11/25の日記

22:38
あまのじゃく。
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「ダメと言われると逆にやりたくなる」って真理。
まあしてはいけないことはそれ相応の根拠のあることですから、うずうずしつつも理性で自分を制するわけですが。

そもそも「やってはいけないこと」という決まりはどうして定められたのかと考えると、「ダメ」と言われなきゃ皆がやってしまうからではないかと思うのです。
というかそういう説をどこかで読んだか聞いたかした気がするのに全く思い出せないのですが、まあそれは置いておいて。

自然のままに放っておいたら人は人を殺してしまうし、自殺してしまうし、物は盗むし、暴力ふるうし、恋愛は雄雌入り乱れ、勤勉さなど欠片もなく食っちゃ寝して怠ける。
多分人間の「ありのまま」ってこんな感じなんじゃないかと思います。
で、そんな「ありのまま」の人だらけでは文明社会として成立しないので、宗教だの倫理だの道徳だの法律だのでうまく人をコントロールしようとするわけです。

現代社会において禁じられること(要は犯罪)をしてしまう人を「人でなし」みたいに言うこともありますが、ある意味「人らしい」人なのかもしれません。
まあ、「人でなし」という場合の「人」というのは、「社会的規範にのっとった善良な人」という意味なのでしょう。
つまり一般的に思われている「人らしい人」とは、「社会的にきちんとコントロールされている人」ということで、そう考えると性善説よりは性悪説のほうが、人の行動を解釈するときに役立ちそうな気がします。

人に善良であることを期待するより、「まあそんな奴もいるよね、人間だもの」くらいに思っていた方が、世の中に落胆せずに済むのかもしれません。
でも、やっぱり自分が迷惑かけると腹は立つもの。
自由をはき違えてありのままに生きようとする人たちはもう少し他人のことを気にして頂きたいものです。

倫理だの法だのという決まりは、縛るものである一方で、心地よく生きるために必要なものでもあるわけです。
みんなが心地よい世界は自分にとっても心地よい世界であり、自分が抜け駆けしていい思いをしたらその分損をする人がいて、いつかは自分が足元をすくわれるかもしれない。
そしてその規範が誰のために作られたものかってのも重要な話で。
自分たちを搾取するために作られた規範が心地よいものになるはずはない。
なのに、作ったものに文句を言うなと言われて従うしかなくなるって、すごく嫌な世界だな、と思います。
でも今は、そういう世界。
規範の中で生きても自己責任だって言われる世界。



なんか、最近の世の中を見てるとね。
この社会って、自由とか自己責任とかでうまく回していけるほど成熟した人間ばかりじゃないんだなって思うんです。





izr

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