星矢(Maine novel)
□First Ignition
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老師は満悦そうに主君と女子を眺め、うんうんと小さく頷いた。
まるで女神に“連れては帰れませぬ”と進言したかのようだ。
老師でなければ、主への愚弄ともとれるきわどい発言だ。
子育てに関して言えば、老師の右に出る者はいない。それには女神とて、例には漏れないのかもしれない。
何にしても、女神との素晴らしいまでの信頼関係が羨ましくて仕方がない。
「それはそうと、ユイよ。お主、如何様にして此処まで来たのじゃ?」
老師は「代わりましょうぞ。」と女神へ一言かけられ、女神の腕から女児を掬いあげた。
女性の華奢な懐に比べ、何倍も逞しく安定した老師の腕に、女児はポスンと座る様に腰を落とす。
老師の顔を見下ろすような姿勢で、女児は漆黒の瞳をくるんと回した。
……言われてみればその通りだ。
此処はソファの上。
エレベーター前の待合。
広めのフロアに、少し向こうには着座の商談スペース。
そこに腰掛ける幾人ものサラリーマンと、女神の姿を拝謁し、藪から棒にもチャンスを伺おうとしているビジネスマンたち。
そして、俺を、俺たちを見つめて小声をたてる数々の女性。
つまり、会社だ。
大人の戦場、社交場であり、子供が紛れていい場所ではない。
「この会社にご親族の方がお勤めなのですか?」
女神が女児に問う。
ですから女神よ。三歳児にそのような流麗な投げ掛けは
「ううん。」
…本当に賢いな。
「ならば親御について参ったのか?」
老師よ。
親御や参るなどと、難解な単語を三歳児が
「ううん。」
…感心するくらい賢いな。
段々、この女児が単なる幼児ではないような気がしてきた。
女児は数回、尊信の両者へ頭を振る。
「ユイ、美子せんせいになにもいわないででてきちゃったの。」
「美子せんせい?」
「うん、ユイのせんせい。だいすきなせんせい。」
「……先生と、言うと」
女児の言葉を受け、女神は信託の青年を見る。
「此処より西に保育所があったかと存じますが、その園児と考えるが妥当でしょうな。」
「抜け出してきてしまった、という事ですか?」
女神の問いに、女児は首肯した。