小説

□暮の雨音
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   ・・・



「――ねえねえ聞いてよ、この前すっごいかっこいい人がいたの!」
「え、そんなに? どこで?」
「駅ですれ違ったの。思わず振り返っちゃうくらいの美形! 本当に、モデルとか俳優とかしててもおかしくないくらいかっこよかったんだよ! 芸能人かなあ?」
「そんなにかっこいいならもっと評判になっててもよさそうだけど。そんな人の噂聞いたことないや。たまたまこの辺に来ただけなのかな」
「そうなのかも。また会いたいなー」
「私も見たい。有名人なら誰に似てるの?」
「えっと、そうだなあ……」
 女子がきゃっきゃと盛り上がりながら帰り支度をしている。意識しなくても耳に入ってくる甲高い声を聞くともなしに聞きながら、周也も自分の荷物を片づける。
 かっこいい人かあ、とぼんやり思ってしまう自分に虚しくなる。こうやって道ですれ違っただけで女の子の噂になるなど、周也には死ぬまで縁のないことなのだろうと思う。
 この辺りはそれなりに交通の便もよくて都会に近くて人も多いけれど、他の地域から人がわざわざ遊びに来るような観光施設も繁華街もないし、オフィス街や大型店舗もない。その人は何をしに来たのだろう。たまたま一度ここらを歩いただけで噂の的になるなんてずるい。いや、負け惜しみなのはわかっている。それに、その人が別の所から来た人と決まったわけでもない。あの女子の好みの容姿だったというだけで、周也がその人とすれ違っても別に何とも思わずに通り過ぎてしまう可能性だってある。
 イヤフォンを両耳に突っ込み、鞄を持って教室を出る。
 運動部の生徒が走り回るグラウンドの傍を通り抜け、裏門から出る。駐輪場は正門側にあるから自転車で来たら学校の外周をぐるりと回ってそちらから入らなければならないが、歩きの時は裏門から入ったほうが家から近いしまっすぐ教室に行ける。
 お気に入りの音楽を聴きながらだらだらと家までの道のりを歩く。今聴いているmurzというバンドは十年以上前に活動していたバンドだが、耳に残る印象的な曲と詞に加え、独自の世界観とパフォーマンスで当時はちょっとしたブームになって、とっくに解散した今でも熱狂的なファンがいるという。周也の同級生の中の大半はバンド自体知らないし、たまに知っている人がいても、名前は聞いたことがある、有名な曲なら二、三曲知っている、という程度の知名度なのが口惜しい。
このバンドの曲はどれを聴いてもいい曲だ。こんな音は他にない。激しく切なく感情を揺さぶる抒情的なメロディは唯一無二で、妥協を知らない、一瞬で夜空を覆い尽くして消える閃光のような音楽。曲がこの音楽の主たちそのもののようだ。刹那的、というのか。全てが刹那主義な印象を与える。詞も、曲も、歌も、声も。
「……あ、携帯忘れた」
 ポケットに突っ込んだ手に期待していた硬い感触がなかった。立ち止まって鞄のポケットを探ってみるも、やはりない。机の引き出しにでも入れただろうか。それともロッカーだろうか。
 もう家路の半分は来てしまっていたのに。肩を落としつつ、Uターンし、元来た道を戻る。
 右手には、古びた高い塀と、その向こうに生えている高い木が見えた。住宅地の端にひっそりと建つ洋館の敷地に立っている木だ。ひっそり、というには敷地が広大過ぎるが。
庭というより森のような木々の群れに囲まれた洋風の古い廃屋がぽつんと立っている様はさながらお化け屋敷だ。重厚な金属の門はいつも閉じられ、洋館の様子は門と木々の隙間から、しかも遠巻きにしか見えない。人は住んでいないと噂で聞いているが、ちゃんと持ち主がいるのか、周也が物心ついたときから取り壊されることなく残っている。普段はあまり気に留めていないが、夜に前を通ると少し怖い。
 門の脇には、「円間」という古びた石の表札が掛けられている。円間さんというのか、と漠然と思っていたけれど、その「円間」というのは一体どんな人でどんな生活をしている人なのか、そもそも生きている人なのか。一時期そういった話で友人たちと盛り上がり、肝試しをしてみようと企画したことがあったが、結局その計画は実現しないまま流れてしまった。持ち主のいる家に侵入したら犯罪だ、という真っ当な常識的意見に全員が頷いてしまったから。慎重というか意気地なしというか。



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