小説

□ひみつきち
1ページ/6ページ











 誰かが泣いている。
 まだ声変わりもしていない、小さな黒髪の男の子だ。
 ここはどこだろう。見たことのないどこかの塔だ。男の子は、古びた扉の前に立って、必死に泣き止もうとしているのか、しゃくりあげながら何度も涙を拭っている。
 男の子の足元には黒く水たまりができていた。それだけの涙を流したというわけではあるまい。男の子は頭から足の先までずぶ濡れだった。
――いつまで泣いてるんだ、馬鹿
 唐突に扉が開いて、男の子はぐしゃぐしゃの顔のまま目を丸くした。
 そこに立っていたのは深紅の髪をした男の人だった。男の子がそこにいたことにはずっと気づいていたのだろう。呆れ顔で男の子を見下ろしてため息をついた。
――また泣かされたのか。弱ぇなあ、お前は
――……うるさい
 泣いているところを見られたくなかったのか、ぐっと腕で涙を拭い、男の子は悔しそうに男の人を睨みつけた。
 男の人はそれを鼻で笑い、それから男の子と目線を合わせるようにしゃがみこんだ。くしゃり、とごつごつした大きな手が乱暴に男の子の黒髪を撫でる。
 不機嫌に目を伏せる男の子の表情が、どこか安堵するように柔らかみを帯びたように見えた。
――さっさと泣き止んで入ってこい。風邪ひくぞ
















 塔を揺るがすような爆音が聞こえた気がして、弾かれたように目を開けた。
「……死んだと思った」
 どうやら生きているらしい。
 周囲にあるのは心臓の拍動すら聞こえてきそうなほどの静寂。
 ぼんやりと瞬きを繰り返し、どうやら自分が視力を失ったわけではないことを確かめる。
 あの最上階から細いダクトのようなものを通って落ちてきた先は、人が使うとは思えない真っ暗な部屋だった。あの小さな扉はダストシュートのようなものだったのだろうか。見上げると、排気口のような小さな格子の形に、闇を照らすには到底足りないささやかな白い光が見えた。
 どれくらいの高さを落ちたのか、どれくらいの間気を失っていたのか、皆目見当がつかない。目を閉じても開いても、見渡す限り視界は全くの無明、真っ暗だ。時間も、この場所の様子もわからない。
 手の中に何か硬いものを握りしめていた。その形状からあの硝子瓶だと理解して、あのどさくさの中でこれを手放さずに握りしめていた自分を内心で褒めたたえた。彼の大切な『保護者』をなくさなくてよかった。
 体の下にあるのは布か何かか、ぐにょぐにょとして体重をかけると沈む。これがクッションになって大ケガはせずに済んだのだろう。ベッドのように柔らかくも平坦でもなく、様々な形のものがでこぼことしているから、多分色々なものが積み重なっているのだろう。それが何かはあまり考えないようにした。
 頭がまだズキズキと痛む。体中が痛む。もうどこがどう痛いのかよくわからないくらい、全部だ。
 埃っぽく淀んだ空気の中でため息をつき、しばらく動く気が起きずにそのまま横たわっていた。
「何なんだろうなあ、もう」
 一体自分は何をやっているのだろう。
 状況は一向に改善しない。わからないことばかり増えてくる。自分の不甲斐なさが嫌になる。せっかく親切にしてくれたタンタラムともヴェリルともニオヴェとも離れてしまい、シュラの友達だと思っていたイオを怒らせ、結局役に立つ情報は何も掴めなかった。
 きっと、自分で思っているより酷いことを言ってしまったのだろう。イオの言うことはよくわからなかったけれど、あの目は確かに怒っていた。のらりくらりとして掴みどころのなかったイオが、あの刹那だけ身の竦むような激しい感情を見せた。
――お前は、やめちゃう?
 その何かをちゃんと知っていたら、こんなことにはならなかったのだろうか。
 もし次に会うことがあったら、その時にちゃんと謝ったら許してくれるだろうか。
 埒もあかないことをつらつらと考えながら、クロナはいつの間にか泣いていた。
どうせ真っ暗だ。誰もいない。慰めてくれる人はいない代わりに、咎める人もいない。硝子瓶をきつく握りしめて、流れる涙を堪えることも、拭うことすらもせずに、氾濫する感情を涙にして流し続けた。




.
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