小説

□鈴鳴り揚羽
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  鈴鳴り揚羽













 先日、この店に洵の大好きなバンドのギタリストが来た。洵はそれはそれはもう興奮して、その人が引くくらいの熱狂っぷりで握手を求めたが、それは呆気なく拒否された。寿々はそのバンドをよく知らないしましてそのギタリストの顔など知らないから興奮を共有することができないが、洵はその後しばらく憧れの人と遭遇した興奮と握手を断られた落胆でテンションがおかしかった。
 そもそもその人は私服でサングラスをして、「トキさんですよね?」という洵の言葉にも「いえ、違います」と素っ気なく即答していたのだが、それでも洵は今でもあれは本人だったと言って譲らない。もう勝手にしろ、と思う。
 あの客は車で来ていたし、外用の服だったし、このコンビニにはたまたま立ち寄っただけでこの近所に住んでいるというわけではない、と思いたい。願わくば、もう二度と洵のいる時にここに来ないで欲しい。その人が去った後、洵は挙動不審で仕事がまともに手につかない上、妙なテンションで気味の悪い接客をして客の眉を顰めさせた。その尻拭いをすることになったのは寿々だった。
 洵の好きなバンドのことは耳にタコができるほど聞かされたから、嫌でも色々と憶えてしまった。曲自体は悪くないとは思うけれど、演奏の癖が強いのとボーカルの不安定さ、聴く人を選ぶ世界観と心を引き裂くような痛々しい歌詞、そして何より派手な衣装と化粧で着飾った男を女たちが異様な熱狂で称える独特の世界がいまいち理解できなくて、寿々はあまりそのバンドのことは好きではない。嫌いというわけでもないけれど。
 洵は寿々と同い年で、大学生だ。寿々はフリーターで、バイトを掛け持ちしつつバンドでベースを弾いている。好きなジャンルは違えど音楽好きということで話が弾んで、バイト以外のプライベートでも時々遊びに行ったりするようになった。
 他の店員には付き合ってる付き合ってないと噂を立てられたり冷やかされたりするし、店長も悪ノリしてわざとふたりのシフトを被らせたりするが、別にそういう関係ではないし、今後そうなることもないと思う。
「俺らがそんなわけないよねー」
あっけらかんと笑い飛ばしていた洵いわく、ふたりは『シンユー』。『親友』なんて大層なものではない。若干舌っ足らずで、だらしなく語尾の伸びたカタカナ表記の『シンユー』、ふたりの関係を表すには、そんな呼び名がしっくりくる。
「ねえ寿々、俺の悩み聞いてくれる?」
 今いるのは雑誌を立ち読みしている男性客一人だけ。夜も遅いし、場所柄もあって客足は多くない。レジで細々とした作業をしていると、洵が退屈したように話しかけてきた。
「どうしたの?」
「最近俺、心霊現象に悩まされててさ」
「へえ、奇遇だね。私の家でも最近心霊現象が起きてる」
「え、うっそ。どんなの?」
「一週間に一回くらい、玄関のポストにお金が入ってるの。何万か」
「え、それ羨ましすぎる!」
「落し物じゃないし、警察に届けるにしてもどう説明したらいいのかわからないし、今のとこ使わないで家に置いてあるけど」
「俺にちょうだい」
「嫌」
 何の変哲もない無地の茶封筒に入った現金、少なくとも数万、多い時は十万以上。誰が何のためにしているのか、寿々ではなく誰かと間違えているのか。何にせよ困る。そりゃあお金は欲しいけれど、誰からかもわからない金が知らないうちに玄関のポストに放り込まれているというのは怖い。



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