give&take
□結月様へ
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鳴海は一瞬発狂しそうになった。いや、実際発狂していただろう――自分1人だったのなら。
叫びそうになった時、鳴海は傍らの高尾の存在を思い出した。
高尾はつねに明るく、また意外にも思慮深く冷静な一面を持っている人物だ。
だが齢13のまだまだ成長しきれていない子供だ。
その高尾は今、鳴海の隣でガタガタと震えている。
そんな弱々しい彼が傍らに居て、どうして発狂などしていられるだろうか。
―――俺がしっかりしねぇと…。
鳴海は唇を噛みきり、痛みで冷静さを取り戻そうとする。
冷静にはなれても、普段目にしない口内部が露骨に目に入ってくる為、言い様のない気味悪さは拭えそうにない。
「コレデモ…綺麗…ナンテ言エルカ…?」
―――思い出せ、さっき調べていた内容を。対策を…!
鳴海はネットで調べ当てた情報を反芻させる。
しかしあくまで一例。
そして信憑性もまちまちなものばかりだ。
鳴海は口裂け女に気づかれないよう高尾に耳打つ。
『……高尾、危険だと悟ったら“ポマード”3回唱えて全力で逃げろ』
「……!!?」
最も信用できる手段を高尾に伝える。
押さえている高尾の口が“センパイは?”と動く。
『俺もいざとなれば逃げるよ。逃げられれば…だけど』
一説では、口裂け女は100mを“3秒”で走る程の脚力らしい。
下手に逃げてもどの道殺されてしまう。
なら、出来るだけ穏便に。
更に出来るなら、口裂け女の方から去っていく方が望ましい。
口裂け女は不気味な笑みを浮かべ、じっとこちらの返答を待っている。
対策の1つとして【無視をする】とあるが、答えてしまった以上、それは無理がある。
また、ポマード説同様に有力とされるのはべっこう飴説だが、当然持ち合わせているはずがない。
メリーさんと会わせる。など奇抜なものもあるが、到底上手くいくとは思えない。
そもそも彼女まで来てしまっては更なる追い撃ちでしかない。
要するに、顔を見せられた以上、鳴海が知り得る対策で打てるのは実質1つだけ。
『……大丈夫、そんな姿でもそれなりに綺麗だよ』
「……!?」
口裂け女は自分の顔に絶対的な自信、または重度のコンプレックスを抱えていると言われている。なので、彼女の神経を逆撫でせず、自ら見逃してもらうのだ。
その方法として、甘い声で「綺麗」だと言い続けるもの。
だが紙一重で最も危険だとされる方法でもある。
知っての通り「綺麗」だと答えると、激昂した彼女に鎌で滅多斬りされ殺されてしまう。
また一時的に見逃してもらえても、家の前にて殺される説も存在する。
口裂け女次第で、次に起こす行動が決まる――。
「ヴ…ヴ、…ァ"ァ"…?」
言葉を受けた口裂け女はたじろいだ。
鳴海は彼女から目を逸らさない事に徹する。
目は口程ものを言うと例えられるように、目を逸らしていては口先だけだと一蹴され兼ねない。だから酷だと解ってはいるが、高尾も目を逸らす事が赦されない。
『……綺麗だよ』
「……嘘ダ、」
『……あんたは綺麗だよ』
「……コンナニ、口ガ裂ケテルノニカ…!」
『……綺麗だよ』
「…ナラ、オ前モ…同ジニシテヤル」
『……っ、良いぜ。…ただ、あんたは本当に綺麗だよ』
「……ウ、ソ…ダ、」
『あんたは綺麗だよ』
次第に口裂け女の勢いが衰えていく。
同時に、見馴れたと言えば変だが、鳴海も口が裂けているとは言え、彼女の顔が本当に端正なつくりをしていると感じ始めた。
『綺麗だよ。そんな姿でも…』
精一杯の気持ちを込め、鳴海は口裂け女に言葉を向けた。
すると彼女が俯き、大きく身動いだ。
「嬉…シイ…」
「ヒッ……」
瞬間、高尾が小さな悲鳴を上げた後、目を瞑ってしまう。
顔を上げた彼女は、ニタリと笑みを浮かべた。それがあまりにも不意打ちの変化で、鳴海も反射的に後退ってしまった。
刹那、空気が切り替わる。
鳴海は高尾を背後に隠し、頭を抱えた口裂け女を注視する。
彼女はブツブツと何かを呟き、血走った目をグリグリと動かしている。
「嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘ツキ嘘……ツキィィィィィィ――!!!!」
ヒステリックな奇声を上げ、口裂け女は鳴海に向かって鎌を振りかぶった――、
「鳴海サ…っ!――ぽ、ポマード、ポマード、ポマードッッ!!!」
「、ァ"ァ"…ィィイヤァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァァァァァァァァァァ――!!!」
鳴海に襲い掛かった口裂け女を見て、高尾は喉が潰れる勢いで叫んだ。
口裂け女は鎌を手から落とし、つんざくような悲鳴を上げ、うずくまった。
「…鳴海、サンっ、ゲホッ!」
『……高尾……っ、………ありがとう……』
2人は急ぎその場を離れ、走り出した。
一瞬、鳴海は背後を窺った。
――未だにうずくまっている口裂け女は、生前、男性医師が髪に付けていたポマードの匂いを嫌がって顔を背け、その結果、手元を狂わせた医師に頬を裂かれてしまったらしい。
彼女は今、その恐ろしい経験を思い出し、苦しんでいるのだろうか。
しばらく走り続けていると、先に明るい場所が見えた。
そこに足を踏み入れると、いつも通る駅前だった。
切れた息を整えながら、2人は後ろを振り返った。
そこはいつもと変わらない、住宅通りだった。
鳴海は腕時計を見る。
校門から出て5分の位置で止まっていた針は、順調に時を刻んでいた。
ケータイの時刻と見合わせてみるが、時間も合っている。
「、戻って…来れたんすね…」
『ああ…』
周りを見ても人が溢れている。
『高尾』
「はい…?」
『お前が居てくれて、よかった。……ありがとう』
「は、いえいえ!…オレも鳴海サンが一緒に居てくれたから、助かりました。本当にありがとうございますっ!」
無事に戻って来れた事を互いに喜び、2人はそれぞれの家に帰っていった。
「ワタシ……綺麗ィ…?」
この日以来、2人はあの道を避けて帰っていると言う。
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