紫紺の楔2

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ギョロ……

ギョロギョロ……―――!!





(……何だ、この居心地の悪さは)


引き留めるユキを退け、体育館を飛び出した鳴海は、言い表し難い感覚を感じていた。

それは先の高尾達が言う、舐め回すような視線。
しかし、鳴海に向けられている視線は高尾達とは異なるものであると、彼が知るはずもない。


鳴海に向けられた視線を例えるなら、“ごちそう”を目の当たりにした時のそれだ。



――ユキが彼を頑なに引き留めた理由は、大まかに言うならこの事だったのだ。

鳴海も、ユキが意地悪などで自分を止めていたとは思っていない。
間違いなく、自分の身を案じてくれていたのだろう、と理解していた。

それでも、鳴海は高尾達の無事を、自分自身の目で確かめたかった。




『…………っ』

優しいユキ神の事だ、今頃自分自身を責めているだろう。
顔に着けられた面の下で、後悔と自責の涙を流している事だろう。



―――俺は……誰かを傷付けてばかりだな…。


楔の刺さった左胸がツキンと痛んだ。




**********




鳴海は中庭を望む為、昇降口までやって来た。
昇降口には中庭が窺える窓が取り付けられている。

鳴海はひび割れたガラスを覗き込み、中庭の様子を窺った。



『…………蝶?』

赤、青、黄、緑、白、黒 …と鮮やかな色彩を持った蝶たちが、中庭を悠然と飛び回っている。

美しい色彩たちに一瞬目を奪われるが、全体を見ると、その異様さが僅かな気味悪さを感じさせる。

羽を広げ、宙を舞うそれらのサイズは30cmを越えており、何より、通常の蝶には無いだろう"キバ"らしきものが生えている。




『………流石異次元って、とこか』


鳴海が溢すと、蝶は急な移動を始めた。行く先には南棟の壁……。


『……!』

鳴海は目を見張る。
蝶たちは南棟の壁をすり抜けていき、次々と壁の先へと消えていく。

その時、先程視た断片的な映像が頭を過る。






『色……鮮やかな、……蝶……っ!』

鳴海が視た映像は、やはり妄想や虚像などではなく、断片的な予知だったようだ。


鳴海は蝶たちが向かった南棟へ走る。
そして再び、目を見開く光景に遭遇する。

蝶々が密集して出来た壁が、先の廊下を塞いでしまっている。
その壁から時々「キシキシ……」と、"キバ"を研ぐ音がする。


この中に飛び込めば、いくら実体の無い鳴海でも、ただでは済まないだろう事が感じ取れた。


鳴海は思考を巡らせる。



―――怪蝶たちがここまで集まったのは、間違いなく高尾達が関係しているはず。
なら、これだけたくさんの蝶がこの廊下に密集してるという事は、この近くに高尾と火神クンが……?


この辺りで開放されている部屋はすぐ後ろの「進路室」と目の前の「応接室」
そしてこの先の「校長室」しかない。

蝶たちが居る位置からすれば、「応接室」と「校長室」の可能性が高い。

鳴海はどうにかこの怪蝶たちを散らす事は出来ないか、と考える。













「――こんな訳わかんねートコで…終わりだって言うのかよ…ッ!ふざけんなよッッ!まだ…まだやりてぇ事、いっぱいあんだよ……!」





『――――!』

(い、まの、……声……っ)

瞬間、頭の中が真っ白になった。


密集し、飛び回る怪蝶たちの隙間から、大小異なる人影が己の水晶体に写り込む。
同時に、2人迫る、巨体の怪物の姿も。



それから、まるで映像をスロー再生しているかのように、景色がゆっくりと流れていく感覚を味わう。
先の光景を見たその刹那、鳴海は全身の力を出しきるかのように、声の限り叫んだ。






―――高尾ッ! 火神クンッッ!!


叫ぶと、怪蝶たちが跡形もなく消し飛んでしまう。

色とりどりの破片が散る廊下を突き進み、目前に迫った巨体の怪物が2人に襲い掛かる前に、2つの腕を掠め取る。

両手が塞がる中、すぐ傍に部屋を構えた「校長室」の扉を"手を使わずに"開けると、転がり込むように中に身を隠した。







『はっ……はっ……』

ドクドクと思念であるはずの体が脈打つような感覚。


―――そうだ、扉ッ!


