give&take
□結月様へ
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【口裂け女】
「なーなー鳴海サン」
唐突に、高尾が鳴海を呼ぶ。
『……なんかその言い方、文字にすると語呂悪いな。で、どうした?』
「口裂け女、知ってます?」
高尾の問いに、鳴海は首を縦に振る。
『一時期すごい騒がれたよな、ソレ』
「そーそー。なんでも発祥は岐阜って話っすよね」
『そうらしいな。……しかも、なんかそれで村おこししてるっつー話聞いた事ある』
「え、マジすか!? てか観光客ビビらしてどうすんの!!?」
鳴海の情報に、高尾は吹き出した。
『…で、なんでその話題を突然持ち出したんだ?』
「出たらしいんす、口裂け女」
『マジ…?』
高尾の話に鳴海は片眉を上げる。
「クラスの奴が喋ってるのを聞いたんですけど、この近くを口裂け女っぽい女が歩いてたらしいんすよ」
『口裂け女っぽい…?』
高尾の引っ掛かる物言いに、鳴海は聞き返した。
すると高尾は「あー…」と気の抜けた声を発する。
「そいつも他で聞いたらしくて、実際に見た訳じゃないらしいです。だから、あくまで“ぽい”」
『……まぁこの季節、コートに顔を覆い隠すような大きなマスクの女性なんていっぱい居るだろしな』
苦笑いを浮かべる鳴海に対して、高尾はあまり表情を崩さない。
『高尾…?』
「それが、結構ガチっぽいんすよ、その女は……」
『は……?』
聞けば、外見はそのへんの女性と代わりないらしい。が、その手には刃物を握っていて、フラフラと覚束ない足取りだったらしい。
そして更に噂を助長したものは、その女の発したセリフ、
「ワタシ…綺麗……?」
『―――っ』
鳴海は息を呑んだ。
予鈴が鳴り、高尾は1年生の教室へ戻っていった。
友人達が後で「何の話」かと尋ねてきたが、鳴海はケータイに意識を向けていた為、それに答える事が出来なかった。
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“口裂け女”と検索してみれば、掲示板やオカルト小説、情報をまとめたページなどが表示される。
“口裂け女”は昭和54年の冬頃、爆発的に噂が広がり、小中学生を中心に日本中を恐怖に陥れた。
中には模倣犯も現れ、警察などが出動するなどの社会問題にまで発展するが、8月に入ると急速に沈静化し、噂としては風化していったらしい。
対策として、いくつかの例も掲載されていた。
最も有名なところで言えば「ポマード」を3回唱える、などだろうか。
他べっこう飴説など、中には上手く躱す為の返答なども載っている。
しかしどこを見ても、やはり「綺麗です」は禁句のようだ。反対も然り。どちらに転んでも殺害されてしまう。
鳴海は静かに息を吐いた。
調べれば調べる程、様々な情報が出てくる。
有名な都市伝説だけあって、土地によって伝えられる説も、対策も違う。
中には信用して良いのか解らないものもある。
凝った首をほぐし、鳴海はカバンを持って席を立った。
『高尾』
3年生の教室を出てすぐ、目的の人物に会う事ができた。
「あ、鳴海サン。丁度鳴海サンに用があったんすよ」
『……お前、部活は?』
用があるにしろ、そろそろ体育館へ向かわせなければ、高尾が部活動に遅れてしまう。
「それが急に使用制限が出ちゃって、今日は自主練なんすよ。だから今日はセンパイと帰ろうかなって」
『そ…か』
「鳴海サンの用事は?」
『俺もお前と帰ろうと思って。……部活があるようなら待ってるつもりだった』
「やだ、オレら両想いっすね!」
『……病院寄って帰るか』
「やめてセンパイ!オレ正常だからっ!」
『ふはっ、早くカバン取ってこいよ。……階段で待っててやるから』
「了解っ!すぐ行きますんで!」
高尾が階段を駆け降りて行き、鳴海はゆったりとした速度で階段を下った。
「……にしても物騒な世の中っすよね。口裂け女までも出て来るなんて…」
『正直、物騒じゃねー世の中があったかって話だけどな…』
まだまだ明るい道を、2人は駅に向かって歩いている。
まだ肌寒いにしろ、不審者が出そうな雰囲気は一切感じられない。
人気もそこそこある。
「ん、あれ?」
高尾が唐突に上を仰ぐ。
倣って鳴海も空を仰ぐと、黒く厚い雲が空を覆い始めていた。
「……変だな、今日一日は快晴だって聞いたんすけど…」
『通り雨…か?』
怪訝そうに会話する2人が空から帰路に視線を戻すと、先程まであったはずの人気が無くなっていた。
高尾がギョッとしたように引き攣った声を溢した。
心なしか、一段と肌寒くなっている気がする。
本やゲームに影響され過ぎだ、と思われるかも知れないが、あまり良い予感がしなかった。
『……どっちにしろ、雨が降られちゃ困る。駅まで走って行くぞ』
「…そっすね」
高尾の了解を受け、走り出した。
雲は完全に空を覆い尽くし、辺りはすっかり薄暗い。
『ったく…、これじゃ口裂け女じゃなく、ひきこさんと出くわしそうだ』
「いや、怖い事言わないでよ鳴海サン…っ!」
高尾が息を切らす事なく叫んだ。流石バスケ部員だな、と感心した直後、鳴海は走る事を止めた。
「えっ、鳴海サンどうしたの!?」
数m先で高尾も止まる。
『……おかしくないか?そろそろ駅前の通りに出てもいい頃だろ』
言われて高尾も気づく。
周りを確認してみれば、さっき通ったような気がする場所だ。
鳴海は腕にはめた時計を見る。
そして時刻を見て確信した。
校門を出てから5分の位置で、時計が止まっていたのだ。
これが世に言う「異次元」と呼ばれるものだろうか。
思案に耽っていると、高尾が息を呑む声が聞こえた。
時計から視線を上げると、道の先に女性が立っていた。
その女性は顔の大半をマスクで覆い、こんな時間から酒でも呷ったのか、フラフラと覚束ない足取りで歩いて来る。
しかしそれだけで高尾があのような反応をする訳がなく、ある部分に視線を落とした鳴海も息を詰まらせた。
隠す様子もなく手に握られた、市販の物よりもいくらか大振りな鎌。
2人の鼓動が早鐘をうつ。
嫌な思考が頭を支配する。
女性が、口を開く。
「ワタシ……綺麗…?」
『――っ!!!』
ゾクリと身の毛がよだつ。
“恐怖”と言うものは、こうも容易く人の全てを制限するものなのか…。
鳴海は口内に溜まった唾液を嚥下した。
張り付いてしまった喉を僅かにでも潤し、言葉を発しようと唇を震わせる。
先程調べた、正解だとされる返答を、紡ぐ為に……。
『――…まあま「き…きれ、い…」 ……ッ!!? 馬鹿ッ!高尾!!』
鳴海が慌てて高尾の口を覆うが……間に合わなかった。
「コ レ…デモ……?」
女性が緩慢な動きでマスクを外していく。
鳴海は掌越しに高尾が咽喉を引き攣らせたのが解った。
2人の間に緊張が走る。
完全にマスクを取り払った女性の顔を見て、鳴海は体を強張らせ、高尾は小さく悲鳴を上げた。
女性の口は、耳元まで大きく裂けていた。
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