紫紺の楔
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次々味が変わっていく飴を舌で弄び、紫原は高尾を見下ろす。
紫「このアメねー、ナルちんがくれたんだけど不思議なんだよね〜。味がたくさんするだけじゃなくて、お腹もいっぱいになるんだ〜」
コロコロと飴玉を転がす紫原の話を、高尾は器用に片眉を上げて聞く。
何を考えているのか解らない彼の言葉の先をただ高尾は待った。
紫「普通のアメなら、こんな事無いよねー。けどさー、コレくれた時ナルちん言ったんだ〜。味覚だけじゃなくて、お腹も満たせたら良いのに――って。なんか本気でそう想ってたみたいでさー、そしたらホントにそうなったんだよね〜」
高「何が言いてーの?」
紫「ん〜?ナルちんの言葉は魔法でも使えるんじゃないかなーって。 オレ難しく考えんの嫌いだしー、とにかくナルちんは優しい奴だと思うよ〜?」
魔法っっ!!?
体育館内で、そんな響(ドヨ)めきが起こった。
何の話だと思われるかも知れないが、一部の者から【妖精】などのファンシーな表現をされている紫原だからか、その単語に関しての違和感がミスディレしている。
高尾も驚いていたが、普段のように茶化す事が出来なかった。
鳴海に唐突に尋ねられた飴の味。
一瞬しか見ていないが、鳴海が褐色の飴玉を出す前、元々は氷のように無色透明だった…気がした。
未だ響めく空間に、両掌を打ち合わせる、乾いた音が落ちた。
音の元を探っていくと、赤司が丁度両手を下げているところだった。
赤「そっちの事情は解った。次にこっちの話をしても構わないか?」
赤司が視線を向ければ、探索メンバーは頷く。
赤「話した通り、鳴海さんのカバンに入っていた懐中電灯を使い、僕らは改めて体育館内を探索した。やはり目ぼしいものや情報も見付からなかったよ。…でも」
赤司は意味ありげに言葉を一旦区切る。
赤「この廃校には体育館が2つあるのは知っているな?」
黒「はい、もちろん。今僕達の居る第2体育館。ステージの反対側の扉を開ければ、僕や緑間くん、桜井くんが目覚めた第1体育館…ですよね?」
赤「ああ」
補足として記載すると、第1体育館では黒子、緑間、桜井が。
第2体育館では火神、大坪がそれぞれ目覚めた。
赤「今僕らが居る第2体育館の隣の第1体育館なんだが…テツヤ。あそこもこっちと同様に全て鍵は開いていたね?」
黒「そうですけど…、何かありましたか?」
桜「あ、ああの!体育倉庫の鍵が……」
緑「……閉まっていたのだよ」
先程の一件でズレたであろう眼鏡のブリッジを上げ、緑間も苦々しく答えた。
黒「閉まっていた…?体育倉庫などはこっちからでも開けられるのでは?」
この廃校の具体的な創立はいつなのか解らないが、この学校の体育倉庫の鍵は“つまみ”のような仕組みで、それを横に回せば開ける事が出来るのだ。
火「それがよ、そもそもの鍵が開いてんのに扉が開かねぇんだよ…。こっちの体育倉庫は問題なく開くっつーのに、第1だけ変なんだよ」
聞けば色々と試したらしい。
体力や腕に自信がある者がこじ開けてみようと試みたり、教官室から持ち出した椅子や器物で扉を壊そうとしたり。
が、この廃校と外を隔てている扉と同じ、傷が一切付かないらしい。
【安全圏】と勝手に決めつけているが、恐らくはそれで間違いではないだろう。
そんな体育館の特定の場所が急に開かなくなった。
それはある意味で進展を表していた。
今まで閉まっていた部屋が開いた、というパターンはいつくもあった。
しかしその逆、開いていた場所が閉まる、というパターンは無かった。
そして今それが起きている…。
黒「……」
赤「テツヤ。コレは僕の勘でしかないが、恐らく件の体育倉庫、もう一度開けても問題ないと思う。いや、開けるべきだ」
黒「赤司くん、どうして…」
赤「その“どうして”は、今の発言に対するものか?それとも、お前が考えていた事を当てた事に対してかな?」
黒「…いえ両方です。が、愚問でしたね。赤司くんですから、と言ったところですかね」
赤司が当てた黒子の考えていた事と言うのは“閉まった体育倉庫を開けても大丈夫なのだろうか”という不安だった。
安全圏であるはずの、今まで開放されていた体育倉庫が突如閉ざされた。
もしかすると、倉庫を開けた途端に怪物が体育館に侵入してしまうのではないかと、中には黒子同様の意見を持った者も居ただろう。
しかし何故か、赤司はそんな不安を感じなかった。
さっき言った通り、それは勘でしかない。
だがその体育倉庫の扉は、開けて然るべきだと感じた。
赤司にしては珍しい、“直感”でそう判断した。
赤「どうしてかな、その扉はどうしても開けなくてはいけない気がするんだ。ここから脱出する為の糸口があるんじゃないか…とね」
赤司が一同を見回すと、反対する者は居ないようだった。
扉を開けるのは危険かも知れない。
しかし何度も言うが、自分達は現在手詰まりの状態にある。
外に出られるはずの玄関、昇降口、窓などはまるで飾りのようにそこで沈黙を守っている。
校内を何度と探索するが、怪物が襲い来る上に何の進展さえ見受けられない。
