紫紺の楔

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どこからか、透き通った少年の声が聞こえてきた。


鳴海は時刻が18時に差し掛かり、本格的に暗くなってきた辺りを見回す。



――コッチ、コッチ…


今一度聞こえて来た方向、つまり下方を見る。



『―――!!』



《助けてくれてありがとう。もう少し遅かったら、ボクの神気が危うかった》


ピョコと頭に生えた白い耳。
フワフワと左右に揺れる、恐らくは尾てい骨から生えてるであろう少年より大きな白い尻尾。
よく巫女が着ているような、白い上着に赤い袴。
見掛けは6〜10歳くらいの幼い少年。しかしその顔には、狐を模した面が付けられている。


それら全てが、この少年をただの子供ではない事を物語っている。




『……さっきの…白狐か?』

ふと口から零れたのは少し掠れたような声。


《そうだよ》

サラリと、少年の銀髪が揺れた。表情は面をしている為に見えないが、声から察するに微笑んでいるのだろう。


少年は鳴海に着物の袖を捲って、その華奢な腕を見せた。

少年の腕にはまだ無数の傷が残っているが、目を凝らして見ると、徐々に、しかし確実に傷が癒えていく。



《ちょっとお兄さんの体を借りてね、一番手っ取り早い治療を行ったんだ》


見てて?と言い、少年は近くに転がっていた何かの破片に指を滑らせた。一線が浮かび、その小枝のような指に、いくつもの赤い水玉が滲む。

鳴海が傷を見たのを確認すると、少年は流れる清水に指を浸した。
濡れた指をある程度乾かし、もう一度鳴海にその患部を見せる。



『……傷が、治ってる』

さほど大きな傷ではなかったが、傷が塞がるのは少なくとも1日はかかるであろうその傷は、もう跡形も残ってはいなかった。





《こんな風に、ボクは神社にある清らかな水によって、瀕死の状態から脱したんだ》


鳴海の表情を窺うように、少年は彼を見上げた。


『……清水で傷が癒えるって事は、やっぱり、人じゃねーんだよな』

語尾に疑問符が無い。鳴海は確信を得て言っているのだろう。

少年はコクリと頷き、
《そうだよ》と答えた。



《ボクは“鉄砲狐”。小さな社だけど、ボクはそこの神だったんだ》


『……神様なのか。けど、その神様がなんでこんな所に』


言った後に鳴海は愚問だったか、と髪を掻き乱した。

『悪い……』



《ううん、構わないさ。ボクはかつては小さな社を持った神だった。けど、ひと昔……ある事件が起こってボクの力はとても微弱なものとなった。“鉄砲狐”って言うのは、ボクみたいな“力”を失くした狐神の総称さ》



