紫紺の楔

□別離
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ふわりと、温かい風が頬を撫でた。
暦の上ではもう早春だと言われる2月だが、実際はとても「春」とは呼べない、まだ肌寒い時季。

そんな時季の珍しく暖かなこの日、志波が昼食を摂っていた教室の窓を開けた。




志「うわ〜あったかーい」

立「もうすぐ3月だもんなぁ」


そよそよと暖かな陽気に当てられ、志波と立花はほのぼのとした会話を始めた。



大「3月と言えば、そろそろ合否発表だね。受かってると良いなぁ」


立「…イヤミかよ」

志「優くんが落ちる訳ないでしょー。僕らの方が心配だよ〜」


目に見えて落ち込む2人を余所に、所用で遅くなっていた高尾が空き教室へ入ってきた。


高「え、なんすかこの空気!?」

『気にすんな。2人の問題だからよ』


志「……イヤだよぉ〜、高校もナル達と一緒が良いよー」

立「オレら、死ぬ気でベンキョーしたのによー」


『……すでに落ちた気で会話すんなよ』

溜め息を吐き、鳴海は自分の昼食を広げる。


『ほら、今日はハンバーグ入れてきたから、これ食って元気出せよ』


高「……なんかセンパイの言い方も、落ちた前提になってますよ」


志「うわぁぁあん!!ナルまで落ちるって思ってるんだーー!」

立「マジでやべぇよ…。オレら高校行けねーのか…」

とうとう頭を抱え始めた2人。しかしその口の中には、ちゃっかりハンバーグが収まっていたりする。



『……仮に落ちてたとしても、お前らは就職先に困らねーだろ。何が不満なんだよ?』


志「あ…それを訊いちゃうんだ?」

立「お前はいい加減、自分の持つ魅力を自覚しろよ」


『俺の…魅力?』


大「ふふ、2人は恭介が大好きなんだよ。だからずっと一緒に居たいんだ」

途端、ボフンと赤面する鳴海。


『べ、別に…、高校が一緒じゃなくても、離ればなれになる訳じゃ…ないだろ…!?』

鳴海はパックジュースをすすり、ストローを噛んだ。


大「行儀悪いよ恭介。ふふ、相変わらずだなぁ」

高「鳴海サンのデレ頂きましたー!!」

茶化す大澤と高尾。
そんな2人に同調し、立花と志波もにやりと笑ってみせる。





高「……ところで、センパイ達はどこ受けたんすか?」

大「そんなに偏差値も高くない都内の学校だよ。もともと俺と恭介は行きたい学校もなかったから、立花とマッキーの学力でもギリいけそうな所を受けたんだ」


高「へー。何てトコで、」


『……後5分もなく昼休み終わるぞ』


高「え、ウソ!?マジで!?」

言われて、慌ててパンを口に含む高尾。
ふと時計を見上げ、その動きを止めた。


『……冗談だよ』

昼休みはまだ20分以上はあった。鳴海は口角をつり上げ、高尾の額を小突いた。


高「鳴海サン…、オレ次体育なんすから、そう言う冗談は勘弁してください…」


『…悪かったよ』

本当に申し訳なさそうな声音だった。高尾も怒っている訳ではないので、にかっと笑い「いいっすよ」と返した。




大「……そっか、ごめん恭介」

苦笑いを浮かべて謝罪する大澤に、高尾は首を傾げる。


高「なんかあったんすか?」

尋ねるが、大澤は苦笑いを返してくるだけで、何に対してなのか教える様子はない。


志「それにしてもナルがジョーダン言うなんて珍しいね〜」

立「あー、普段は真に受ける側なのにな」


『俺の冗談なんか、お前らの嘘に比べれば大したモンでもないだろ…』


立「いや、あんなの普通信じねーだろ」



高「志波サン“あんなの”って?」


志「んー?実はトオルくんは人間じゃない。とか、実は僕は女。とかそういうのだよ〜」

高「……1つ目はともかく、2つ目はオレでも真に受けますよ」

大「大丈夫、マッキーは男だよ。……たぶんね」

志「優くーん?」


いつもと変わりなく話していれば、本当に昼休み終了まで5分ほどとなる。



高「着替えなきゃなんで、オレは先に失礼しまっす」

ゴミや食べかすなどを綺麗に片し、高尾は教室を去って行った。





立「あーそう言や、合否発表っつー事は、もうすぐ卒業すんだな、オレら」

志「寂しくなるねー…」

『……同じ高校受験しといて、よく言うぜ』

志「だってナルと居たら楽しいんだもん」

大「“もん”って…。そう言うとこが怪しいんだよ、マッキーは」


チャイムが鳴り響く教室で、代わり映えの無い談笑を続けていたその日から数週間。


在校生が装飾の為に忙しなく動き回る卒業式前日。
高尾は部活動も無いこの日の放課後、【送別会】とは名ばかりの集まりの為に鳴海の自宅を訪れていた。





立「ナルー、ジュース足んねーぞー」

志「お菓子も無くなってきちゃったよ〜?」


『お前ら、人ン家でくつろぎ過ぎだろ』

高「あ、オレが持ってきます。鳴海サンも主役なんすから、ゆっくりしといてください」

大「恭介、俺もおかわり貰うね」


立花と志波は自分達の持ち込んだゲームに耽り、鳴海、大澤、高尾がそれを眺めるなど、一同は【送別会】とは到底呼べないが、穏やかな時間を過ごしていた。




高「……にしても、オレがセンパイ達と出逢ってから、半年以上も経つんすね」


立「何しみじみ語り出してんだよ、カズ」

染み入るように言い出した高尾に、立花はゲーム画面から目を離さず返す。


大「まぁでも…、2人共無事高校に受かって良かったな」

