紫紺の楔2

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なんの飾り気もない、見慣れた天井が視界を占めている。
自分はいつ目覚めたのだろうか――

変に体が気怠い。その癖、フワフワと体が浮いているような心地よさも感じられた。



――♪…♪♪

枕元に置かれたケータイが着信を告げる。
覚醒しきっていない体を引き摺るように動かし、ケータイに手を伸ばす。
短いメロディーだった事からメールだと判る。ロックを解除し、ホーム画面に入ると、反射的に鳴海は飛び起きた。


メール21件。不在着信14件、うち留守電8件。
慌ててメッセージを再生すると、聞き慣れた友人、知人達の声が無機物独特の声色で聴こえてきた。どれも鳴海を心配しているものばかり。
鳴海はディスプレイ上部に表示されている時刻を見る。

――17:54

バッとカーテンを乱暴に翻す。
日没の早いこの時期、眼下の住宅街はポツポツと明かりを灯し始めている。
急いである番号に連絡を入れる。すると、すぐ傍からコール音が。




「――鳴海ッ!!?」

バン!っと自室のドアが開かれる。現れたのは長身の男。
男はケータイを耳に当て、こちらを凝視している鳴海を見て一瞬目を見開いたが、すぐに眉を顰めた。



『井吹サン――……』

鳴海は未だにコール音を響かせるケータイを閉じ、男、井吹に向き直る。
突然、井吹は痛いぐらいの力で鳴海の肩を掴んだ。



「お前……何したんや」

井吹はじっと鳴海の目を睨みつける。


「お前……魂と肉体が分離しかかっとるぞ」


鳴海はギクリとした。
彼、井吹は鳴海の友人で、「そっち」関係に詳しい人物だ。だから今回彼の力を借りようと昨日連絡したのだが…。


「まさか、オレのとの約束に来ぉへんかったんは、これが関係しとるんか」

三白眼を鋭くつり上げ、井吹は鳴海に問い掛ける。嘘など許さないと言わんばかりの迫力に、思わず咽喉を引き攣らせる。

しかし、すぐに鳴海は緊張を解いた。
元々、井吹に事の相談をする為に連絡を取ったのだ。隠す事など何もない。
鳴海は今まで自分が見聞きし、体験したすべての事を井吹に伝えた。



「……なるほどなぁ。大体予想しとった通りや」

『予想通り?』

井吹は言う。
体躯の良いバスケ部員が一度に"誘拐"などされるはずがない。そして何より、バスケ部員らが消えたあの日、廃校が在ると思われる方角から禍々しい気配がした、と。


「お前が件のニュース知ったら、絶対何らかの形で関わって行きよると思っとったんよ。まさか神サンの力使こて直接乗り込むとは思とらんかったけどな」

はぁぁあ……と長い溜め息を吐き、井吹は鳴海を爪先から髪の先までじっと見た。


「なぁ鳴海、今 体が怠かったり、フワフワした感じあらへんか?」

鳴海は再びギクリとした。
それを見た井吹は腹を抱えて笑い出す。


「わかりやすい奴っちゃなーホンマ!せやから信用出来んねんけどなー!」

大口を開けてひとしきり笑うと、井吹は居住まいを正し、鳴海の首をトントンと軽く叩いた。

「ん、これでええやろ。あとはちゃんと精がつく旨い飯でも食べたら大丈夫や」

『今の……』

「自分、昨晩 怪物に首でも噛まれたんやろ?魂の一部が磨り減っとった。あと、時間はちゃんと守らなアカンで。まあ聞いた感じ、あの保健室で帰っとったら危なかったけどな」

――本格的に怪物の腹ん中に喰われとったで。


『……やっぱりか』

鳴海は昨晩の恐怖を思い出し、背筋が寒くなった。

「とにかく、次からはちゃんと時間守んねんで?せやなかったら、その"楔"って道筋があっても、肉体に魂が戻れんようになる。あんまし肉体留守にしとったら、魂が抜け易うやるから。……嫌やろ?魂の入り口がガバガバになるとか」

