紫紺の楔2

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その大きすぎる震動は2人に容赦なく襲い掛かった。
身を屈めていた井吹は揺れにつられ、右肩を強く壁にぶつけてしまう。
立っていた鳴海はバランスを奪われ、受け身を取る間もなく腰から倒れ込んだ。

互いに受けたダメージに顔を歪ませる。


「痛ッッ――……鳴海、動けるか…――」

先に復活した井吹が鳴海を見て瞠目する。否、鳴海の背後を見上げて目を見開いた。

この暗い空間に浮き上がる“黒い影”

暗闇の中で、その影の“黒”だけはハッキリと意思を持って動いていた。
立体的ではなくその文字通り“影”の存在は、腰を打ち付け、倒れ込んでいる鳴海に今にも覆い被さろうとしていた。



「鳴海ッ――!息止めろッ!!」

井吹の叫びに一瞬目を見開き、咄嗟に息を止め、固く目を瞑った。
井吹はそれを確認する間もなく、カバンから小降りの壺を取り出し、“影”に向かって放り投げた。

“影”に直撃した壺は粉々に割れ、辺りを白く覆った。
井吹は腕で口許を隠し、半目を開けて状況を確認する。

ようやく白い煙が晴れた時には“影”は居なくなっていた。
しかし揺れは収まる気配がない。


「鳴海、鳴海!起きれるか!?状況が変わった、急いでここから出るで!」

『――ッ、平気です。……歩けます』

脇に体を入れてきた井吹に断りを入れ、鳴海は自分の足で立ち上がる。
大きな揺れの中、壁に手を付きながら昇降口を目指す。
しかし、状況は2人が考えていたよりも深刻だった。

月明かりが射し込む廊下。そこにユラリと揺れている数多の“影”
一瞬黒い靄と見間違えるが“影”たちはユラユラと揺れながら2人に向かって来る。


「チッ……辛気臭いな!」

井吹は再び壺を取り出し、“影”に向かって放り投げた。白い煙が巻き上がる。


『それは……?』


「“聖灰”や!実家の保管庫からパクって来た!」

煙が晴れると、“影”たちは一掃されていた。だがすぐに壁や床、天井から新たな“影”たちが現れる。
井吹はまた壺を投げる。するとまた至る所から“影”が現れる。


「……キリが無いわ。しゃーない…鳴海、ぐるっと回って昇降口に行くで」

苦肉の策だった。中庭は完全なる屋外。つまりカラス達が行動可能の領域。しかし2階に上がる余裕は最早無いに等しかった。
鳴海は後ろを窺う。
階段からも黒いソレらが降りて来ていた。


