小説

□鈴鳴り揚羽
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「この前INgearのライブ行ってきたんだー」
「……あ、違う」
「新曲やってね、これがまた格好良くて。今までにない新境地って感じで格好良い曲だったよ。やっぱりライブで生で聴くのが一番だよね」
「あーもう、また駄目だ」
「アロンさん見るたびに歌うまくなってくし、何度見てもかっこいいし、綺麗だし、もうほんと、同じ人間とは思えない。惚れちゃう。あ、でも少し声擦れてたな。疲れてるのかな。大丈夫かな。今度手紙と一緒に喉飴差し入れしよう」
「……ここが速すぎるのかな。もうちょっとで上手くはまりそうなんだけど」
「あ、そうそう、グッズ買ってきたんだ。Tシャツとストラップとタオルとステッカーと……。ほら、見て見て。今度寿々も行こうよ。一回行ったら絶対ハマるって。あのオーラは生で見なきゃわからない。一瞬で惚れちゃうよ。俺が保証する」
「洵、練習の邪魔。うるさい」
「あ、一応話聞いてくれてたんだ」
 六畳の一Kの狭い部屋。ぶつぶつと独り言を呟きながらベースの練習をする寿々の後ろで、洵はベッドに寝っ転がって他愛もない話をだらだらと垂れ流していた。
 いい加減腕も指も痛くなって、寿々はベースを置き、思い切り伸びをした。
「それ、今度やる曲?」
「そう」
折り畳み式の小さなテーブルに置いてある飲みかけのコーラに手を伸ばす。だいぶ炭酸が抜けてただの甘くて温い水になってしまっていた。
 楽しげに鞄からグッズを引っ張り出す洵の話に適当に相槌を打ちながら、何か食べたいなーなどとぼんやり考える。確か冷蔵庫はほぼ空っぽだったから、買いに行かなければ。
「洵、まだうちにいるの?」
「ん? 帰った方がいい?」
「いや、ちょっと食べ物買いに行こうと思って」
「作ってくれるの?」
「作って欲しいの?」
「ううん。寿々の料理食べるくらいなら萎びたポテトとかでいいや」
「喧嘩売ってるの?」
「別に。じゃあ俺も一緒に買いに行こ。ここで食べて帰る」
「……あっそ」
 財布と携帯と鍵だけポケットに突っ込んで、近所のスーパーに出かける。出かけ際に玄関のポストを覗いた。何も入っていないことを確認してほっとした。
 寿々がよく行く最寄りのスーパーは徒歩で五分ほど。暮れかけた空を見上げながら、この時間だとまだ弁当や惣菜の割引はしていないだろうなあとせこいことを考えた。
「この前さー、俺の大学の同級生が俺が寿々と一緒に歩いてるとこ見たらしくてさ、『ついにお前に彼女ができたか!』、『やっと現実の女に目を向けるようになったか!』とか盛り上がられて困った。ほんと面倒。俺が寿々とそういう風になるわけないよねー」
「だね」
 洵とどうにかなるなんて想像するだけで気持ち悪い。
「だいたい俺はアロンさん一筋だって公言してるのにさー。トキさんまたうちの店来ないかな。アロンさんと一緒にさ」
「もし本人だったら面倒そうなファンがいる店には二度と近づかないと思うけどね」
「そうかあ。失敗した。あー、街歩いててばったり会ったりしないかな。会いたい。お知り合いになりたい。何回もファンレター書いてるし何かの気紛れで連絡来ないかな」
「……それはやっぱり気持ち悪いと思うけど」
 その人は面識もないステージ上の人で、そもそも男だ。同性愛者ではないのだと洵本人は断言している。洵曰く性別を超越した憧れらしいが、何にせよ度を越せばアブノーマルであることに変わりはない。
何かを好きであるのは大いに結構なのだが、洵は一ファンとしての好意という範疇を超えたことを真顔で言うから困る。洵の話では、ライブだけでなく握手会やらイベントやらも通っているらしい。女の群れに男一人で紛れこむ勇気はある意味称賛に値するが、他人に自慢できることでもない。
それに、ファンとして通うのはいいとして、直接その人に対して気持ちの悪い態度をとったりしているのではないかと他人事ながら心配だ。洵が言うには、そのアロンさんとやらはファン嫌いで有名らしく、ライブ中も最低限のこと以外ほとんど喋らないし、愛想もないし、街で会ったファンも相手にしないし、ファンレターすら読まないのだという。「それなのに手紙書くんだ?」と呆れて言った寿々に、「だっていつか気が向いたら読んでもらえるかもしれないから」と洵は無意味に胸を張って言った。
立場上色々な人を相手にしなければいけないのは仕方ないが、暴走したファンを相手にするのが嫌になる気持ちは何となく理解できる。
 やりすぎたら逆に悪目立ちして嫌われるよ? などと言って諭そうとしても全く聞き耳を持たない。まるで恋する乙女だ。恋は盲目と言うが、方向性を間違えばただの変態だ。
 これがなければいい奴なのにな、と寿々はこっそりため息をついた。もういい加減慣れたけれども。
 スーパーに着くと、夕食前の買い物に来た主婦たちの中で明らかに浮いている派手な女とすれ違いざまに一瞬目が合った気がして、無意識に舌打ちをした。


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