最後辺りは笑いを含んでいたが、井吹が冗談を言っている風には見えない。紛れもない事実なのだろう。


「ほな、行こか」

『どこか行くんですか?』

「何惚けとんねん。件の廃校に決まってるやろ」

『こんな時間からですか?』

聞き返す鳴海に、井吹はニヤリと口角を上げた。


「アホ言いなや。オレが帰った後、自分1人で行くつもりやったクセに。お前だけで行かしたらどんな無茶しよるか判らんからな。一緒に行ったる」

指先でくるくるとキーを振り回し、井吹は先に玄関の方へと向かった。
彼の後ろ姿をしばし見詰め、鳴海は「……敵わないな」と苦笑いをひとつ。後を追って、玄関へ向かった。



******




「……おーおー、ぎょうさん居るわ」

ヘルメットを外し、井吹は廃校周辺を飛び回るカラスを見上げた。
すでに日は落ち、ポツポツと見える星と鳴海が持ち合わせた懐中電灯しか光と呼べるものがない。

ザワザワと不気味な音を出してしなる木々に混ざるように聴こえるひしゃげた声。
辺り一面を覆い隠す暗闇に溶け込むように、黒い番人は廃校の周りを旋回する。

それらに見付からないよう、茂みに身を隠し、井吹は話し出す。

「……鳴海の話通りやとすれば、現実(コッチ)の廃校と向こうの廃校はリンクしとる。現実で開けた部屋は向こうでも開くようになっとる。……ええか、深追いは禁物や。危険を冒しよったら即帰らすからな」


『……解りました』


鳴海が頷くと、井吹はワシャワシャと頭を撫でてきた。


「よっしゃ、行こか!」

井吹が廃校に向かって走り出したのを受け、鳴海も廃校へ駆ける。
それを見受けたカラスが、一斉に降下してきた。


「足止めんな!いちいち気にしてたら埒明かへん!」

井吹は頭を掠めようとしたカラスを躱しながら後続する鳴海に叫んだ。
それに倣って鳴海もカラスをギリギリ躱す。

視界が悪い中、転がる様にしてようやく2人は廃校へ侵入した。


「うっへー、きっしょいわー……。目玉取れとるヤツも居るやん……」

文字通り死体が動いているような形(ナリ)をしているカラスらに、井吹は眉を顰めた。

「取り合えず塩撒いとこか」

パッパッと井吹は持参していた塩を昇降口に振り掛けた。すると昇降口に張り付いていた数羽のカラスが苦しげな奇声を上げて離れていった。




『こんな所に一緒に来てもらって……すみません』

鳴海は額から垂れてきた汗を拭う。
その時、井吹は鋭いデコピンを喰らわせた。



「まったくやで!ホンマ自分無茶ばっかしよる!!」

『……すみませ』

「謝んなや!……ったくもー」

井吹はガシガシと頭を掻くと、「やり難いわー」と溜め息を吐いた。


「ホンマ鳴海は護られ馴れてへんなぁ。普段がどうであれ、今はオレの方がお兄さんやぞ。もっと気抜きぃ?」

井吹はワシャワシャと鳴海の頭を撫で、言い聞かせるような口調で言った。
頭を撫でられ、形容しがたい感情に困惑しながらも鳴海は『頼りにしてますよ』と苦笑いした。


「……で、どこ行くんや?手当たり次第開けるとかやないんやろ?」

『北棟から続く第1体育館への鉄扉を見に行きたいと思ってます。安全圏への近道にでもなればと……』

井吹が懐中電灯で暗い廊下の先を照らす。
現実(コチラ)に怪物は居ないと解っているが、この3日間の体験が、鳴海の神経を最大値にまで張り巡らせる。

校舎の外から、ひしゃげたカラスの声がひっきりなしに聴こえてくる。
前回の事もあり、屋内だからと気が抜けない。
老朽化の激しい廃校は、その気になれば容易に壁を壊し侵入する事が可能だ。
一瞬たりとも気を緩める事が出来ない。