扉を閉めた覚えが無く、慌てて振り返ると、ちゃんと扉は閉められている。




「な…ん……で」


聞きなれた声は、震えていた。

声の主達を振り返ると、目の縁に溜められていた雫が落ち、校長室のカーペットに吸い込まれた。


『っ……』

鳴海は堪らず、2人を抱き締める。





『……今度はちゃんと、護ってやれた…っ』


高「なんで…鳴海サン…。なんでここに……っ!!?」


高尾の不思議そうな声に、鳴海は安堵混じりな声で答える。



『……言っただろ、お前も…火神クンも…俺は、ここに居る皆を、護るって』


体を離し、2人の様子を窺う。
特別大きな怪我も無いようで、安心する。
しかし火神はジャージの袖が破れており、血も付着している。



『……怪我、したのか……?』

火「いや、このくらい、どうって事ねーすよ!」

心配気に具合を尋ねる鳴海に、火神は大事ない事を告げる。


『……悪い、絆創膏くらい、持ってくるべきだったな』

火「こんなの、唾つけときゃ治るって!……です!」




ガァン!





高「ッ!!」

火「ヒッ!」



ガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガン――――!!



外で、怪物は執拗に扉を叩き始める。



安心するのはまだ早かったな、と内心舌打ち、鳴海はスクッと立ち上がり、扉へと向かう。
が、引き留めるように、高尾がブレザーの裾を掴む。




高「何、する気っすか」


『……話に聞いてるだろ? とある【視えない男】は、扉の外で待ち構えていた怪物を引き離す為に、走った……てな』


火「っ! またあん時みてぇに囮になる気かよ!……ですか!」

鳴海よりも体格の大きい火神までも、鳴海を引き留めようと肩を掴んだ。


『……心配してくれてありがとうな。けど、俺なら大丈夫だ。俺なら壁とかもすり抜けられるし、思念体だから体力も減らない。逃走に関しちゃ、何の心配もいらねーよ』


火「けど、万が一って事もあるだろ!」


高「センパイ、考え直してよ!なんか別の方法があるって!」

高尾の提案に、鳴海は首を横に振る。


『……忘れたのか、今の2人は怪奇を引き寄せるんだ。考えてる間にも、どんどん化け物が集まってくるんだぞ。中には高尾を襲ったあの髪の長い怪物みたく、壁をすり抜ける奴だっている。今の間に、少しでも早く体育館へ戻るべきだ、2人共』


もっともな事を言われ、高尾と火神は口を噤んでしまう。しかし、どうしても鳴海が囮になる事を認めたくない。

そんな2人に、鳴海は意地の悪い駆け引きを持ち掛ける。


『ちゃんと考えがあるんだ。……だから、俺を少しでも信用してくれてるなら、2人の為に行かせてくれ』






―――――…………‥‥‥

――……‥‥






未だに校長室の扉を叩く怪物の気を引く為、前回のように木片を拾い、叩き付ける。

苦し気な奇声を上げ、鳴海を睨み付ける。


『こっちだ!ゲテモノ野郎ッ!!』


前回と同じ挑発をし、駆け出す。
怪物は再び手を加えてきた鳴海を見て、不気味な笑みを浮かべる。
どぎついその口元を舌舐めずりし、嬉々として追い掛け出す。


この時にでも彼は気付くべきだった。この怪物の明らかな態度の意味を―――。









鳴海は「応接室」横の階段から2階へと上がる。しかしこちらの階段の先には防火扉が閉まっており、2階の廊下へは進めない。
否、鳴海は構わずすり抜けられるが、それでは囮の意味が無い。
鳴海は2階へ進まず、3階へと走る。

あと1段上れば3階、と言うその時、


『なっ、』


怪物は驚異的な跳躍力で、鳴海の行く手に立ち塞がった。
咄嗟に引き返すが、同じく跳躍し、階段の先を塞ぐ。

弄んでいるのか、ニタニタと悍(オゾ)ましい笑みを作っている。



『ッ……!!』

寒気がした鳴海は階段に落ちていた小さな瓦礫を拾い上げ、怪物の顔に投げ付けた。



≪グォォォオオァァァ!!≫


怪物が悲鳴を上げ、悶えている間に鳴海は3階廊下を駆ける。


なかなか距離も開いており、このまま2-1へ身を隠せば囮としての時間稼ぎは上出来だ。
心の端に、隙が生まれた。





『  』










頬に触れる、古びた木製の床板。
目前に転がされた、グロテスクな生首。
岩に押し潰されているかのようにビクともしない四肢。




動揺を隠せないまま、視線を上に向ければ、階段で悶えていたはずの怪物が、ニタニタと体の上にのし掛かっていた。





『く、そぉッ……!!』

動かない四肢を必死にバタつかせ、抜け出そうともがく。
それさえも楽しむかのように、怪物はニタニタと笑う。

“想像力”で抜け出そうと思考を安定させている最中、飴色の髪を引っ張られ、頭が浮く。
鳴海は頭の痛みに表情を歪ませ、怪物を睨み付ける。




『ッ!あ、……ぐ……っ……っ、っ……!!』






――刹那、怪物は鳴海の喉に"鋭い歯"を突き立てた。




鳴海は、目の前が真っ暗になった……。


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