紫紺の楔
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怪物に直接触れた右肩がやけに痺れる。
防火扉に凭れながら、鳴海は荒い呼吸を繰り返す。
足を捻ってしまった少年とその仲間達を助ける為、危険を承知の上で怪物を階段から突き落とした。
その後、彼らが2階廊下を通過した際に防火扉を閉めた。
怪物は未だしつこく扉を叩いている。
鳴海は肩に憑いているユキを見た。
ユキも同様に疲れが見える。
『大丈夫か?』
《うん、平気…。ちょっと疲れちゃっただけだよ》
にこっと何事もないように笑うユキ。
こう言う時の「平気」は「平気じゃない」の意味だ。
やはり自分の行動はユキに負担をかけていたようだ。
『正直に言ってくれ、ユキが疲れてるのは…俺の所為だろ』
ユキは少し黙った後、口を開いた。
《……違うんだ。ただお兄さんの姿を消し続けるのに、ボクの霊力を使っているから、ちょっとガス欠気味なだけ…》
『間違いなく俺の所為だろ。…いいよ、しばらく人目を避けながら探索するから、わざわざ消さなくても』
触り心地のいいユキの頭を撫で、鳴海は痺れる右肩を軽く擦る。
『そんじゃ、行くか』
いつの間にか防火扉を叩く音もなくなっていた。
――――---……‥‥
慎重に防火扉をすり抜け、階段周辺を隈無く見る。
本当なら自分が降りてきた方の階段を使いたかったが、教室から少年達が出て来た場合、今の鳴海は見付かる可能性が大きい。
階段周辺には怪物の姿は見当たらない。
上に行ったのか、下に行ったのか…。
ユキの話から、この下には職員室があるらしい。
鳴海はこの廃校についての構造が知りたかった為、1階の職員室に用がある。
しかし一方で3階に行かれても困る。
あれから1時間は経ったと感じて居るが、3階に居た少年達は移動しただろうか。
でなければ、怪物に襲われてしまう。
一段一段、警戒しながら降りていく。
階段の陰から1階廊下を見通す。件の怪物は1階には居らず、結果として3階に行った事になる。
――“応接室”
――“校長室”
書かれたプレートを順に辿り、“職員室”と書かれた部屋の前で立ち止まる。
扉の窪に手を引っ掛けるが、鍵が掛かっていて開かない。
鳴海は辺りを注意深く見回し、誰も居ない事を重々確認した上で扉をすり抜ける。
**********
職員室はどこにでもあるような作りだった。
ただ教員の数が多いようで、だだっ広い空間が広がっていた。
『お、あったあった』
目的のものは早くも見つける事が出来た。
画ビョウで壁に張り付けられていた学校の構図を外し、1〜3階、その他の施設などを見る。
『…………』
一通り見終えた鳴海は構図を丁寧に折り畳み、ブレザーの中に仕舞う。
『なぁユキ。今思ったんだが、構図だけ“すり抜けない”なんてオチあるのか?』
《問題ないよ。お兄さんが直接触れている物体は、例外なく全部すり抜けるはずだから》
職員室を出た後確認すると、ユキが言った通り、構図はブレザーの中に変わらずあった。
『なぁユキ。ここに来る前、お前はあの少年達を“助けたい”って言ったけど、具体的どうやるつもりなんだ?あの怪物を見て、かなり強力なヤツだと解った。正直、俺が力を貸したところでどうにかなるなんて思えねーけど……』
我ながら悲観的な考えだと思ったが、実際怪物と接触し、その恐ろしさと底知れぬ力の強大さを身をもって知った。
そんな怪物が徘徊する廃校から、少なくとも10人以上居る少年達を救い出すことは容易ではない。
しかもそれだけでは何の解決にもならない。
怪物をどうにかしなければ、また誰かがこの廃校に閉じ込められるだろう。
つまりは少年達を助けるなら、同時に怪物らを倒さなくてはいけない。
もちろん“倒す”とはあくまで方法の1つだ。
他にも“追い出す”や“祓う”と言う方法もあるだろう。
しかし常人にそのような高等能力があるはずがない。
その力があるとするなら、それは陰陽師と呼ばれる人物か、はたまた怪物の力を越える、強力な霊か神ぐらいだろう。
『………“神”…?』
鳴海はユキを振り返る。
《……お兄さん、ついて来て欲しい場所があるんだ》
――――---……‥
北棟と南棟を繋ぐ1階の渡り廊下。この廊下は中庭と隣接しており、一歩下に降りるだけで中庭となる。
そんな中庭の片隅に、学校には不釣り合いなものが。
幅60cmほどの黒い石の上に、高さ30cmの小さな鳥居。その鳥居の後ろには、かなり小振りではあるが立派な社が建てられていた。
『……もしかしてこいつが』
《うん、ボクの社だよ》
ユキは愛しそうにその社を撫でた。
《ボクは古来からいる稲荷神様じゃなく、参拝に来た人達の想いから生まれたんだ。だから狐と言っても、ボクは稲荷神様の使徒じゃない》
『人の想いから作られた神…な』
《信じられないかい?》
『いいや。そう聞くと、ずいぶんと人の“想う力”ってのは強力なんだなって、思った』
ユキはくすりと笑った。
《解らなくもないでしょ?お兄さんだって、身を持って知ってるはずだよ。“想う力”がどれほど凄いかって》
鳴海は自身の手に視線を落とした。
《“幸”の名を与えられたボクは、この地に眠っている古人の“負の感情”を封じ、人々に幸福をもたらす任を持っていた。けれど力が衰えたボクに、今誰かを救えるような力は残っていない》
ユキは社の扉を開ける。
すると中に小さな台座が置かれていた。
5つの窪みがあり、何かをはめ込むようになっている。
《けどコレがあれば、ボクは力を取り戻す事が出来るんだ》
ユキは窪みを小さな指でなぞり、鳴海を見上げた。
《この廃校のどこかに、ボクが神気で作り出した“勾玉”が5つある。結界を張る為に作ったそれを、もう一度ボクの体内に戻せば、きっとお兄さん達を助ける事が出来る…!》
――お願いだ、力を貸しておくれ……
面をしたその顔貌から、真摯な雰囲気が伝わってくる。
『その為に俺は来たんだ、当然だろ』
鳴海は頷き、ユキの頭に手を伸ばした。
その時、強い目眩が襲った。
立っているのも難しいほどのそれに続き、楔が刺さっていた左胸が次第に熱く感じ始め、終いには意識が遠退き、ユキの驚いたような声が聞こえた。
ユキに伸ばした手は彼の髪に触れる事はなく、鳴海は意識を手放した。
中庭の固い地面に倒れ込む刹那、鳴海の体は煙のように消え去った。
それとほぼ同時に、数人の少年達が渡り廊下を通過した。
「……………?」
突然、そのグループの一人が弾かれたように、鳴海が消えたと思われる鳥居の方を見た。
突然立ち止まった少年に、仲間達は「どうした」と声を掛けた。
少年は呼び掛ける仲間達の声を聞きながらも、そこから視線が外せなかった。
今そこに、誰かが居た気がした。しかしけして怪物の類いではない。
そう、自分達と同じ、生きた人間が………。
「―――鳴海…サン……?」
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