瀬の感触だ。

「会いたかったッス」
「あぁ」
「なんか懐かしいなー青峰っち」
「・・・あぁ」

黄瀬がまた戻って来た。
その事実に俺はどうしようもなく胸が熱くなり、抱きしめる腕の力を強めた。

「ちょ、苦しぃッスよぉ」
「うっせぇ。黙ってろ」

きっと、黄瀬はすぐに行ってしまう。
だからもう少しだけ、こうしている事を許して欲しい。この感覚を、ずっと、身体に焼き付けていたいから。


「・・・おかえり」
「ただいまッス!」


黄瀬の笑顔があまりにも眩しく笑うから、俺は何故か泣きそうになっていた。
離れたくない。離したくない。ずっと。










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