マギ長編2

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カシム「何だよそれ」


アリババが抱えて来たのは、くたびれた水瓶。
中には海水がなみなみと入れられている。



アリババ「じゃ、かけるからなー」

『…?』

キリフォードはアリババの言っている事が呑み込めず、目をパチパチ瞬かせる。



バシャ……!!


『うわ…!つめ、た!』


突然、アリババはキリフォードに、正しくは鎖に海水をかけた。



カシム「突然どうしたんだよアリババ!!? そいつに何かされたのか!?」

驚くカシムを余所に、アリババは懐に携えていたヤスリのような道具で鎖を擦り始めた。



カシム「アリババ…?」


アリババは元々錆びていた部分を中心的にヤスリを懸命に動かす。
隣で見ていたカシムは彼がやろうとする事が解り、黙って事を見詰めていた。


必死に何かしようとしているアリババに、唯一キリフォードだけは理解出来ず、鎖を凝視している。


*****


ゴリゴリと鉄を削る音が響く辺りは、日も沈み、明かりも無い裏路地はとても暗かった。

アリババが鎖を削り始め、何時間経っただろう。
彼の隣に居たカシムは、灯を取りに家に帰っている。




アリババ「もう…少し、だ」

アリババの幼く柔らかな手は、馴れない道具を使い、ところどころ擦りむけている。

鼻につく、鎖とは違う鉄分の匂いに、キリフォードは不安な気持ちに駈られていた。





耳に、小気味良い音が届いた。

音の元を、視線で辿っていく。

いつに無く、首が、両手が、身体全体が軽い。




アリババ「はー…、やっと切れたぁ」

グイっと額に滲んでいた汗を拭い、アリババはにかっと笑って見せた。


本来、奴隷の鎖を勝手に解く行為は貴族の「所有財産の窃盗」と重罪とされている。
彼、キリフォードの主人は故人ではあったが、親が事故死したからその子を拐って罪にならないか、と問われれば否だ。

しかし奴隷の生活が短いキリフォードも、スラムで育ったアリババも、そんな世間の規則など知るよしもない。



アリババ「お前、その鎖をイヤがってたからさ、よかったな!ジャマくせぇもんが取れてさ!」


その時、体の底から何とも言い表し難い感覚が込み上げてきた。
鼓動もいつもより早々と血液を送り出し、ドクドクと身体を震わせている。




何も言わず、俯いてしまったキリフォードに、アリババは一瞬表情を曇らせた。


『ぁ…ぁ、ありが……と…っ』

アリババ「! どういたしまして!」

再び、キリフォードは太陽のような笑顔を目の当たりにした。




アリババ「じゃ、俺は行くな!」


『本当に…色々…ありがとな』


アリババ「気にすんなって!それじゃぁな!」


アリババは最後に一度振り返り、にかっと笑うと、日が落ちて暗くなったスラム街へ消えていった。



『アリ…ババ…』

先程自分を解放してくれた少年の名前を小さく呟いてみる。

『ア…リ…ババ…』

一文字、一文字、まるで宝物を数えるかのように、大切に声に出してみる。


『……あ』

そう言えば、自分の名前を名乗っていない。
自分は、カシムと呼ばれていた少年が【アリババ】と呼んでいた為に、一方的に知っている。



すっかり日が暮れ、空には真ん丸とした月が満ちていた。

途端、全身が逆立つ勢いで震える。
五感がまるで今まで眠っていたんじゃないかと思えるほど研ぎ澄まされる。

鼻孔に入るのは、海水に、鎖、彼が与えてくれたパンの匂い。それにカシムの匂い、そして、アリババの匂い……。


『……また、会った時に、言おう』

俺の名を…―――。





*****



その翌日から、キリフォードは行動を起こした。
まずは【奴隷】だった証の首枷を布を巻いて隠した。
手枷は苦しくとも、そういう装飾品だと言えば良い。


キリフォードは嗅覚を頼りに、大通りにやって来た。
時折、自身の身なりを見ては、顔をしかめる者も居たが、そんな者は放っておいた。


さて、まず何かをするにも金銭は必要になるだろう。
しかし、先程すれ違った貴族の男性が露にした表情からも察しがつくように、キリフォードの服装からして、仕事を与えようとする者は居ないだろう。


どうしたものか……。




「あい…ぃたたたたた…」

数メートル先の店先。そこにうずくまるは一人の老婦人。



『どうか、したか…?』

我ながらぎこちない対応だと思う。しかし、先程の一部の通行人の態度を考えれば、慎重になるのも当然だろう。

老婦人は深くシワが刻まれた目尻を持ち上げ、驚いたようにキリフォードを見た。
瞬間身構えたが、老婦人は人の良さそうな苦笑いを浮かべる。



「いえ、そこの荷物を運ぼうと思って、持ち上げたんですけど…、いたた…、どうも私も歳でしてねぇ。腰をちょっと…」

キリフォードの身なりに構わず、丁寧な言葉で答えてくれた。
老婦人は腰を擦り、苦い表情で続けた。


「ふふ、すみませんねぇ…。もう少し休めば、良くなりますから」

キリフォードは老婦人が指差した荷物を見た。
大きな布に覆われた荷物が2つ。一見しただけでも、かなりの重量が有ることが窺えた。

もう一度、老婦人を見る。
休めば平気だと言ったが、あの荷物を持てばまた腰痛に襲われるだろう…。





キリフォードは目を閉じ、思案に更けると、決意したように目を開けた。
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