小説

□絵空音
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 ナミダは生き物だと主張する天使の人形を見下ろすと、天使の方も小さな顔を上げて時貴の目を見つめ返した。その何とも形容しがたい表情に、何故だか既視感を覚えた。
 少しなら自力で動けるようだが、その動きは乏しく、動作ひとつひとつがぎこちない。ただそのぎこちなさは機械のそれではなく、どちらかと言えば乳幼児の動きの拙劣さを思わせた。モーター音のようなものは聞こえない。その代わりに聞こえるのは心拍音のような規則的な音。そしてその肌に触れると、微かに温かかった。
 もしも、まだ認めてはいないけれど、もしも本当にこれが生きた天使なのだとしたら、あまりに悲しく哀れな姿だと思った。
「……飼うなら、洗って、新しい服でも用意してやって、修理もしてやったらどうだ」
「僕お風呂嫌いだから、それはトキくんがやって」
「……服は」
「僕お裁縫できない」
 ナミダは可愛らしいピンクの肉球を見せつけて、飄々とのたまう。
「……修理は」
「治療って言ってよ」
「誰がするんだよ。俺は人形職人じゃねえぞ」
「……誰か、知らない?」
「…………」
 じとりと睨みつける時貴の視線から、ナミダはぷいと顔を逸らした。猫なのだからできることに限界があるのは仕方ないとはいえ、逆に何ならできるというのだろう。
 人形職人、か。
 正確には人形の専門家ではないが、そういった分野に造詣のありそうな顔がひとり浮かんだ。
「……なんで俺のところにばっかり次から次に変なものが舞いこんでくるんだ」
 時貴は深々と溜息をついて嘆く。
 悪魔、幽霊、喋る猫、そして今度は天使ときた。
「行き場のない存在は、受け入れてくれそうな人を選んで集まるんだよ。類は友を呼ぶって奴じゃないの」
猫のくせに賢しげに言ってナミダが笑った。
「……どうせならかわいい女の子とか美人なお姉さんとか集まらねえかな」
「贅沢だよおっさん」
「うるせえ」
 ああ言えばこういう猫を相手に愚痴を言うのを諦めて煙草を銜え、火をつける。
 丸く見開かれた硝子の瞳に、明々とした火が灯る。天使は表情のない目で、その火をじっと見つめていた。
 天使の前で煙草なんて無神経だとか何とかナミダが文句を言っていたが、無視した。足がもげても血の一滴も出ていないくせに、煙草くらいで病気になったりするのだろうか。そういえば、この天使は人の子のように物を食べたり、体が成長したり、言葉を学習したりするのだろうか。
 喋れるようになったら面白いかもな、などと頭を過った辺り、我ながら順応性が高いものだと思う。
 名前はつけたのかとナミダに問うと、すぐに答えが返ってきた。
「ヘブン、だよ。よろしくね」
 その単語に、ああそうか、と唐突に既視感の正体に気づく。
 もう大分昔の話。この天使は、白い衣装を纏った紆多の姿に似ているのだ、と。









   ・・・








 時刻はもう遅い。夜も深まれば深まるほど、人工的な明かりはぎらぎらと目を光らせる。雑多な人々の行き交う道は雑音に塗れ、雑念が声となって耳障りな喧騒を生む。
 騒がしい夜の中を、ひとり歩く。顔に当たる風は冷たい。歪に淀んだ熱気が時折冷気に絡み、ぬるりと頬を撫でる。
 派手なネオンで彩られた看板の下、濃く影を刻まれた建物の傍でしゃがみ込む、見知った派手な後ろ姿を見つけた。
「あ、トキさーん!」
 陽気な声がやたら大きく響いた。大袈裟に手を振る長身の傍で、目立つ格好をした赤毛の男がこちらを振り返り、少しばつの悪そうな顔で会釈した。
「意外と早かったですねー」
「お前らの方が呼び出しといてそりゃないだろ」
「……すみません」
 呆れ顔で言う時貴に、瞳真はすまなそうに俯いた。伏せた目が、隣にいるもう一人の方に向けられる。
 瞳真に寄りかかるようにして、柊が体を小さく折りたたんで膝を抱えて蹲っていた。コートのフードをすっぽり被って、膝を抱える腕に顔を埋めて、全くその表情は伺い知れない。



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