12/16の日記

22:57
言語化する意味。
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某所にて、いろいろ設定したら自動で小説を作ってくれるソフトが開発されているというニュースを目にしまして、いろいろな意味で衝撃でした。

まず一番に思ったのは、「それ、いる?」でした。

自分の頭の中にある物語を言語化するという行為は結構しんどいもので、脳内自動翻訳機とかあればいいのにとは私も常々思っておりますが、それとこれとは全くの別物です。
細かい仕組みはよくわかりませんが、そのソフトがしてくれるのはプロの小説家の文章のパターンを組み合わせて、使用者がつけた設定に沿って物語を自動生成する、というようなことらしいです。
つまり、自分の頭の中にある風景とか価値観とか感情とかそういうものを言語として表出するプロセスはそこにはないわけです。
それは作品以前の、肉付けも色付けもされていないただの骨格部分を作ってくれるだけ。
それを「小説」と呼んで作品として発表する人が今後現れてくるのだろうかと思うと、なんだかもやっとします。
いや、きっとそのソフトで作られた骨格をベースに自分の文章を書き加えて作品を作り上げていくのでしょうけど。

「小説を書きたいけどあらすじも作れないし書き出しすら思いつかない人」って、そもそもなんで小説書きたいのかなって思ってしまいますが。
「小説を書く」っていう「行為」をしたい人のためのソフトだというのなら、まあ納得します。

しかしもしも今後そういうソフトが普及していって、ソフトが作った物語が面白いと言われて世に氾濫するようになったら悲しいなあと私は思います。
小説というのはただ出来事を語るだけのものではなくて、その物語を描くもとになった作者の背景があって、作品を作る過程での苦労とかがあって、文章の癖とか技巧とかの個性があって、読んだ時に感じる空気感とかリズム感とか頭の中での映像の見え方がみんな違ってて……そういう唯一無二の「その人らしさ」が見える作品が私は大好きなのです。
だから、「小説」という形をしていても、パターン化された最大公約数的な要素の組み合わせで作られた、大体の人が面白いと思えるような量産型テンプレストーリーは、別に読みたくないなあと思うわけです。


まあ、そういうソフトから私が書くような物語はきっと生まれないでしょう。
どんな奇跡が起こってもベストセラーになることは有り得ないだろうなあと常に思いながら書いてますから。
つまり万人に愛されるような要素が皆無ってこと。
でも私は自分の物語を愛しているからそれでいいのです。


そう考えると、結局私に必要なのは小説自動生成ソフトでも脳内自動翻訳機でもなく文章力ってことですね。

がんばれ脳みそ。




izr

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