【視えない男】とどうにか接触出来れば希望があるかも知れないが、文字通り“視えない”存在では、向こうから接触して来ない限りこちらが干渉できる術は無い。
ならば、唯一の変化と呼べる扉を開放するのは、言わば必然なのだろう。
赤「じゃあ行こうか。希望者や腕に自信が有る人は、一緒に来てくれるか」
赤司の掛け声に、数人が立ち上がった。
その顔ぶれには高尾もいた。
と、同様に緑間も立ち上がった。
緑「……高尾」
高「…………なに?」
移動する際、緑間は高尾に近づき、かすれたような声を掛けた。
高尾は振り返る事はせず、第1体育館に向かうメンバーの後を付いていく。
緑「………」
高尾の数歩うしろを、緑間は適度な距離を保ったまま付いてくる。
なにか言い難い事でも言うつもりだろう、眼鏡のブリッジに指を添えたまま、視線を高尾の頭部ではなく少しズレた暗闇を見つめていた。
振り向きはしないが、高尾にはホークアイがある。
どもる緑間を、彼は無表情で視る。
喉元まで出掛かっている言葉を、緑間は懸命に押し出そうとしている。
そんな緑間の姿は少しばかり滑稽だ。
緑「……高尾」
高「…だからなんだよ」
緑「す…」
高「……」
緑間は“す”とだけ言うと、溜め息を吐いた。
そして眼鏡のブリッジをぐいっと上げると、至極小さな声で零した。
緑「…す、……すまなかった」
高「……なにが?」
一瞬足が止まってしまった。
振り向きそうになったのを、高尾は寸のところで堪えた。
高尾が聞き返すと、緑間は舌打ちをした。
おい舌打ち…と高尾は心の中でぼやいた。
緑「なにが、だと…。……さっきの一件に決まっているだろ」
高「うん、だからなにが?」
本当は解っている。緑間の謝罪が、何に対してなのか。
緑間は再び舌打ちを落とした。
おいこら、喧嘩売ってんのか。高尾はこめかみを引き攣らせた。
緑「……あの人を酷く罵った事をだ。お前の言う通り、俺は鳴海 恭介と言う男を知ろうとさえしなかった。…我ながら浅はかだったと反省しているのだよ」
――すまなかった……。
そのかすれたような声を聞き、高尾はくるっと体を緑間に向ける。
フフン…と少しばかり口角を上げ、自分より頭2つ分上にある彼を見上げる。
高「へへ、別に許してやらなくもないぜ?」
緑「…何様のつもりなのだよ」
高「まぁタダで、とは言わねーけど」
緑「っ……何が望みだ」
高「ブフォ!なにその悪役くさいセリフっっ!!」
緑「うるさい!どうすればお前は満足するのだよ!」
緑間が急かすように尋ねれば、高尾は後ろ向きに動かしていた足を止め、纏っていた雰囲気を一変させた。
高「そもそも、謝る相手はオレじゃない」
高尾にしては珍しい、静かで、言い聞かせるような口調だった。
高「だから、鳴海サンに会ったら……まず謝ってくれ」
高尾の灰色がちな眼が、一瞬揺らいだ。
緑「――解った、約束するのだよ」
緑間は再び眼鏡のブリッジを上げた。
緑「それでお前は…俺を許すのだな?」
高「正しくはオレが許す許さないじゃねーと思うけど、まぁ少なくとも鳴海サンに謝ってさえくれれば、オレの気は済むぜ」
前に向き直り、そう言い残せば、緑間の安堵の溜め息が聞こえた。
高「ったく…ヤケに必死じゃねーの、真ちゃん」
高尾は独り言のように零した。
その独り言はしっかり緑間の耳に届き、緑間はまた溜め息を吐いた。
緑(必死にもなるのだよ……)
緑間はけして言葉にしないが、彼はとっくに“高尾和成”という男を唯一無二の【相棒】だと認めている。
そんな大事な【相棒】の信頼を、こんなところで失いたくないと、彼は思ったのだ。
まあ、言葉にした瞬間、高尾が大袈裟に否定する事だろう。
まだ認めんなっ!――と言って。
高「っ、ちょ!こっち寒ッッ!!」
第1体育館に入ると、人が大勢いる第2体育館とは違い、こちらは真冬だという事を痛いほど知らしめる極寒だった。
黒「そう言えば、寒さを実感する機会が少なかったですね…」
黒子は白い息を吐き、それを自身の手に吹き掛けながら呟いた。
今までは常に神経を尖らせていた為、寒さを気にする余裕が無かった。
しかしここは安全圏の体育館。神経を研ぎ澄ます必要が無いので、一行は改めて冬の寒さを自覚した。
赤「言うなれば、あっちの体育館が異様だったのかも知れないな。まあ安全圏と言うくらいだし、特別なにか仕掛けがあったって可笑しくはないさ」
身に突き刺すような寒さを感じつつ、赤司を筆頭とする一同は問題の体育倉庫へと辿り着いた。
黒「……確かに、鍵は開いてますね」
体育倉庫の鍵を表す“つまみ”は、開錠を示す方向に回っていた。
伊「本当に傷や凹みさえ付いてないな」
こじ開けた形跡も、凹んだ部分さえ無い扉に、不気味さを覚えた。
高「オレもいっちょ、頑張ってみますかー!!」
紫「オレとか火神が何回やってもダメだったんだし、アンタじゃ絶対ムリだよ」
気怠げな紫原の言葉を流し、高尾は倉庫の扉に手を掛けた。
すると、ガクッと、明確な手応えを感じた。
高「え……」
高尾は突然の急展開に戸惑っているようだった。
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