面をしているはずなのに、鉄砲狐の表情がとても悲しそうに見える。


鳴海はそんな鉄砲狐の頭に手を置き、そっと撫でた。

時折、鉄砲狐の白く温かな耳に手が触れ、鉄砲狐は擽ったそうに笑った。




《ふふ、ボク人間に頭を撫でられたの初めてだよ》



『そか…。なぁ、ずっと疑問だったんだが、神様みたいな強い霊魂だと、俺みたいに触れる事が出来るのか?最初、白狐だったお前は肉眼では見えなかったけど…』


問い掛けると、今まで楽しげに笑っていた鉄砲狐が沈黙する。

まずい事を言ったのだろうか。
鳴海は手を離し、鉄砲狐を見下ろす。



《ごめんなさい……》


とても蚊の鳴くような小さな声だった。





《お兄さんがボクを見つけたその時から、ボクはお兄さんに取り憑いたんだ……。だからお兄さんはボクと話せるし、触れる事も出来るわけで…》

言い難い内容のようで、鉄砲狐は歯切れが悪く口籠る。


《あの時のボクはね…、まだ死にたくなくて…、それで、たまたま近くを通ったお兄さんに…助けて貰いたくて…さ、脇道に入るように仕向けて……》



成る程、鳴海は納得する。
自分の家までは、ほとんどの道を真っ直ぐに進む。
ケータイに気を取られていたとは言え、脇道に逸れる事はそうない。




《そこから、お兄さんにボクの姿を認識してもらって……》


『取り憑いたわけか』

鳴海はフッと口角を上げた。
それを見た鉄砲狐はビクリと肩を跳ね上げ、縮こまってしまう。



《ごめんなさ》


『謝る事でもないだろ。“死にたくない”なんて、神様もそんな事思うんだなって、思っただけだ』



《……怒らないのかい?》



『“死にたくない”って思うのは誰だって普通の事だろ。それに幽霊は憑いてナンボの存在だろ?まぁ、お前が悪霊だって言うなら、お帰り願いたいがな?』

鉄砲狐の目線の高さに屈んだ鳴海は、鉄砲狐の小さな頭を再び撫でる。



《お兄さん、変わってるね》



『……たまに言われる』


クスクス可愛らしく笑う鉄砲狐。しかし徐々に声は小さくなり、鉄砲狐は真剣で、懇願するような声色になった。




《お兄さん。ボクがこれからお話しする話……聞いてくれるかい?》







*******





カチャ…ガチャン――


明かり1つ点いていない暗闇の玄関から、鍵を開ける音が聞こえる。

静かに扉が開き、長身の人影が何かを探るように壁に手を這わす。


パチン…!

スイッチが切り替わる音と共に、部屋が一瞬で明るくなる。

突然の光に反射的に目を閉じ、ゆっくりと開く。


鳴海は殺風景ながらも生活感がある清潔なリビングを通り、自室の扉を開く。



『好きな所に居てくれていいぜ』

肩から提げていたカバンをベッドへ放り投げ、自分も同様にベッドへ腰掛ける。

鉄砲狐はキョロキョロと部屋を見渡し、落ち着きなくソワソワしている。
こうして見ると、年相応の人間の子供と変わらない。




《一人暮らしなのかい?》



『……いや、親父が居るよ』

鳴海はカバンからペットボトルを取り出すと口に含み喉を潤す。





『それで、話って何なんだ?』

尋ねられた鉄砲狐は居住まいを正し、静かな声音で話し始めた。




《まず…ボクの名前はユキ。“幸”と書いてそう読むんだ。ボクの祀られていた社は、とある学校の敷地内にあって、ボクはそこの所謂守り神だったんだ。

とても大きなものを、かつてボクは抑え、封じ込めていたんだ。でも、ある日封印が緩んでしまい、その権化が内に浸入してしまったんだ。その後の事件でボクは急激に力が弱まってしまった。

それでも、つい最近までは何とか出来ていたんだ。でも年々ソレの霊力が増してきて……とうとう昨晩、もうボクの霊力だけではどうにもならなくなった。

そして……たくさんのお兄さん達がその学校に閉じ込められてしまった…》





『――は、おいっ、それって…』


鳴海は自室に取り付けたテレビをつける。

映し出されたのは今朝から特報されている【強豪高校バスケ部員集団行方不明事件】についてだ。




『この事件と…関係してるのか…?』


テレビを凝視していた鉄砲狐、もといユキはゆっくりとした動作で鳴海に向き直ると
《うん…》と頷いた。



《間違いないよ…。これは彼らがやったんだ》


『彼ら…?』

鳴海はユキの言う【彼ら】について訊ねた。




《昔のとある事件以降、ボクのいた学校は廃校になったんだ。そして同時に、かの権化を中心に悪霊や怨念、その他の悪意が集う巣窟になってしまった…。

この怪奇事件は、そんな彼らが空腹を満たそうと、たぶん生気というか…活気に溢れた精神が強い人達を各地から集めたんだと思う……》



【神】と【悪霊】はまた違う存在なのだろうか、それともユキ自身があまり彼らについて詳しくないのか、ユキは歯切れ悪く答えた。





《ご、ごめんよお兄さん…。こんな話、信じられないよね…》


『……まぁ、信じろってのは難しい話だよな』



《うん……そうだよね…》


『俺は信じるけどな』


《うん、だよね……え?》

ユキは鳴海の言葉に小首を傾げ、拍子抜けした声を出す。


《信じて…くれるの?》


『逆にどこを疑えばいいんだよ。言っとくが、俺は基本子供が言った事でも信じるタイプだぜ。まぁ、それで何度も恥かいてっけど…』


それで…?

鳴海はユキに再度訊ねた。





『お前は、どうしたいんだ?』

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