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□『今夜は帰らないで』
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これから深夜に突入する時間になるのだ。アンに責任はないが、いい加減解放してくれと思っている。理性の限界だ。

これより先このまま二人きりでいたらまず襲う。必ず襲う。押し倒して無理やり抱く。嫌だと言っても最後までやる。ただでさえこいつは今風呂上がりのいいにおいをさせて擦りついてくるのだ。もはや誘惑しているとしか思えない。もう一度言う。理性の限界だ。
だから何としても、ここらで帰らないことには。



そんなわけで、冒頭に話がもどるわけである。

アンの方はと言うと、今夜の平穏も大事だが何よりもうひとつの目的を遂行するべく必死だった。
それは最初から計画していた目的ではなかったけれど常々そうしたい、そうなればいいと思いつつも機会に恵まれず切っ掛けもなくいた事柄だ。
いたくシンプルで簡単な、けれどアンにはなかなか叶えられぬことだった。マルコと一晩中一緒に居たい。ただそれだけ。

マルコの家に遊びに行った時だって、必ず遅くなる前に帰されるのだ。曰く「門限は守れ」と。あんたはジジイの回し者か。
だったらあたしがうちにいて、マルコの方が泊まってくれたらいいじゃないか。
そう思っていたら、突然そんなチャンスがやってきた。

ところで、アンはマルコに特別な感情を持っている。特別な感情とはつまり恋愛のそれで、要するにこの男が好きだった。

初めてこの感情に気づいた時は非常に驚いた。
だってまさか自分が異性を好きになるなんて思ってもみなかったからだ。
『恋はするものじゃなくて落ちるもの』とは、夢見がちな年頃であるクラスの女子の言葉だったが、実際そうなってみて本当にそうだと思い知った。

それが父娘ほど年の離れたこの男にだとしても、好きになってしまったのだからしょうがない。
向こうは自分とは考え方も住む世界だって違う大人のひとだ。こんな小娘相手にされるはずがないのは分かっている。
けれど生来の負けん気がここでも出てきてしまった。
無理と思えるような相手でも、こちらを振り向かせたい。好きになってほしい。そう思ってしまったのだ。

マルコにとってアンは、自分のオヤジの友人の孫。そんなちっぽけな存在だ。
マルコは優しいが、それは自分たちのことをジジイやオヤジによろしくと言われたから面倒を見てくれるだけ。
そんな保護者としての関わりだと分かってはいるが、やっぱり諦められない。もっとこの人の心の奥深くに入り込みたい。もっと関わりたい。この人の…特別になりたい。そう思っている。

大体、いくら普段なついてる相手だとしても、ここはアンの地元だ。いざというときに頼れる相手は近所にだってちゃんといるし、泊まりに行った弟もマルコよりよっぽど近くにいる。

(こんなこと、マルコにしか頼まないのに!)

普段様々なところで敏い彼が、どうしてそういうところに気付いてくれないのか、そこも腹立たしかった。どんかん。にぶちん。心の中でこっそり毒づいて、抱きとめた腕の力を強くすると、玄関の扉が激しく開く音がした。
えっ、とアンが声を出す間もなくこの時間には少し大きすぎる元気な声。

「ただいまあ!」

「―――ルフィ!?」

「おう!あ、マルコこんばんは!」

「よい。…おかえり」

「 あ、あれ? 今日、ゾロんち泊まりじゃなかった…?」

「そうなんだけどさあああ!ゾロのばかやろうがよう!」

おおかたケンカでもしてきたのだろう、いつも家族以上に遠慮なくわがままをぶつけている奇特な友人への不満を思い出して、ルフィは顔いっぱいに不機嫌を浮かべる。こういうところは姉弟そろって変わらねェなとマルコは考えつつ、ルフィのゾロへの愚痴が盛大に繰り広げられる前に、マルコは手短に当初の目的を告げた。

「アン、俺は帰るよい」

「え、あっ、マルコ!?」

突如飛び込んできた予定外の存在に気を取られていたら、引き留めるべき相手はすでに身支度をととのえて玄関へと向かっていた。

(ああ、もう!)

慌てて追いかけ、たたきに下りながらアンは心の中で毒突いた。今日もダメだった!今夜ばかりは弟を呪う。マルコの背中は表に停めた彼の車に向かっている。ここまで来たら、今日はアウト。
…だったらせめて。アンは離れ行く長身に手を伸ばした。

アンのうちに居る間、少し緩めただけではずされることのなかったネクタイを掴み強く引いた。
ぐいと近づくマルコの唇めがけて、己のそれを押し付けた。うわ、見た目よりやわらかい、かも。
新しい発見に驚きつつネクタイから手を離し解放してやれば、腰を折ったままの姿勢の男の表情はいつも眠たげに開いている青い眼差しが驚きに大きく見開かれている。それを見てやっとアンの溜飲が下がった気がした。

驚いた表情でアンを見つめたまま身動きしないマルコを、いたずらが成功したような気持ちで眺め、べ、と舌を見せて玄関に戻る。

「マルコのばーか!」

さよならの変わりにそう言ってドアの向こうに引っ込むアンを、マルコは停止したままの思考で見届けた。


毎度思いもよらない行動を仕掛けてはマルコの心を掻き乱してくる小娘の、深夜の携帯が着信を告げるブルーのライトを灯すまで、あと数時間。





end.

マルコ→→←アンの両片思い。
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