志「ホントだよ〜」

立「まぁな」


高「受験お疲れ様した!あと卒業おめでとうございまっす!」

立「サンキュー」

志「ありがと〜!」

大「ありがとう」


『まだ卒業してねーけどな。……サンキュー』


高尾の祝辞に、4人は笑みを返した。



高「……にしても、せっかくセンパイ達と仲良くなれたのに、一緒に居れんのはたった1年って、2年の差はでかいすよね」

ジュースをこくりと飲み、寂しげに高尾は溢した。

立花は志波と顔を見合わせる。


立「なら2年後、オレらと同じトコ受ければ良いだろ」

志「そーだよ、そしたらまた一緒に、むぐ」


大「ちょっと2人共、こっち来てくれるかな」

大澤は苦笑いを張り付け、引き摺るように立花と志波を部屋の外へ連れ去った。


高「え、何今の」

『……さぁな?急用でも出来たんじゃないか』


部屋の中へ残された2人。
暫し待つもののなかなか戻って来ないので、高尾は立花達が置いて行ったゲームを操作し始める。




高「そう言えば、まだセンパイ達の学校、どこなのか聞いてないっすね」

どこなんですか?
画面から目を離さず尋ねるが、返答がなく、ゲームを中断して振り返る。

見れば鳴海は苦渋の表情を浮かべていた。


高「鳴海サン…?」


『明日…』

高「明日?」


『…明日、教えてやるよ』

つまりは卒業式後、教えてくれるという事だろうか。

その後、3人は何事も無かったように戻って来た。高尾は勿論訊ねたが、3人揃ってはぐらかされてしまった。




そんな事が前日にあり、高尾はスッキリしないまま卒業式当日を迎えた。
体育館内に漂う、卒業式独特の雰囲気。
代表の送辞。卒業生の答辞。
校長や会長らの祝辞。歌、歌、歌……。

終盤を迎える辺りから、様々な場所から嗚咽が聞こえる。
高尾の隣や前後に座っている生徒達も、親しい先輩との別れを惜しみ、涙を流している。

しかし高尾は泣けなかった。
別れが寂しくない訳がない。
実際、昨日までその感情を抱いていた。

高尾自身、それが何故なのか解らなかった。




**********



卒業生が退場し、在校生はその片付けに追われた。
終わってすぐ、高尾は卒業生を見送りに出た友人達と合流した。

外へ出れば、あちこちに胸元に造花を付けた卒業生が歩いていた。
友人らは愛する先輩の下へと駆け寄り、またわんわん泣き出す。高尾も周囲を見回すが、目的の人達が見当たらない。

彼らを捜し、高尾は駆けた。すると、存外すぐに見付かった。
校舎の脇に植えられた、一本の桜の木。それは珍しく咲き始めており、その下に4人は集まっていた。



志「あはは…、トオルくんってば、目真っ赤だよ〜」

立「うっせ…。つかマッキーだって…」

大「ふふ、どっちもどっちだよ」


『優一郎、立花、マッキー。こっち向け、あと笑え』

カシャ、カシャ…!




高「鳴海サ………」

高尾が声を掛けようと口を開く。と、瞬間、ブワッとまだ冷たさの残る強風が吹いた。
巻き上がった砂埃が口内に入り込み、高尾はむせてしまう。


『――高尾…。ふ、はは、何やってんだよお前は』

気付いた鳴海は、むせる高尾を見て笑った。

再び強風が吹く。すると、数少ない桜の花びらが宙を舞う。
その花びらは日の光を反射する彼の髪色を映えらせ、思わず高尾は目を奪われた。






高「あ、の鳴海サン、皆さんが行く学校…」

反射にも近い様子で口から出た言葉は、2度目になる「おめでとうございます」でも、「ありがとうございました」でもなかった。

何故だろう、今訊かなければ、もう会えない気がしたのだ。

4人がゆったりとした歩調でこちらに向かって来る。



大「…元気でね」
大澤が高尾の左肩に手を置き、横を通り過ぎる。


立「ったく、ちゃんと当日にもおめでとうって言えよな」

高「痛っ」

続けて立花は高尾の額を軽く小突き、「じゃあな」と言い、去っていく。


志「バスケ、これからもガンバってね」
志波は高尾の右肩をポンと叩き、2人の下へ駆けて行く。



『………』
最後に残った鳴海は口を固く閉ざし、静かに高尾の横を通り過ぎようとする。

それに少しイラつき、高尾が口を開こうとした。





『……高尾、――ごめんな』

優しく頭を撫でられる感触。
途端、ポロポロと涙が溢れてきた。
高尾はこの数週間、これについての話題をはぐらかされている自覚があった。それでも、いつかは話してくれると、そしてまた一緒に居られるんだと、信じていた。

だから卒業式と言っても、「別れ」だという感覚がなかった。
しかし、彼が与えた現実は紛れもない「別離」だった。




顔を上げ、振り向いた先には、もうあの4人の姿はなかった。

彼らの前でいつもにこにこ笑っていたはずの高尾は、今、押し殺すように校舎脇で泣いていた。




























――その日の夜、高尾のケータイに、見知らぬアドレスから一通のメールが届いた。











“薄情なヤツだと恨んでくれて構わない”

“だからお前は、そんなヤツの事なんか忘れて”













“馬鹿みたいに、ずっと笑ってろ”










疲れて眠っていた高尾がそのメールを読んだのは、つい翌朝の事だった。

end
→オマケ
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