星矢(Maine novel)
□First Ignition
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「おにいさんもごうかくなの。でも、うみのにおいがしないの。」
「海の匂い?」
女児の回答に、老師は頭を捻る。
「ユイちゃんはイルカのブローチを大切にされていましたね。海がお好きなのですか?」
女児の胸元に光る七宝のブローチを思い出され、女神が女児に問いかけた。
女児は力強く破顔する。
「うん、すき!」
「童虎、ユイちゃんをカノンへ。」
「ほれ、落とすでないぞ。」
尊信の両者はほぼ同時に俺を見た。
女神は信託の青年に真顔で命を発し、敬意と推尊の先覚者は若輩の俺に女児を押し付けるように差し出してくる。
よもや受け取らないわけにもいかず、俺は抱きたくもない幼い女の身体を両腕で抱え込んだ。
「なっ…女神、老師!」
俺は両者の顔を交互に見る。
珊瑚の瞳と砥草色の瞳は、揃って綻んでいた。
「幼子の介添えは大儀であるぞ。行く末の宝であるからな。」
大儀…?!
そんな仰々しいものではございません!
むしろそう仰るのならば、貴方が付き添いをなさればいい!
そして俺は女神を、女神を―――
「ユイちゃんを引き渡せたら、あとは自由にして頂いて構いません。
今日はご苦労様でした、カノン。」
嗚呼、女神…!!!
御身までそのような事を…!
ついほんの先程、このカノンに随伴を命名されたばかりでございましょう。
何故それがこんなチンクシャの一言で覆ってしまうのですか?!
暗転だ。
数秒前まで天国であったのに、幼児の心無い言動(かなり一方的な逆恨みである)により、俺の精神は奈落の底に叩きつけられた。
急転直下。
三秒天下もいいところ。
「女神よ、時間が少々淋しくなって参りましたぞ。」
余程腹の時計が正確なのか、時辰儀一つ見もせずに、老師が女神に申し述べる。
「そうですね。そろそろ行きましょうか。」
女神は細い手首に巻き付けた白いベルトの腕時計をちらりとご覧になり、そう返答された。
「………。」
俺は未だ、数秒で崩れた天下のショックから立ち直れないでいた。
「ユイちゃん。楽しい時間を有難うございました。もう保育所を飛び出したりしてはいけませんよ。」