小説

□その時は
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物心ついた時から瞳とは物を見るだけの器官で、それ以外の使い方をしてこなかったし、それ以外の機能を持ち合わせていなかった。ターレスにとって、この痒みを伴う筋が何であるのか、全く理解できないでいた。

そろそろと両手を頬にあてれば、驚く程に指先が濡れる。

見開いた目からもパタパタと落ちるソレが、更に見つめていた手の平に溜まって肌の色を濁らせた。
ゆっくりと瞬きをする度に視界をキラキラと輝かせ、不快に強い風がそこから熱を奪う。

跡を残している頬から奪われた温もりは、攫われて煙る空にそのまま高く昇って行った……
それを追い掛けるように見上げるターレスは、ただただハラハラと雫を流し続ける。


息が苦しい……

瞼が重い……

体が震える……


未体験に戸惑い、呆然とする少年の頭は真っ白だった。


何?

何故?

どうして?

どうなる?





「何を…泣いてる……?」



『泣いて』いる?
これが、泣く?
『涙』?
なみだ?



突然の声に、しかしターレスはのろのろと首を動かして真ん丸な瞳を向けた。困り果てたように、両手で零れ落ちる雫を受け止めながら――――

まとまらない疑問が堂々巡りに支配する。


「バー……ダッ、ク……」


詰まる呼吸にてこずり、上手く声にならない声をようやく絞って出した言葉は混乱を濃く表して震えていた。
自分に今何が起きているのか……
自分はいったいどうなってしまうのか……


表情の抜け落ちていたターレスだったが、バーダックを確認してからはじわりじわりと悲痛に眉を寄せて、流れる雫を再び確認するように触れてから片手で顔を覆った。


「―――何があった?」
「分、から…ない……」
「何を考えてた……?」
「……何………を?」
「そうだ。」


バーダックの質問に、しかしターレスは「何を…?」と繰り返すのみで、とめどなく溢れる涙に戸惑い続けていた。

そんな状況に舌打ったバーダックを気付くこともないターレスに、いきなり何かがバシッと投げ付けられる。
受け止められずにポトリと落ちたソレは、真っ白な脳にも鮮明に映る程の赤で―――

赤い―――
見覚えのある…赤い、布で。


着いていけない思考で、ターレスはバーダックを目線のみで見上げた。不機嫌にしかめた顔で睨んでいる男が雑に腕を組み、忙しなくその指を打ち付けている。

意味を考えようと再びぎこちなく落とした視界から、急に『赤』が浮かび上がって見えてターレスの目の前に迫ってきた。
驚き、反射的に身を引いたターレスの頭をがっしりと押さえ付けて、バーダックは乱暴にゴシゴシと布で擦る。頬を。顎を。目尻を…
塩辛い液体に濡れた指先までを丁寧に拭いてから、むくれた表情のままターレスを覗き込んでもう一度睨んだ。そしてすっかり乾いた、僅かに潤うだけの瞳を正面に捕らえて同じく問いかける。


「何を考えた?」
「何……って……アンタを…今なら、…殺せそうだ……と―――」
「………俺を?」
「アンタ、が…無防備に……背中向けて…る、から…」
「くくく…獲物に見えたか。」
「……え?」
「本能が先に矛盾に気付いたってトコか。ったく…一々教えんのか?俺は教師ってガラじゃねぇんだ。後でトーマにでも聞いておけ!」
「??」
「あぁ。それと!………同類になら、背中預けるのは悪くねぇだろ?くく…」


楽し気に口端を持ち上げているバーダックとは対象に、意味の分からない言動にターレスの唇はへの字に曲がる。
ニヤリとしたまま、よっと声をかけながら起き上がったバーダックは、ふわりと浮き上がって薄暗くなってきた空に上った。上空でスカウターを操作し仲間との通信を始め進行状況を確認すれば、興奮した弾む声で帰ってくる途中だとの旨を伝えられた。忌々しく低く文句を述べたバーダックに皆が笑って返す。

そんなやりとりが自身のスカウターからも聞こえてきていたのだが、ターレスは今更ながらに自分が『泣いた』という行為に衝撃を受けていた。


理由が分からない。

いや、理由と言うものがあるから涙が出るのかどうかも分からないのだが、ジンジンと痺れる目元が、夢ではなく現実に『泣いた』と証拠付けていて……その羞恥とバーダックの理解し難い言動に小さな頭は一杯になっていたのだった。










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