紫紺の楔
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怪物がとてつもない速さで鳴海を追う。
目指すは先程見つけた3-9横に設置された階段。
怪物は怒りからか、うめき声を上げながら追い掛けてくる。
霊体の為か、体力が減る様子はない。しかしストレスはひしひしとこの体に伝わってくる。
鳴海は体育系ではない。
学校では中学からずっと部活動と言うものに関わって来なかった。
精々運動は授業でやる体育くらいで、特別足が速い訳でもない。
徐々に怪物との距離が縮まる。
ふと鳴海は頭の端で考える。
今自分は怪物から逃げている。これは恐らく人間の持つ防衛本能からだろう。
しかし自分は現在霊体で実体は無い。
ならば仮に捕まっても問題は無いのではないか…。
一瞬そんな事を考えたが、冷静に今までの事を顧みる。
トイレでユキが発言した「逃げろ」とそう言った彼の慌てよう。
背後から迫る怪物もそうだ。
危害を加えられないのなら、激昂したとは言え、執拗に追い掛けて来ても何のメリットも無いはずだ。
これらから考えられる事は、鳴海も捕まればただでは済まないだろうと言う事だ。
下手すれば、ゲームオーバーにも成りうる。
乾いた笑みが頬をひきつらせた。
そうこうしてる内に階段が見え、鳴海は角を曲がる。
そして誤算が発生した。
3階とこの2階に居た少年達の他に、まだ別のグループが居たらしい。
黒いジャージが印象的な4人の少年達は、今しがた鳴海が利用する事を考えていた階段から上って来ようとしている。
このままでは怪物と鉢合わせさせてしまう。
たたらを踏んだ鳴海のすぐ近くまで、怪物は迫っている。
鳴海は間に合う事を願い、階段の向かいに作られた渡り廊下に足を向けた。
渡り廊下を走り出し、怪物の様子を窺うべく背後を振り返り、息が詰まった。
今「……さっそく、お出ましかいな…」
桜「ひ、ヒィィィッッ!!!」
若「…ぅっそ…だろッ…!!」
青「出やがった…!!」
怪物は曲がり角の直前で立ち止まり、階段を上ってきた彼らの方向を凝視していた。
彼らの表情の変化を読み取り、怪物は彼らに狙いを定めた事が解った。
――まずいッ…!!
どうにかして怪物の意識をこちらに戻さなくては。
《グオ"オ"オオォァ"ァ"!!!》
今までと一風変わったら咆哮を上げた。歓喜しているとでも言うのか。
少年達は来た道を戻るべく、階段を駆け降りて行く。
桜「っ、あぁッ!!!」
若「―――桜井!!」
駆け降りて行く少年らの内の1人が段差を踏み外し、転倒する。
その様子を見る限り、彼は今足を捻ってしまったようだ。
慌てて前を走っていた金髪の少年が、その少年に駆け寄る。
まるでそれを狙っていたかのように、怪物は2人に向かって襲い掛かった。
桜「うわぁぁぁああッッ!!!!」
若「うぉぉああッッ!!」
2人の悲鳴が階段に木霊する。
今「――若松っ!桜井っ!!!」
**********
-桜井side-
体育館からスタートし、僕ら桐皇学園グループは、職員室があると言う南棟へ探索していた。
その間、生徒昇降口や職員玄関の扉を調べたが、どこも沈黙を守り、固く閉ざされていた。
それも奇妙な事に、あの若松先輩や青峰さんがいくら攻撃しても傷1つ付かなかった。
手掛かりを探すべく、まずは職員室に入る事を考えていたが、赤司さんが言っていた通り、職員室の入口は開いていなかった。
職員室には恐らく各教室の鍵が置かれているはずだったが、そこも浸入不可となり、早くも八方塞がりかも知れない。
それでも手掛かりを少しでも得るべく、それぞれが居たと言う部屋を調べていく。
この棟で言うなら、職員室の隣にある「校長室」
そしてその隣接して作られた「応接室」
この2つの部屋を調べるけど、やはり何も見つからない。
続いて僕らは2階の探索に向かう。
今「なんや、ずいぶんと静かやと思わんか?まるで…嵐の前の静けさ、みたいな……」
若「へ、へへ変な事言わねーで下さいよ!」
青「うるっせーな…。あんたも面白がってんじゃねーよ」
今吉「なんや、青峰。いつもみたいな覇気を感じひんけど…ビビっとんのか?」
青「ビビってねーよっ!」
桜「ス、スススイマセン!…で、でも僕も、何か変な感じがします……」
上と下を繋ぐ踊り場を通り、すぐそこに2階の廊下が見えた。
この階段は、廊下から曲がった位置にあるようで、曲がった先に何か居ても気付けない…。
そう思っていると、先頭を歩いていた今吉先輩が立ち止まった。
どうかしたんですか?
