紫紺の楔2

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ザワ………――


内側から変に撫でられるような不快な感覚。

鳴海は酷く胸騒ぎがしていた。




―――心配し過ぎ…か…?

しかし胸のざわめきは治まるどころか、どんどん酷さを増していく。



鳴海の落ち着きの無さは周囲に伝わっており、その中でもユキが緊張の面持ちを、面の下で浮かべていた。

いつ、彼が飛び出して行ってしまうのか……と、気が気でない。





『―――?』

一瞬、目の前がぼやける。
鳴海は目を眇め、擦り、瞬く。
すると、怒濤の如く、断片的なイメージが脳内に写り込んできた。




――小さな社、


――色鮮やかな蝶、


――血痕…血溜まり、





――蒼白い顔の高尾と火神……






『―――!?』

ゾワリ…!
寒気が襲い、全身が粟立つ。


(なん……だ、今の……)

血など通っていないはずの体が、ドクドクと脈打つ。



次いで襲ってきたのは、冷水を浴びせられたように全身が冷える感覚だった。
同時に、直感のようにある思考に支配された。




『……高尾と火神クン、が……危…ない…?』

それは他者の死に直面した時の、スッと血の気が引くあの感覚だった。




黒「―――鳴海さんッ!」

あまり声を張り上げる事がない黒子が、体育館に響き渡るほどの声を上げる。

見れば、鳴海が出入口へ向かっていた。







《――行かせないよ、お兄さん》


扉の前に、小さくも容易には退かせられぬ雰囲気を持ったユキが立ち塞がる。
面の隙間から、真剣な眼が覗いている。



『っ、高尾と火神クンが危ねーんだ…!だから行かせてくれ!』


《危ないのは初めから解っていた事だよ。けれど、上手く躱せば無事にここへ帰って来れるはずさ》


ユキは淡々とした口調で、鳴海の言葉に返していく。


『……その“上手く躱す”って事が出来ない状況にあるかも知れねーんだよ、2人が…』



《どこに、そんな根拠があるんだい…?》


微かに、ユキの表情が動いたように見えた。


『さっき…断片的なイメージが見えた。俺の空想だ、とか言われたらそうなのかも知んねー。でもッ!明らか俺の妄想とかで片付けられる情景じゃなかったんだ!もしかしたら、虫の知らせなんじゃねーかって…』


