小説

□暮の雨音
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「どうした、ぼーっとして」
「恋煩いかもしれない」
「は?」
「笑いたければ笑え」
「笑う前に話を聞こうか。相手は?」
「名前は知らない。どこのクラスかも知らない。むしろ顔すら曖昧だ」
「はあ?」
 友人は宇宙人と交信中の人間でも目の当たりにしたかのような顔をして素っ頓狂な声を上げた。その気持ちは周也にも痛いほどわかる。
 勢いでぽろっと言ってしまったが、黙っているべきだった。今さらになって恥ずかしくなる。かわいそうなものを見るような友人の目に居た堪れない気持ちになるも、もはや後の祭りだ。言ってしまったものはもう取り返しがつかない。
「誰にも言うなよ」
「……おう」
 顔を寄せて低い声で凄むように言うと、気圧されたように友人も神妙な顔をして頷いた。
 結果として、周也の友人は信頼のおける良い奴だった。周也の恋話を他人に口外することはなかったし、それらしい女子生徒を探してみて、見かけたら教えてくれると約束してくれた。
 だがその容姿を説明しようとしても、個人を特定できるような特徴がいまいち思い浮かばなかった。特別美人でも不細工でもなく、長身でも小柄でもなく、髪型も長くもなく短くもないよくある長さで、本当に『どこにでもいそう』な女の子の説明にしかならない。平均的な容姿というのはどこにでもいそうで案外少ないものなのかもしれないけれど、印象が薄いせいでその他大勢の中に紛れてしまうのかもしれない。
 他の生徒に変に思われない程度に、と気をつけながらすれ違う生徒や他の教室の中にいる生徒を探してみたけれど、この子だと確信を持てる女の子は結局見つからなかった。この子かもしれない、こんな容姿だったかもしれない、けれどやはり違う気もする。その繰り返しばかりで、もどかしい気持ちだけがつのった。
 いくら探しても結局見つからず落胆する周也に、見かねた友人がコーヒーを一本奢ってくれた。
「本当に良い奴だな、お前は」
「安上がりな奴だな、お前は」
 できればカフェオレがよかったけど、などと思いながら無糖ブラックコーヒーの缶を開けた。




 まるで狐に化かされたような気分だ。幽霊や妖怪の類は信じてはいないが、もしかしたらいるかもしれない、くらいには思っている。かといって自分の前には現れて欲しくはない。お化け屋敷の類は子どもの頃から苦手だ。
 半ば諦めの気持ちで帰り支度をしていた。遅くまで残っていればあの子が現れるかもしれない、などと期待してしまう自分に情けない気持ちになる。
 はあ、とため息をつきながら夕暮れの赤い光に照らされたグラウンドの傍らの通路を歩く。今日は運動部の練習は休みなのか、それとももう切り上げた後なのか、珍しく放課後のグラウンドが静かだった。風に吹かれた緑色の銀杏の葉がさらさらと音を立てる。それが妙に不思議な感じがして、ぼんやりと木を見上げて気づく。何てことはない、今日はいつもの曲を流すイヤフォンを耳に差すのを忘れていただけだ。大音量のアップテンポな曲が聞こえないことを意識すると、周囲は少し不安になるくらい静かで、自分の足音すらやけに耳につく。



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