そんな言葉が浮かんだが、僕の喉を通過する事はなかった。
今「……さっそく、お出ましかいな…」
桜「ひ、ヒィィィッッ!!!」
若「…ぅっそ…だろッ…!!」
青「出やがった…!!」
曲がり角のすぐそこに現れたは、悍(オゾ)ましい怪物だった。
とてつもない速さで走っていただろうソレは急に立ち止まり、僕らの方を見て咆哮する。
青「逃げるぞッッ!!」
青峰さんの掛け声に釣られ、一斉に来た道を戻って行く。
その時、僕は足が縺(モツ)れ、段差を踏み外してしまった。
桜「っ、あぁッ!!!」
――痛ッ…!
しかも運悪く足を捻ってしまった。
若「―――桜井!!」
慌てて前を走っていた若松先輩が引き返し、駆け寄って来た。
僕の脇に先輩は肩を入れ、肩を貸して下さるみたいだ。
刹那、若松先輩の目が見開かれた。僕は先輩が見ている背後を振り返った。
桜「うわぁぁぁああッッ!!!!」
若「うぉぉああッッ!!」
怪物は待ってましたとばかりに、僕と先輩に襲い掛かってきた。
今「――若松っ!桜井っ!!!」
今吉先輩の慌てた声が、変にゆっくりと聞こえた。
僕の双眸に水滴が浮かんだ。
もうダメかもしれないッ…!
怪物の不気味で醜い顔が、すぐそこにあった。
メキャッ…!!
何かが軋んだような、または折れたような音が鼓膜を刺激した。
桜「あ……ぁぁ…」
若「ッ…!!?」
視線を下に向ける。
下、つまり階段の踊り場に目を向けると、有らぬ方向に首が曲がっている怪物が落ちていた。
踊り場に居た今吉先輩と青峰さんは持ち前の反射神経で下敷きにならずに済んだようだ。
ピクピクと痙攣している怪物。
この隙に若松先輩に肩を借り、2階へと上る。
潤んだ瞳のまま倒れている怪物を見る。近くで見ると、かなり大きい。
若松先輩と同じくらいか、それ以上の巨体だ。
今吉先輩や青峰さんも僕らに続いて2階へと上ってきた。
今「急いでどこかに身を隠すで!! 相手はバケモンや、あれくらいでくたばる訳ない!」
その言葉を待たず、怪物は大きく身動いた。
桜「ッ…ヒィッ!」
怪物はゆっくりと立ち上がり、また咆哮を上げる。
瞬間、怪物が驚くほどの飛躍を見せ、一気に階段を上ってきた。そして再び僕らに飛び掛かろうと飛躍する。
バァアアアンッ!!
桜「えぇっ!!?」
途端、目の前で防火扉が怪物の行く手を阻んだ。
階段をピタリと覆うその黄緑色のそれは、まるで僕らを守るかのように勝手に閉まった。
怪物は突如閉まったそれに激突したようだ。
向こう側から防火扉を殴る音が聞こえる。しかし鉄製のそれは頼もしくそこに佇んでいる。
防火扉と言うだけあって、扉も勿論ついている。しかし怪物らにそこを開けると言う選択肢は無いのか、執拗に叩き続けている。
今吉先輩を先頭に、僕らは2階の教室に急いだ。
――その際に一瞬だけ、僕は奇妙なものを見た。
閉じられた防火扉に凭(モタ)れるように立っている、今吉先輩と同じくらいの身長の人影。
ジ…ジジ…と効果音が付きそうな、消えたりボヤけたりを繰り返すその人影。
不思議と嫌な感じはなかった。
そして何より、優しい飴色の髪がとても印象的だった。
――だから直感的に、あの人が僕らを助けてくれたんだと解った。
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