小説

□憶い歌
5ページ/16ページ




BGMが流れる中、周囲のざわめきは絶えることなく、様々な言葉が断片的に耳に入ってくる。友人同士で来ている人、兄弟姉妹や恋人と一緒に来ている人、ひとりで来ている人。彼らにどことなく似通った部分を感じるのは、同じものに魅せられた者同士がもつ、共通する感性が滲み出ているせいだろうか。普段は全く接点のない人たちが集まっているはずなのに、ひとつの秩序を持った集団のように見える。
この人たちはどんな気持ちでここに集まったのだろう。きっとそれぞれ理由はある。INgearが好きで好きで仕方がない、この日が来るのを夜も眠れないくらい待ち焦がれていた人もいるだろうし、なんとなく興味を持ったから来たという人も、誘われたから付き添いで来たという人もいるだろう。
だがどんな思いでここにいるにせよ、ここにいる全ての人が世界を構成する要素であることに変わりはない。
ライブが始まる前からすでにそこは現実から切り離された異空間だった。他のどんな場所でも味わえない独特の空気感があった。
どことなく居心地が悪いような、それでいて恍惚としてしまうような、甘い毒のような癖になる感覚。このぼんやりとした曖昧な感覚は、ステージに彼らが現れた時、爆発するように燃え上がる。その瞬間の快感は、観客の立場としても、演者の立場としても、知っている。
あの声を、あの表情を、あの感情を、もう味わうことはできないのだと思うと、記憶に残るあの一瞬がたまらなく恋しくなる。
あの悪魔に「嫉妬」と言ったのは本心だ。歌も詞も表現力もルックスも負けているつもりはない。それどころか紆多の方が格段に上だと自負している。それでも、悠多は紆多としてあの場所に立つことはもうできないのだ。
十年経った。もういい加減悟りきって、達観したような顔で仙人のように気ままに不死の暮らしを楽しめればいいかと思っていた。
それでもまだ心のどこかで拘っている。
何に、か。
きっとそれは、自分の死の瞬間に思ったことなのだろう。
何を思ったのか、それはいくら考えても思い出せない。心当たりがあったのは、その曲のことだった。
あの曲をあいつに渡して、自分はどうしたいのか。試したいのか。確かめたいのか。託したいのか。
あの日歌えなかった曲のタイトルは、『Heaven』。原曲は悠多が作った。『せつな』を製作していた頃にそのメロディがふっと舞い降りてきて、一曲仕上げて詞をつけるところまでを一晩でやり遂げた。勢いのまま書きなぐったような曲だったが、それだけ心から素直に生まれてきた純粋なメロディで、ドラマティックに展開する『せつな』とは打って変わってシンプルで慈しむような優しい曲だった。
 この曲をあの日のアンコールで歌うはずだった。自分の魂が求めた曲を、心から自分たちの音を求めてくれる人の前で、自分たちの演奏と声で届けたいと思った。どこにも収録する予定はなく、いずれ何らかの形で残したいという話もしていたが、それは結局叶わぬままとなった。
まさかその日自分が死ぬことになるとは思いもよらずそんなタイトルをつけたのだから皮肉なものだ。しかも、結局天国には行けずじまいだ。生きている時は天国どころか死後の世界など信じていなかったのに、こんな形で裏切られるなんて。
けれど、この中途半端に死んでいる宙ぶらりんな状態のおかげで、まだ悠多はこの世を見ていることができる。十年前に失った未来を、こうして見届けることができる。
客席を照らしていた照明が消えた。
ざわめきが一瞬高まり、すぐに息を潜めるように静まり返った。
そして、世界の幕が開ける。




.
次へ
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