小説

□わたしがあなたであるために
1ページ/7ページ



――とある夜、控えめに扉を叩く音がして、幼いクロナは玄関へと向かった。
「どちらさまですか?」
 ここを訪れる人間の用件など限られているが、この時間の訪問は珍しい。細く扉を開けると、闇に半分溶け込んでいるような夜色の外套を纏った知らない男が立っていた。前髪の隙間から覗く赤い瞳はうっすら暗く翳っているように見えた。
「こんばんは。君は墓守の娘さんか。あの方はいらっしゃるか?」
「……クロナ、私の客人ね。お入れして」
「いいえ、私はすぐお暇しますのでここで結構です」
 声を聞きつけて部屋の奥から現れたママは、目が見えないとは思えない自然な動作で真っ直ぐに玄関へと歩いてきた。目が見えないママはいつも厚い布で顔の上半分を覆って目を隠していた。
ママも、夜色の衣を纏った客人も、互いに面識があるのか特に不審がることもなく、だが一定以上距離を詰めるわけでもなく、軽く会釈し合った。
「夜間の訪問、大変失礼します。外に運んできてありますので、以後のことはお任せ致します」
「ええ。いつも御苦労さまです」
「今回は運んでくることのできた数が少ないのが残念です」
「そう……あなたの力不足ではないわ。努力してもどうしようもないこともある。けれど、悲しいことね」
 ママと客人が交わす会話をクロナはよくわからずに聞いていた。
「では、私はこれで」
 丁寧に一礼し、客人は夜闇のどこかに溶け入るようにして去って行った。
 玄関の外には、二、三十個ほどの小さな箱が整然と積み上げてあった。ひとつ手に取ってみると、それは案外ずっしりと重かった。箱の表面には誰かの名前が彫り付けてあった。
「ここに運ばれてきたことが幸せなのか、それとも生まれ育った地に残っていた方が幸せなのか。できればここに来られて幸せだったと私は思って欲しいわ」
 クロナの持つ箱をそっと取り上げ、ママはその箱を積み上げられた箱の上に静かに置きなおした。
「ママ、これは灰?」
「そうよ」
「どうしてこんなにたくさん?」
「頻繁に運んでくることのできない場所にいた方たちのものだからよ」
「それはどこ?」
「遠いところよ。私たちの暮らす場所以外の、遠いところ」
「遠い所で、人が亡くなったのね」
「そう。けれど、この箱の数だけ命が産まれたはずなの。いいえ、本当はもっと多いのかもしれないし、少ないのかもしれない。見えない場所のことは私にはわからないけれど」
「ふうん」
 その頃は、どのようにして人が産まれ、どのようにして死んでいくのか、クロナは漠然とした想像でしか知らなかった。
「ママも、クロナも、いつかはこうやって灰になって誰かの命になるの?」
「……いいえ。あなたはきっとそうでしょう。でも、私はならないわ」
「どうして?」
「そういう生き方をすることが決まっているからよ」
「そういう生き方?」
「そうよ」
「クロナとママは違うの?」
「違うわ。生まれた時から。でも、一緒だったらどんなによかったかといつも思うの」
 どういう意味なのだろう。クロナが何度尋ねてみても、ママは口元だけで曖昧に微笑んでごまかすばかりで、結局それ以上のことは教えてくれなかった。
 そうやって数カ月に一度夜闇を纏った客人が運んでくる箱が青の領域に住む人々の灰であったことをクロナが自力で勘付く知識を身につけた頃、ママは空中庭園の片隅でひっそりと静かに息を断った。




.
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