小説

□ぼくらの世界の愛し方
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 訪れる未来を拒絶するように、シュラは深く深く眠り続けた。残酷な夢よりも意識がある現実の方が辛かった。
だが、もう体は眠ることを拒否している。大きな手で脳を掴まれているような不快感に耐えながら、シュラは与えられた部屋で見慣れぬ赤の領域の町の風景を眺めていた。見たことがないはずなのに見慣れているような奇妙な既視感を覚える、けれどやっぱり知らない光景だった。
――クロナ
 この数日間の記憶は残っている。シュラの中の『クロナ』が経験したことの記憶。そこに感じた思いも、全て。
 けれどシュラの中の『クロナ』は、いくら思い出そうとしても呼びかけてもその存在の片鱗さえ覗かせようとしない。けれど、自分の心が自分のものでなくなってしまったような奇妙な感じはずっと消えないでいる。
 これはやはり、シュラがクロナの目を食べてしまったせいなのだろう。子を成すために女が男の眼球を食べることは一般的だが、男が女の目を食べるとどうなるのかという話は聞いたことがなかった。
 他人の血や肉は、特に別の色の人間の物は生命力を与えると言われるが、まさか他人の『魂』まで一緒についてくるとは。
――これからどうすればいいんだろう
 信じられないことに、シュラがいるここは、第零番双塔だ。一生縁がないだろうと思っていた巫女の住む塔に、シュラは今いる。当然、客人として扱われているわけではない。ここ数日、この部屋から一歩も出ていない。
 自分の置かれている状況はまだよくわからない。どうして殺されていないのか、それが一番の疑問だった。
 ノックの音がして、思わず肩が震えた。
 扉を開けたのは、シュラよりも年下に見える少女だった。嫌悪感を押し殺したような仏頂面で、おそらく人生で初めて出会うのであろう青の人間に向かって、尊大に告げる。
「巫女様がお呼びです」






 そこはとても清潔で整然として、長い年月をかけて築き上げられてきた揺るぎない秩序があった。汚れの一つもない灰白色の壁や床は磨き抜かれた鏡のように滑らかで、歩く二人に合わせて青い影が上下左右から追ってくる。
 子供が創作したものなのか、色とりどりの拙い絵や工作が、廊下でも階段でもまっさらな壁を埋め尽くすように飾ってあった。作られてから時間が経っているのか、所々日焼けして色褪せている。
一体何人分あるのだろう。
いつの間にか歩調が遅くなっていたシュラに、少女が急かすように咳払いをした。慌ててその小さな背を追いかける。あの少女が作った作品もこの中にあるのだろうか。
 巫女がいるのであろう部屋までシュラを案内してきた少女は、無愛想に一礼して去って行った。
「――どうぞ、入って」
 部屋の入り口は薄い幕がかかっているだけで、うっすらと部屋の中の様子が透けて見えた。
「はじめまして。私は宵の巫女」
 その薄い幕を手で避けて部屋に入る。部屋は厚い幕で窓の光が遮られ、卓上の小さなランプの橙色の光が薄暗い空間を丸くぼんやりと照らしていた。壁には見たことのない何かを描いた絵が何枚も掛けられていた。「動物だ」何というどのような生き物なのかは知らないが、直感でそう思った。
「昔話をしましょうか」
 巫女は、ゆったりとした柔らかそうな椅子に深く腰掛けて、物語でも聞かせるようにその皺の刻まれた唇で言葉を紡ぎ始めた。




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