息を詰まらせる鳴海の頭に、井吹がそっと手を置く。


「んな気張り詰めんと、気楽にし?今はオレが一緒に居んねんから」

ポンポンと数回頭を叩くと、井吹は先を歩き出した。


『井吹サン……』

鳴海は苦笑いを浮かべた。





『そっちは南棟です。こっちが北棟ですよ』


「わ、解っとる…!」



******




廊下の真ん中辺りまで来ると、その異様さが目に飛び込んできた。

まだまだ百数m先だが、第1体育館に繋がっていると思われる鉄扉の様は、遠目から見ても異質だった。


微かな懐中電灯の灯りによって照らされた鉄扉には、尋常ではない量の鎖によって塞がれていた。
まるで鎖の繭(マユ)だと、井吹は言った。


『これ……!』

鉄扉の前まで辿り着くと、鳴海はもう1つのある点に目を留めた。
一昨日、初めてこの廃校に来た時の記憶がフラッシュバックする。

「何やこれ」

井吹は躊躇う事もなく、ベリッとそれを剥がした。


「……呪詛の札やな。それもかなり強力なヤツや」

そう言って、井吹は剥がした御札を真っ二つに裂いた。更にそれをパラパラと宙に放った。
暗い空間で、破られた御札の煤けた白色だけが妙な存在感を持っている。

御札はまだ数百枚と貼られている。
井吹はまた御札を剥がし、裂いていく。
鳴海も同じく御札に手を伸ばすと、井吹が制止を掛けた。


「お前はやらんでええ。……見ぃ」

井吹が顎で下を見ろと促す。
従って下を見ると、途端にボッと御札の切れ端が発火した。上がった火は一般的な赤色ではなく、闇に溶け込むような黒色だった。



「触ったらその瞬間呪われてまうで。たぶんこの類いは腕の1本2本持って行きおる」

説明しながらも、井吹は次々に御札を裂いていく。その数はすでに100枚は越えている。


『……ぃ、ぶきサンは…』

暗闇でも解るほど、鳴海の表情が蒼白い。
すると突然井吹が吹き出す。


「オレは平気やで。せやから そんな心配せんでもええって。……つっても、そろそろ面倒くそーなってきたわ」

井吹は今裂いていた御札を放ると、カバンから透明な液体が入ったペットボトルを取り出した。


『それは…?』

ペットボトルのキャップを外す井吹に訊ねる。
すると井吹は答える代わりに、ニヤリと笑って見せた。


「まあ見とき?」

直後、井吹はペットボトルに入っていた液体を鉄扉を覆う御札に掛けた。

すると御札が突然発火。黒い炎を上げ、バラバラと御札が剥がれていく。


「――清水や。いや、この場合“聖水”って言うた方がテンション上がるな……」


『ただの水では……ないって事ですか?』


「せや。ウチの爺様が毎晩欠かさず、念を籠めてはる特別な湧水や。めっちゃ効くでー」

聖水のお陰で鉄扉を覆っていた御札が無くなり、残るは鎖のみとなった。
雁字搦(ガンジガラ)めになっているそれは、解くのにかなり骨が折れそうだ。

「なんか切るもんが要るな。……そんなん持って来てたやろか」

井吹がカバンを漁る。
鳴海もどこか外せる部分はないかと探る。


パキン


小さな音がした。
音の元を探していると、またパキンっと音が鳴る。

刹那、鎖がガララッと音と共に床に落下した。
砂煙を巻き上げて、鉄扉を塞いでいた鎖が見事に取り払われる。


「おー!はっはー!景気よく取れたなー!」

落ちた鎖を掌で弄び、大口を開けて井吹は笑った。
目的を果たした事に少し肩の力が緩み、鳴海はホッと息を吐いた。


『これで“向こう”の体育館も開くと良いんだが……』

「大丈夫やろ“あっち”とこの廃校はリンクしとるからな。またお前が向こうに行った時にでも確認したらええ――」

その時、グラリと床が大きく揺れた。





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