07/27の日記

18:49
ほだし。
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情にほだされるとかよく言いますが、このほだされるという言葉、漢字にすると「絆される」と書きます。
家族とか仲間とかを繋ぐ絆(きずな)と同じ漢字です。

昔、古典の勉強をしているときに知って「ほー」と感心したことを思い出しました。
絆されるの意味を調べると、「情に引きつけられて、心や行動の自由が束縛される」といった説明が出てきました。
その昔、俗世とのしがらみを断ち切り出家することが立派な人とされていた時代、それを寂しがったり引きとめたりする大切な家族や仲間は、出家の意志を妨げる足かせだったわけですね。

で、絆の意味は、「人と人との断ち切りがたい結びつき」といった感じでした。
由来も単に馬をつないでおく綱のことらしく、この言葉自体には、特にポジティブなイメージもネガティブなイメージもないようでした。

しかし、世にあふれる「絆」というワードからは、げんなりするようなキラキラ感が溢れているように思えるのは私だけなのでしょうか。
友達がいっぱいいて、家族がずっとそばにいて、離れたところにいる人ともいつでも繋がれて、自分の生活や考えを共有できる。
人付き合いが面倒くさくてSNSの類もほぼ拒絶してる私にとっては、そういう絆は重苦しすぎて死にそうなんですが、世の中的には人との繋がりが少ない人は残念な人で、絆まみれな人は充実した人生を謳歌している人として賛美されているように思えますし、それを良しとする人もたくさんいるのでしょう。

「良い絆」は良いものです。
自分を引きとめてくれる人があまりに大切で、自分のやりたいことよりも大切な人を結果的に優先した、というような選択なら、その絆は良いものだと思います。
けれど、人との絆は何より大事なものなのだから自分の意志より絆を大事にしなければならない、というような同調圧力に足を引っ張られて自分がしたいことができないというのは「悪い絆」だと思います。

私が「絆」というワードを見てポエム(笑)とか思っちゃうのは、絆という言葉のネガティブな部分を無視して無条件に良いもののように扱われているのが気持ち悪いからなんだろうな、と思います。
他のキラキラワードも一緒。夢とか愛とか希望とか。

自分の足かせになるような「悪い絆」は、思い切って捨ててしまったほうが幸せになるかもしれません。
難しいのは、自分にとって何が本当に「良い絆」で何が本当に「悪い絆」なのか判別することなのですけどね。

時々面倒くさくなってあらゆる繋がりを断ち切ってしまいたくなる私は、世捨て人の才能があるのかもしれません。
でも、溢れる煩悩は捨てたくないので、ただの社会不適合者にしかなれないようです。
困ったものです。




izr

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