『解りました、行きましょう…』

鳴海が了承すると、井吹は自分達の足下に壺を叩き付けた。
瞬間、立ち込める白い煙。

“影”たちは一瞬動きを止める。
その隙に2人は煙から飛び出し、中庭に繋がる鉄扉を開けた。同時に井吹は塩を撒く。
頭上でひしゃげた声が上がった。

案の定、中庭には大量のカラスが待ち構えていた。
一旦塩で怯(ヒル)ますものの、すぐに別のカラスが襲い来る。



「――ッ、鳴海、先に行け!オレが後ろから牽制するから!」

井吹は塩や壺を放りながら、鳴海に促した。


『それじゃ井吹サンが……!』

「お前がオレの立場やったらどうすんねん!?同じ事したやろ!?オレは心配せんでもええねん!ええから早よ南棟に行けッ!」

半ばキレながら井吹は言った。
鳴海はぐうの音も出なかった。井吹が言った通り、自分が逆の立場なら同じ様な行動を申し出ただろう。

そして何より、丸腰の自分は足手まといでしかない。


鳴海は脆くなっている床板を力一杯蹴った。
背後からひしゃげた声が、その後にパラパラと塩が地面に降る音がした。



「もうちょっとやで鳴海!走れ!」

井吹の援護あって、無事鳴海は南棟の鉄扉前に辿り着く。



『――――』

グワンっと、頭が揺れた。目の前がザザザッ、と砂嵐のように乱れ、一気に暗転する。
先程から変わらず揺れる震動の所為でも、月に雲が掛かった訳でもない。

それは例えるなら立ち眩みのような感覚。



「――鳴海ッ!!」

井吹にはそれが何なのか理解出来た。

一瞬。今 本の一瞬、鳴海の精神が肉体を離れかけた。

夕方、鳴海の離れかかっていた精神と肉体は井吹が繋ぎ止めた。だが、それは一時的に縫い止めていただけに過ぎず、寄りによってこのタイミングで緩んでしまったのだ。


『ぅ……』

鳴海は薄ら見えてきた視界に、【何か】を捉えた。


それが何なのか頭が処理する前に、鳴海の思考は停止した。










「鳴海――――ッッッ!!!!!」








ひしゃげた声を切り裂くように、井吹の悲痛な叫びが廃校に響いた。

井吹は襲い来るカラスを蹴散らしながら、中庭で異彩を放つソレに向かって走る。
古ぼけた小さな社。

井吹は今目の当たりにした光景を反芻する。


鳴海の精神が肉体を離れかけたその一瞬、井吹でさえも身の凍る気配を感じた。
反射的に鳴海の元へ走り出した――すると、この社の扉が開き、あろう事か鳴海を "引き摺り込んだ" のだ。

渡り通路とこの社までは50m越えの距離がある。
しかし社の扉が開いたその時、それはまるで選んだかのように鳴海だけを吸い寄せ、何事もなかったように再び扉を閉ざした。


(まさか……"喚ばれた"とでも言うんか…!?)

井吹はギリッと奥歯を噛み締め、今にも倒壊しそうな社に掴み掛かった。


「っざけんなや!!!神様か怪物かは知らんけどな、オレの目の前でかっ拐って行くなやッ!!!」

メキメキと悲鳴を上げる社の扉を無理矢理抉じ開け、井吹は荒い息を繰り返す。
解ってはいたが、当然社の中は蜘蛛の巣や煤(スス)が溜まっているだけで、鳴海が居るはずがない。
ただ小さな社内に置かれた台座の窪には、勾玉の形に彫られた石が1つ嵌まっているだけだった。


ズルズルと膝から地面に座り込み、井吹は社を支えている台座に拳を打ち付けた。



「クソがッッ……!」

苛立つ気持ちそのままをぶつけるように、井吹は中庭を飛び回るカラスに向かった。


「無事に帰さんかったら承知せーへんぞ!!そん時は廃校(ココ)荒らすからなッ!!?」

井吹は鳴海が帰って来るまで廃校で待つ事を決心し、ありったけの道具を構えた。




―――――――………‥‥

―――………‥





頭でも打ったのだろうか、後頭部が割れるように痛い……。
乗り物に長時間揺られた時のような気持ち悪さも感じる。

鳴海は意識があるものの、未だ暗闇の中に居た。それは昨夜のような体育倉庫などではなく、鳴海自身の目がまだ閉じている為だ。

草花が風に吹かれて戦(ソヨ)ぐ音がする。
その事から、鳴海は中庭に居るのだと判断出来た。





ガサ……


一際激しく草花が揺れる。


ガサ、

ガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサ



音は次第に大きくなり、直感的に危険だと悟る。
このままではまずい。そう脳が警鐘を鳴らすが、体が動くどころか、目を開ける事も出来ない。

バサッと何かが羽ばたいた音がした。
脳裏にあの色鮮やかな蝶が過(ヨギ)る。

何かが自分の上に居る気配を感じる。
どうすれば良いのか解らない。しかしこのまま大人しく喰われる訳にはいかない。
内心みっともなく、どうにか体を動かそうと藻掻き続ける。

すでに気配は肌に触れる距離で感じる。

万事休すか―― そう頭の端で諦め掛けた時、肌を突き刺すような冷風が吹き荒れる。
風によって気配たちがかっ消える。
周囲の気温がぐっと下がる。しかし近くに何かの気配は感じられない。
鳴海は一安心すると同時に、一秒でも早く目覚める事に努めた。





未だ開かぬ真っ暗な視界の中、脳内を渦巻くように聞こえ続ける音があった。
いや、これは音ではなく声だろう。


それも、すぐそばで聴こえるのだ。



それは高い音色。



小鳥が鳴くような、




とても愉しそうな嗤(ワラ )い声――





クスッ……クスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクス――――
フフッ……アッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ…………









――早ク目覚めナイかナァ〜早くアナタの瞳ガ見たイ




――アナタの瞳ハ 何色カシら……?





鳴海は頭が浮くような感覚を覚えた。
ヒヤリとした、何かが頬に触れた。



クスクスクス――





声の主は鳴海の頭を大事そうに抱えると、また愉しそうに嗤った。
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