小説

□暮の雨音
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学校に着き、教室に向かう。教室を出てからまだ一時間と経っていないはずなのに、人が少なくなるとこうも違うのか、学校全体が閑散として静まりかえっていた。靴底が床を擦る音がやけに耳につく。
そっと教室のドアを開けると、中に一人の女子生徒がいた。机の上に腕を組んで突っ伏し、ドアが開く音がしてもピクリとも動かない。疲れて眠ってしまったのだろうか。このまま夜まで眠っていたら危ないから起こすべきだろうか。躊躇いがちに声をかけようとして、その女子生徒が誰なのか知らないことに気づいた。学年が上がりクラスのメンバーが変わって一カ月ほどだが、未だに話したことのない女子もいるし、恥ずかしながら目立たない女子の中には名前と顔が一致していない人もいる。ましてや後姿だけで判別できるほど親しい間柄の女子などいない。
「……まあいいか」
 起こして互いに気まずくなるより、黙ってここを去った方がいい。目当ての携帯は机の上に堂々と置き去りになっていた。誰かに覗き見られたりしていないといいけれど。
 携帯をしっかりポケットに入れ、教室を後にする。
 ドアを閉める周也の後ろ姿を、身を起こした女子生徒がじっと見つめていたのには気づかなかった。





 担任が出席簿を手に何か言っている。その間も、自分の席から女子生徒の後ろ姿を一人一人眺めていた。もう少し肩の感じが細かった気がする、髪はもっと短くて黒かった気がする、身長はもう少し低く見えた気がする。結局どの生徒だったのか後姿だけで判別することはできなかった。もしかしたら別のクラスの生徒で、昨日はこの教室で誰かを待っていた、とか。
「……以外全員出席、と。じゃあ今日も頑張ろう」
 ぼんやりとしているうちに担任は話を終え、教室を出ていってしまった。特に意味もなく目で追うと、廊下に面した窓の外で、一人の女の子がこちらに向けて手を振っていた。
 その後ろを担任がすたすたと歩いていく。教室内の生徒は担任がいなくなった途端に各々のお喋りや用事に移って、窓の外には誰も気を留めていない。
「おーい、周也、どうした?」
 目の前で手を振られ、友人を振り返る。
「いや、別に」
 何食わぬ顔を装いながら横目でちらりと外を見やったが、その女子生徒はもういなくなっていた。気のせいだったのか。周也に向けて手を振ったなんて自意識過剰な思い込みで、単に周也の知らない別のクラスの生徒が他の友達に軽く手を振って通り過ぎていっただけの話かもしれない。あの女子生徒が昨日の机に伏せていた女子生徒と同じだという確証は持てなかった。
他愛もないいつもの雑談をしながら、頭の隅でさっき廊下にいた女子生徒の姿を思い浮かべる。可愛かったのか、どんな表情をしていたのか、つい数分前のことだというのに曖昧にしか頭に描けない。印象の薄い、ぼんやりとした存在感の女の子だった。
そうこうしているうちにチャイムが鳴って、授業が始まる。教科書を開き、黒板に向かう教師の書く文字を追いながら、ふと一つの空席に目が留まった。
――あれ、あの席、さっきまで誰かが座っていなかったっけ。



今度見かけたら思いきって話しかけてみようか。でも、何と言って話しかけたらいいのか。何か好きなものや共通の趣味がひとつでもあったら。でも、いくら自分が好きなものの話題でも初対面の人間にいきなり話しかけられたら警戒してしまうかもしれない。あまり馴れ馴れしくならず、それでも好意を伝えることができる方法は、
――好意って
 好き、とまではいかなくても、気になってしまって仕方ない自分に気づいた。顔もよく見ていないのに、話したこともないのに、どこの誰かもわからないのに。



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