小説

□暮の雨音
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足音。アスファルトと靴底の擦れる音。落ちていた枝を踏む、パキっと軽い感触と共に枝が折れる。ぽーん、ぽーん、と何かが弾むような音がする。硬い革のボールを蹴る音が規則的に、リズミカルに、続く。誰か自主練習でもしているのだろうか。
「あ」
 グラウンドの隅に、女子生徒が一人いた。
 細い脚が軽く膝でボールを弾くと、ボールは重力を失ったかのように軽快に舞いあがり、また重力に捕らわれて落ちて、それをまた少女の足が宙に跳ねあげる。ボールはまるで少女と戯れる生き物のように、宙に浮かんではまた落ちてを繰り返す。ボールの動きに合わせてプリーツスカートの裾がふわりと揺れる。その動作は軽やかで、自然で、踊るように楽しげで、けれどその表情は相変わらず掴みどころのない、印象の薄い無表情だった。
 少女は周也には気づかず、リフティングを続けている。もう何回目だろう。現役サッカー部員でもあんなに続けるのは大変なんじゃないか。いや、そんなことはどうでもいい。
 グラウンドと通路を隔てる金網を掴んだ。乗り越えていこうか、迂回するべきか。その間にいなくなってしまっていたらどうしよう。いやいや、こうやってうじうじ悩んでいる間にさっさと近くに行かなければ、自分はあの子の名前を、この距離から呼びかけるために口にする言葉を、何一つとして知らないのだから。
 無意識に駆け足になりながら、元来た道を戻り、グラウンドに入る。少女は、まだ、いた。
「あのっ」
 勢い余って声がひっくり返って、顔から火が出そうだった。
 少女はボールを手でキャッチして、じっと周也のほうを見た。真っ黒い瞳が、未知のものを見るように真っ直ぐに周也を見ている。不信感、警戒、そういった感情はない代わりに、好意や親しみ、興味といった感情も映らない、黒曜石のような真っ黒な瞳。そのまま吸い込まれてしまいそうな純粋な漆黒だった。
 何か言わなければ。でも、何を言おう。
 喉が粘ついて頭が熱くなって上手く言葉が出てこない。こんな時、何と言えばいいのだろう。雑誌の恋愛指南コラムなんて何の役にも立たない。
「……えっと」
「――あまね!」
 誰かの声がした。高すぎもせず低すぎもしない、よく通る男の人の声だった。
 声の主の方へ振り返ろうとするが、どこから聞こえたのかよくわからずきょろきょろと周囲を見回していると、後ろの方で何かが落ちる音がした。
 振り向くと、誰もいないグラウンドで、サッカーボールだけがぽーん、ぽーん、と小さく跳ねて転がっていった。
「……あれ?」
 そこには誰もいなかった。
 慌てて周囲を見渡す。
 裏門の所に、老人と、男の人と、その二人と手を繋ぎながらじゃれつくようにして歩いていく女の子の後ろ姿が見えた。













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