思念体である鳴海は、強く想い、願う事で具現化させる事が出来る。

先程の出来事は、2人を酷く心配していた事から、断片的ではあるものの、2人の状況を知る事が出来たのではないだろうか。










《……なら、間違いないんじゃないかな。返納に向かってくれたお兄さん達は今、絶体絶命の危機に直面しているんだね》



「「「!!?」」」


ユキの肯定を聞いた一同。ある者は目を見開き、ある者は苦虫を噛み潰したような表情を、ある者は蒼ざめるなど、様々な表情を浮かべた。




『――っ!?』

鳴海自身も、ユキが肯定してくれた事に驚き、瞠目する。しかし、鳴海が1番驚いたのはユキの表情だ。


『なんで…、なんでそんな冷静で居られるんだよ…!』

面をしている為にハッキリとは判断し兼ねるが、ユキの表情は、まるで「仕方ない」とでも言うようなものだった。



『人が死ぬかも知れないんだぞ!どうしてそこまで落ち着いてられるんだッ!!』

滅多に声を荒らげる事のない鳴海の様子に、一同は目を丸くした。
唯一そうしないユキは、尚も言い放つ。




《冷静でなければ、正しい判断も下せないだろう。今は兎にも角にも、“君”をここから出す訳にはいかないんだ》


瞬間、ゾクリと体が震えた。

この感覚には覚えがある。

ここに来て、初めて赤司征十郎と言う少年と対面した時に感じた威圧感。


前までユキは見かけ相応の子供らしい口調を使っていたが、今回発せられた言葉遣いは、曲がりなりにも“神”である事を痛感させる、極めて厳然なものだった。




『今は…って、じゃあ、いつなら出れる。そもそも結界が張れたなら、ユキも憑いて来れば良いだろ。さっきだって、俺が行くなら自分も行くって言ってただろ』


《……残念だけど、結界を安定させる為にまだ少しばかり時間が要るんだよ。だからボクは行けないし、お兄さんを行かせる事も出来ない》



『大人しく待っとけ、って事かよ…。死んでしまうかもと知りながら……』

鳴海は奥歯を噛み締め、深く俯いてしまう。



赤「ユキ神、落ち着いてくれ」

一触即発な2人の間に、赤司が割って入る。
赤司は蒼白く光るものを見下ろす形に立った。


黒「鳴海さんも……落ち着いてください」

黒子も鳴海を落ち着かせようと彼の前に立った。


『………る…』

黒「え…?」

俯いていた鳴海が、小さく呟いた。黒子が聞き返すと、今度はハッキリとその声が聞こえた。




『なら…俺は何の為に居るんだよ…っ』


黒「鳴海さん…?」

《お兄…さん…?》



『俺は…ユキ、お前の“願い”を聞いてここに来たんだ。ここに閉じ込められた皆を“助けたい”って……“願い”を』

《っ…》


『……俺自身も、皆を助けたいって“想い”からここに居るんだよ。……なのに、』

《お、お兄さ…、》




『お前自身が、俺の存在理由を否定するのか……?』


《ちが…違うよ、ボクは…!》


ユキはたじろぎ、否定の意味からその小さな手を鳴海に伸ばした。

その時、鳴海が見せた表情は、







『「護る」って言っといて、2度もそれを裏切るようじゃ、……俺の存在価値なんて、無いんだよ』




泣いているような儚い笑みだった。










赤「鳴海さん!」

赤司の声で我に還ったユキが見たのは、開け放たれた扉だった。




《違う、違うよ…お兄さんっ。ボクは、そんなつもりで言ったんじゃないんだ……。お兄さんを苦しめるつもりなんて…っ》

面に覆われた中で、ユキは嗚咽を漏らしていた。
体育館の片隅で、幼い神の悲痛の声が木霊している。
















原「くっさい茶番、やっと終わったみたいだねー」

その一方で、冷淡な雰囲気を醸しているメンバーも居た。


古「あそこまでの人間も、そう居ないだろ。それが偽りだろうと素だろうと」

瀬「……如何にも花宮が嫌いそうなタイプだ」

花「…ハッ」

話を振られた花宮は吐き捨てるように鼻先で笑った。



山「にしてもあの人、ずいぶん変わってるよな。普通こんな不気味なトコ、そうそう助けに行こうなんて思えねーだろ」

「まるで物語の主人公さながらの行動力やなー」


山「うおっ!!?」


突如現れた、背後からの発言者に、山崎は大きくビクついた。



花「今吉…さん…」

今「なんや、あんま歓迎されてへんなぁ…。ワシ悲しいわ」

わざとらしく、今吉は眉を下げた。


今「まぁ、鳴海クンは変わっとると思うで。自分の命をあそこまで軽視しとんねんから」

山「え…」


今「彼がここに来よった理由は、ここに居る【皆】を無事に助け出す為や。……けどその【皆】の中に“鳴海恭介”は含まれてへん。文字通り己が身を擲(ナゲウ)つつもりなんやろ」

カラカラと笑う今吉を、霧崎のメンバーは気味悪げに見ていた。花宮に至っては「妖怪め…」と内心悪態を吐いていた。





今(彼、一体どんな過去を持っとるんやろ。せやなかったら、あそこまで自分を“嫌悪”出来ひんで)

人知れず、今吉は「鳴海恭介」という男に強く興味を示した。















黄「……どうせあんなの、ただのフリに決まってる。本当に火神っち達が危なくなったら、すぐに見捨てるんだ。上っ面だけの人間は…皆そうだ」


笠「何ブツブツ言ってんだ、黄瀬」


黄(オレは絶対、大切な仲間は見捨てたりしないっ…!)


こちらも、黄瀬が人知れず、鳴海に対する敵意を擡(モタ)げていた。

その眼は、大事な物を護ろうとする番犬のような一方で、辺り構わず噛み付かんとす狂犬のような危うさも持っていた。





館内に、それぞれ異なる感情が渦巻き始めていた。
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