紫紺の楔

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『ぅ……っ…?』

カーテンも引かれていない小綺麗な寝室に、遮るものがない朝日が容赦なく寝起きの眼に降り注ぐ。


掌で目の上に遮光を作り、鳴海は見覚えのある自室を見回す。

明るさに慣れてきた目をベッド脇に置いた腕時計に向ける。


――7時08分


いつもと変わらない、鳴海が起床する時刻。


いつもと変わらない、余計な物を置いていない自分の部屋。


いつもと変わらない……いや、いつもと違い、制服のまま寝てしまったようだ。

不思議と体は凝っていなかったが、やけに右肩が痺れている。
長時間正座をしていた足のあの感覚に近い。



『……そう言や、風呂入ってなかったか』

制服のまま寝てしまったと言うことは、結果として風呂に入って居ないと言う結論に至る。

今日は金曜日。
鳴海は替えの制服を持ち、浴室に向かう。



自分以外の人気が感じられない、静かな廊下を歩く。

浴室に着き、脱衣所にて普段ブレザーの下に着込んでいるパーカーを脱ぎ捨てる。


ふと脱衣所に備え付けた鏡に写った自身を見て、息が詰まった。



『な、んだ…、この痣……』

紫、いやもっと濃い。
黒まではいかないが、淡黒色の痣が、鳴海の右肩に広がっていた。

どこかにぶつけた覚えはない。
そもそもぶつけたとしても、この色はあり得ない。

動揺する鳴海の耳に、昨日付けっぱなしにしてたらしい自室のテレビのニュースが聞こえた。






――各府県の強豪高校バスケ部員らが集団で行方不明になると言う事件で……――




『―――、―――ユキ!』

鳴海は上半身が裸である事も気にせず、リビングやキッチン、自室などを各部屋を捜した。

あの小さな体がどこかに居る事を信じて。




『ユキ、どこに居る…!?』




――ココダヨ、オ兄サン……



鳴海は自分の足下に視線を落とした。
そこには昨日と変わらない、小さな少年が居た。




《よかった、ちゃんと覚えててくれた…。僕はずっと、お兄さんの側に居たんだよ》



『なら、やっぱ昨日の体験は…』



《事実だよ。たくさんのお兄さん達が、あの廃校に閉じ込められてるんだ。……それと》



ユキはふわっと浮いて見せると、鳴海の肩の痣に触れた。



《やっぱり…ヤスんでるね…》

ユキは聞き取れない程小さな声で、まじないのような羅列を呟いた。
言葉が途切れると同時に触れていた掌を退ける。

すると、先程まで痛々しく蝕んでいた痣が跡形もなく消えていた。




《肩が痺れていた以外は、何ともないかい?頭痛がするとか、吐き気はないかい?》



『いや、何ともねー。ありがとうなユキ』




《何かあったら言っておくれ。多少のヤスみぐらいなら、今のボクでも治せるから》



それとさ……




《湯浴みするんでしょ?一応念入りに体を清めておいてね》






――――---……‥




『ところでユキ、あの痣は何だったんだ?それに“ヤスむ”って』

鳴海は髪をタオルで拭きながら、リビングのソファに腰掛けているユキに問い掛ける。



《“ヤスみ”って言うのは、昨日出遭った怪物のような存在が持っている“穢れ”が体内に侵入して起こる拒絶反応なんだ。“穢れ”って言うのは要するに怨み・妬み・狂気を主とした、悪霊や怪奇を形成する要素の事だね。
さっきの痣はあの時に受けた穢れが、お兄さんの精神を通して肉体に現れたんだよ》



鳴海は身支度を済ませながら、ユキの話に耳を傾ける。


時刻はもうすぐ8時に差し掛かる。
鳴海は自室に向かうと、普段使用しているスクバとは違う、一回り小さなカバンを取り出してきた。家内を歩き回り、様々な物を詰め込んで行く。

財布やケータイの貴重品もポケットに仕舞い、自宅の鍵を持つ。




『ユキ、出掛けるぞ。……案内してほしい所がある』



**********





prrru… prrru……――


《何、ナル》


『双葉、朝早く悪い。至急知りたい情報がある。午前中俺は学校をサボる…、その間に、行方が消えた生徒達を調べておいてくれ……出来るか?』


《ん、……情報料は?》


『……何でも好きな菓子を6種作ってやる』


《チーズケーキ、クッキー、ブラウニー、パウンドケーキ、アップルパイ、シュークリーム……》

『早い早い!ちょっと待て、メモる』




《……ん、気を付けてね》


『…あぁ』

どちらともなく通話を切り、そのまま仕舞うかと思いきや、少し躊躇った後、ある番号に発信する。

後々双葉に会えばわかる事だが、鳴海は相手に繋がる事を願い、無機物が鳴らすコールを聞き続ける。




……rruu… prrruuu……


7コール目が耳に届く。


prrr…


8コール目が鳴り始める。
鳴海は苦渋の表情を浮かべ、耳から未だにコールを鳴らすケータイを離した。



《――何だよこんな時間から》


『…居るなら早く出ろよ、大介』


《今起きたばっかだ。んで、何だよ…兄貴が連絡してくんなんて珍しいじゃん》


『もう8時回ってるぞ。つか朝練どうした』


《何だよ…いきなり説教かよ。あんな事件が起こったんだ、朝練は今日から禁止されたんだ。放課後もかなり短縮されて、明るい内に完全下校だ》


『取り合えず、お前は…丞成高校は何ともないんだな』


《なんかその言い方、オレの心配してくれたみてぇに聞こえんだけど》


『馬鹿か。従兄弟の心配すんのは普通だろーが。まぁ巻き込まれてねーなら良い…邪魔したな』

《おい兄貴》


通話を終えようとしたが、通話口から真剣な声が漏れた。


『んだよ』


《…あんま危ねー事に首突っ込むんじゃねーぞ》


『……何の事だかな』


《――ッ…おい兄k((ブツッ》


無理矢理通話を切り、今度こそケータイをポケットに仕舞い込む。





《いいのかい?お兄さん……》


『あんなのを目の当たりにして、放っておけるほど非情でもねーし、怪物にビビって曲げるほど愚劣な信念も持っちゃいねーんだ、俺は…』


鳴海は駅の改札を抜け、電車に乗り込む。







『だから俺は、自分が後悔しないよう行動するだけだ』

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