小説

□絵空音
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「こいつ、寝てんの?」
「……いや、さっきまで起きてたんですけど」
「気分悪いのか?」
「いや、ずっと元気だったし、むしろ今日は調子良かった方だと思いますよ」
 時貴は柊の前にしゃがみ込み、伏せたままの柊の頭をつつく。が、反応がない。眠ってしまったのだろうか。
「どうしたんだよ、こいつ」
 数時間前に一緒に仕事をしていた時は平常通りだった。その後、弥と瞳真とその友人数人との食事に誘われたから行ってくると言って出掛けて行った。見たところ彼ら以外は誰もいないから、もうお開きにした後なのだろう。
「さあ。最初は普通にごはん食べてただけですよ。そしたら急に家に帰りたくないって駄々こね出しちゃって。じゃあ別の店に行こうかって言っても嫌、俺の家に行こうかって言っても嫌、何するのも嫌。そんなだから困ったもんですよ。このまま放っとくわけにはいかないし。でもまあ、とりあえずトキさん呼べば大概の事は何とかなるから、来て頂いたというわけ」
「……お前な」
 弥は酒が入っているせいでいつもの数倍軽薄さが目立つ。へらへら笑う後輩を軽く睨むと、それさえも愉快だというようにまたへらへら笑った。
 常識的に考えれば、この深夜に先輩を呼び出すのはかなりの失礼に値すると思うのだが、どうもそういう価値観はこの男の中には存在しないらしい。付き合いの長さからくる慣れではなく、こいつは出会った最初の日からこうだった。
「ていうか、トキさんだって、最初から迎えに来るつもりで酒も飲まずに起きて待ってたんでしょ」
「あほか。俺は家で仕事してたんだよ。飲みに行くなら酔っ払いの世話ぐらいちゃんとしろ」
「そう言うわりには対応が救急車並みの迅速さだったけど」
「…………」
 憮然として眉間にしわを寄せる時貴に怯む素振りすらなく、弥はいささか粗っぽく柊の肩をゆすった。
「柊くん、起きて、パパが迎えに来たよ」
「……誰が?」
「ほら、トキさん」
 億劫そうに柊が顔を上げる。眠たげな目がぼんやりと宙をさまよい、時貴の顔を見つけると、逃げるようにまた顔を伏せた。
「おーい、起きろ。立て。帰るぞ」
「柊、起きろよ」
 腕を引っ張っても叩いても、膝を抱える腕に顔を埋めたまま、「うー」とも「むー」ともつかない唸り声を上げるばかりで柊は動かない。
「……ああ、もう」
 この寒い中、しかも公衆の面前だ。それ以上の問答が面倒になって、時貴はしゃがみこんだまま柊に背を向けた。
「おぶってく。のせてくれ」
 瞳真は言われるまま、柊の体を持ち上げ、腕を時貴の肩に回させた。もっと嫌がるかと思いきや、柊は拍子抜けするほど無抵抗に従って、安心したやら呆れるやらで瞳真はこっそり溜息をついた。結局甘えたかっただけなのか。
「じゃあ、後はよろしくお願いしまーす」
「ん? お前、これからどこかに行くのか」
「たまたま友達が近くにいるって連絡してきたから、合流しようと思って。それじゃあ、また明日!」
 さわやかに手を振って雑踏の中に消えていく弥の後ろ姿を、如何ともしがたい気持ちで見送って、時貴と瞳真は揃って溜息を吐いた。
「……なんか、本当に、すみません」
「お前が謝るこたないよ」
「駐車場、近くですか? 運ぶの手伝いますよ」
「いや、大丈夫。軽いし」
「そうですか」
 瞳真は何か物言いたげな目で、時貴と、彼に背負われた柊の姿を見た。
「どうした?」
「いや、別に。……なんか、ごちそうさまです」
 何も奢ってないけどな、と首を傾げる時貴を置いて、瞳真は去っていった。




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