小説

□白糸の檻
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白糸の檻













 からからと窓を開ける音がした。吹きこんでくる冷たい風にぶるりと背を震わせて振り返る。
「どこか行くのか?」
「夜の散歩だよ」
 前足で器用に窓を開け、今しも外に飛び降りようとしていたナミダが足を止めて答えた。その背中には綺麗に修理されたヘブンがしがみついていた。
羽箒みたいな翼はふわふわとしたボリュームのある翼になって、破れていた服の代わりに新しい白い服を纏っている。しかし何故か折れていた足には獣のような白い毛に覆われた足がつけられていて、抉れていた顔の半分には如何とも表現し難いデザインの仮面がつけられていた。
正直これに関してはクライの感性に全く同調できなかったが、修理した本人はとても満足気だった。時貴が連れ帰ったヘブンを見たナミダも、「こんなのもアリなのかなあ」と困惑した反応だった。一番の問題だったのはナミダの評価だったが、満足とは行かなくとも、怒ってやりなおしを命じられなかっただけでも良しとすることにした。
ナミダとヘブンは相変わらずいつも一緒にいる。愛情はナミダからの一方通行かと思いきや、ほとんど意思表示しないながらも、ヘブンがナミダを求めるような素振りを見せることがしばしばあるから、ヘブンもナミダを何らかの特別な存在として認識しているのだろう。残念なことに時貴に対してそんな素振りを見せたことはない。
しかし、この寒いのに一体どこに行くつもりだろう。立派な毛皮があるとはいえ、冬の真夜中は寒い。ナミダも猫の例にもれず寒いのは嫌いだ。毎年冬になるとこたつを買えという要望を申し入れてくるが、こたつ机やら布団やらの始末が面倒くさいからという理由で却下し続けている。
それに、寒さもそうだが、気になるのは背中にいる天使のほうだ。
「お前、そいつも一緒に行くのか?」
「そうだよ」
「人に見られたらどうするんだ」
 白い人形を背負って散歩する猫なんて、不吉な都市伝説としか思えない。
「平気だよ。誰にも見られないように行くから」
「……まあいいけど、気をつけろよ」
「うん」
「事故るなよ」
「大丈夫だってば」
 人間が手を振るように、猫の尾がひらりと揺れる。
 夜闇に消えていく黒猫の背中と、それにしがみつく白い天使を見送って、この暗さの中であの白さはさぞや目立つだろうと思った。
 まあいいか、と雑務を片づけている途中だったパソコンの画面に向き直る。
 音楽だけ作っていられたら楽なのに、活動していくためには片づけなければならない細々とした雑用がいくらでも湧いてくる。今の事務所は小さな事務所で、束縛は少なくある程度好きなようにやらせてもらえるが、その代わり手厚いケアを受けられるような余裕はない。
 一応経歴だけは長いものだから自然と時貴がバンドのまとめ役になって、表舞台に出る仕事以外にしなければならない仕事が増えていた。曲も作るし、企画やプロデュースもするし、関係各所への営業もするし、裏方的な雑用もするし、問題児たちの面倒も見るし、といつの間にかやるべきことがどんどん増えていった。バンドを始めたばかりで何もかも自分たちでやっていた頃もあるけれど、今はその頃とは関わる人の数も活動の規模も違って、その分負わなければならない責任も大きい。よく言えば自分にできることが増えたということだが、あいにく自分はそれほど仕事好きな人間ではない。
怠け者だったはずの自分はいつからこんなに勤勉になったのだろう。そんなことを考えると本当に勤勉な人たちに叱られてしまいそうだが。
 明日はまた今後の活動について打ち合わせをするからと呼び出されている。それが終わったら、今もまだ寝ずに頑張っているであろう柊を迎えに行ってやらねばならない。
 約束の二十四時間が終わるまでには、まだ十二時間以上ある。
 あのアトリエに連れて行って、また明日迎えに来るからと時貴が去ろうとした時、柊はとても心細げな顔をしていた。今ごろ、あいつはどんな姿になって、どんな風に描かれているのだろう。
 爛々と目を輝かせてキャンバスに向かうクライの姿を想像すると心底柊が気の毒になってしまうが、完成した絵がどんなものか楽しみに思う気持ちもある。
 あの奇特な芸術家は、あの悪魔にどんな世界を見出すのだろう。




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