星矢(Maine novel)

□First Ignition
37ページ/56ページ



老師は満悦そうに主君と女子を眺め、うんうんと小さく頷いた。

まるで女神に“連れては帰れませぬ”と進言したかのようだ。

老師でなければ、主への愚弄ともとれるきわどい発言だ。


子育てに関して言えば、老師の右に出る者はいない。それには女神とて、例には漏れないのかもしれない。

何にしても、女神との素晴らしいまでの信頼関係が羨ましくて仕方がない。



「それはそうと、ユイよ。お主、如何様にして此処まで来たのじゃ?」


老師は「代わりましょうぞ。」と女神へ一言かけられ、女神の腕から女児を掬いあげた。

女性の華奢な懐に比べ、何倍も逞しく安定した老師の(かいな)に、女児はポスンと座る様に腰を落とす。

老師の顔を見下ろすような姿勢で、女児は漆黒の瞳をくるんと回した。


……言われてみればその通りだ。


此処はソファの上。

エレベーター前の待合。

広めのフロアに、少し向こうには着座の商談スペース。

そこに腰掛ける幾人ものサラリーマンと、女神の姿を拝謁し、藪から棒にもチャンスを伺おうとしているビジネスマンたち。

そして、俺を、俺たちを見つめて小声をたてる数々の女性。

つまり、会社だ。

大人の戦場、社交場であり、子供が紛れていい場所ではない。



「この会社にご親族の方がお勤めなのですか?」


女神が女児に問う。

ですから女神よ。三歳児にそのような流麗な投げ掛けは


「ううん。」


…本当に賢いな。



「ならば親御について参ったのか?」


老師よ。

親御や参るなどと、難解な単語を三歳児が


「ううん。」


…感心するくらい賢いな。

段々、この女児が単なる幼児(クソガキ)ではないような気がしてきた。


女児は数回、尊信の両者へ(かぶり)を振る。



「ユイ、美子せんせいになにもいわないででてきちゃったの。」

「美子せんせい?」

「うん、ユイのせんせい。だいすきなせんせい。」

「……先生と、言うと」


女児の言葉を受け、女神は信託の青年を見る。



「此処より西に保育所があったかと存じますが、その園児と考えるが妥当でしょうな。」

「抜け出してきてしまった、という事ですか?」


女神の問いに、女児は首肯した。 



次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