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□ラピス・ラズリ
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少年の冷えきった腕の中で、私は守られているような錯覚に身をゆだね、安心感にまどろんでいた。これが温もりというものに似ているのだろうと、熱のない身体で思う。
そんな私には目もくれず、少年は白く閉ざされた森の獣道を速足に歩いていた。時折雪に取られて足がもつれる。息が上がり、鼓動が速い。それなのに顔面は蒼白で、この気温の元では頼りなさそうな毛糸の手袋の中、赤ぎれた幼い手は可哀相なほど強張って震えていた。何かを断ち切るように一切振り返らず、一心不乱に細い足を進める。さくさくと純白の雪が崩れる。降り止まない雪に埋もれた森の冷たい空気を少年の息遣いが微かに揺らしていた。
もうすぐ日が暮れる。厚ぼったい雲と雪の積もる木の枝に遮られて差し込む僅かな冬の陽光も、淡い橙を滲ませてきた。夜になれば明りを持たぬ少年は遭難し、一晩のうちに凍えて死ぬだろう。
だから急いで自分の住家へ向かうのかと思えば、少年はどこか躊躇するような、もっと言えば怯えるような表情を瞳に張り付かせて、斜め下を向きながら歩いていた。急いでいた足取りも、いつしかのろのろと引きずるようになって、振り返れば沼を這った跡のように雪に無様な溝が残っていた。それが疲労によるものなのか、行く先に待っている物、あるいは者を思ってのことなのか、それとも、この足跡の向こうに残してきたもののせいなのか。まるで見えない幽霊から逃れるように、森の出口を目指している。
私はなだめるように少年の白い頬に触れ、それから赤く染まったコートの袖を撫でる、そういう自分を想像した。実際にはそんなことできはしない。今の私には自在に動かせる手も足もない。だがそんなことは些末なことだった。少年が私を運んでくれているという事実だけで十分だった。
景色は、白と黒と赤、数えてみればそれだけの色彩しかなかった。降り続く雪と、葉を落とした木々、純白を汚す土、それから血の赤よりなお赤い、南天の木の実。
色は少ないからこそ鮮明で、歓喜も絶望もよく映える。凍て付き澄み切った空気は、痛みも喜びも明瞭にする。
私には感じられない温もりも柔らかさももはや必要はなく、ただ深々と降り積もる雪の中で、私は少年に期待していた。とても長かった。ずっと待ちわびていた。この森の外に連れ出してくれる存在を。その願いさえ叶えられるなら、私という存在すら失って構わないと思っていた。
だが、贅沢を言うのなら、それだけではやはり足りない。外に出るだけでは。この冬のもとだけでは。
春になるまでこの身体はきっと生きられない。それだけでは満足できない。どうすれば私は再び正当に陽光の温もりを感じることができるのだろう。
かつて私にこの身体を与えた少女のことを思う。少年は、何故あの時少女ではなく、この身体を選んだのだろうか。脆く小さく、生きてすらいないこの塊を。
森の密度が次第に薄くなり、光が濃くなる。
急に開けた広場に出て、安心したのか少年は放心したように目と口をぽかんと見開いて、しばらくその場で突っ立っていた。
枯れ草が疎らに生えた空地で、老人が焚き火をしていた。赤い火がゆらゆらと揺れる。熱された空気でぐらぐらと歪む。驚いたように老人が少年に駆け寄ってきて何か声をかけた。一言二言、言葉を交わす。武骨な手が冷え切った少年の肩を抱いた。
震える少年の腕の中で見た森の外の風景は、半ば予想していた通り、美しいけれど寂しげな景色だった。雪に閉ざされた森と変わらない、人の心に閉ざされたような冷たい景色だった。
私がこの世界に求めていたのは何だったのだろう。この短い逃避行があと数分で終わることを察し、私は深く落胆した。少女が与えてくれたこの身体は割と気に入っていただけに、悲しかった。結局、『生きて』いなければ生きていけない世界なのだ。
堰を切ったように泣き出した少年の涙が、身体に滴り落ちて穴を穿った。少女が作った私の身体は少年の手を離れて地面に落ち、焚き火の炎に照らされながら、赤い水となってゆっくりと溶けていった。


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